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木曜日(ワタルの場合)

それは、なんの変哲もない木曜日だった。ただ、地面が少し浮いているような、そんな心地がして、ワタルは惰性のように駅に向かった。

神保町。A7出口から、いつものようにすずらん通りに向かって横断歩道を渡る。今日はすごく、カフカが読みたい気分だ。本を読む時、内容じゃなくて、それを読んでいる自分自身を消費している気がする。太宰治を読むときの自分、ソローを読むときの自分、丸山眞男を読むときの自分…

今日の気分はミロンガか。いや、違うな。さぼうるでもない。入る喫茶店を決められないまま、黄色い屋根のMagnifに入る。世界各地のかわいいピンバッチを眺める。4、5年前、いくつか幼なじみと一緒に買った。その子は今何をしてるのか、そのピンバッチをどうしたのかもわからない。知りたいけど、なんだか知っちゃいけないような気がした。

ピンバッチって、家に持って帰るはいいけど、カバンにつけると落ちてしまうし、壁に突き刺すのもなんだから、結局置き物になってしまう。昔友達が「ワタルらしい」と言ってプレゼントしてくれた、"resist!(抵抗!)"と書かれたピンバッチ。とても気に入ってよく使うリュックにつけてたら、いつの間にか落ちてしまった。どうやら重力には"抵抗"できなかったみたいだ。

こういう古雑誌屋に来ると、「ここではないどこか」や、「今ではないいつか」が目の前に広がる。自分が背負う責任や虚しさ、不安とかからの空想上の逃避ができるから、ワタルはこの類の場所が好きだった。明日どうありたいかよりも、30年後どうありたいかを考える方が楽だし楽しいのと似ている。それはそのゴールまでの道筋をしっかりと決めなくてもいいからで、今の自分の状態を批判的に見ることからの逃避なのだ。お酒を飲んだりタバコを吸ったりするのと同じような。

ワタルは、ときどき思い出したように酒を飲む。彼にとって、人生からの逃避は古雑誌屋で事足りてしまうのだ。酒を飲むとしたら、「飲まない理由が思いつかないから」というのがほとんどだった。ワタルの母は、顔が赤くなるがたいして酔わず、ワタルの父は顔には出ないがたいそう酔っぱらう。よくない遺伝子をどちらももらったワタルは、一杯でも酒を飲むとすぐ赤くなるし、酔いが回るのも早い。普段は物静かな彼は、酔うと決まってスピーチを始めた。ミドルクラス出身のインテリ特有の、頭の中で持て余された批判的な思考が、酒の場で溢れ出してしまうのだった。それを面白がりメモを取る人もいれば、うんざりした顔で明日の予定を考える人もいた。

結局ワタルはその古雑誌屋で2時間を過ごし、空想上の逃避でかなりの体力を消耗した。少し歩いたところにある街中華、スヰートポーヅに向かった。この店の棒状の餃子は、なぜか彼の背徳的なツボに刺さる。まだ6時前だというのに、店は賑わい始めていた。後ろでは、退勤後らしいスーツの男性3人がビールを旨そうに飲み、大学生らしき女性2人組がサークルの恋愛事情について真剣に考察していた。店で一人でご飯を食べるとき、いつもワタルは目の置き場に困る。スマホを触るのは、なんだか興醒めしてしまう気がするし、かといって餃子を凝視するのも、お店の人を眺めるのもなんだか違う。ぼうっとアサヒビールのポスターを眺めながら、彼はそこに販売促進以上の意味を見いだそうとした。

店を出ると、空は薄暗くなっていた。ああ、1日の命が終わる、と思った。こんなポエムみたいなことをインスタで言ったら、きっと親しい友達にはわらわれるだろう。自分では詩的で浸っているとわかっていながらも、半ば知的に、かなりの確信を持って、彼は1日は太陽が沈む瞬間に死んでしまうと考えていた。

そして、心の中で手を合わせた。ワタルは仏教徒という自覚はないが、死においてはお寺の感覚が強い。頭の中で、お坊さんに念仏を唱えさせた。途中までは質素で落ち着いた葬式だったが、途中から念仏がビートを刻み出し、EDMに変わり、ミラーボールが回り出した。あぶない、頭がオーバーヒートし出したようだ。

コンビニでホットコーヒーでも買って帰ろう。そう決めて、ワタルは駅への道を歩き出した。

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小説的なのを書いてみて、自分の目の前に空想上の人や出来事、思考を広げられることに驚きました。そして、意外と自分が経験したことしか書けないもので、自分の引き出しを開けたり閉じたり、ちょっといじくってみたり。最近神保町で楽しい時間を過ごしたので、その時を思い出しながら書きました。

この中に出てくるお店は全部実在するけど、スヰートポーヅは惜しまれつつも閉店してしまいました。あの棒餃子、また食べたかったなあ

2023/6/10 さりぼん

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