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成るようにしか成らない

〔解説〕

 古くから言われている「成るように成る」が、いつかどこかで何者かによって捩(もじ)られ、知らぬ間に存在感を増してしまった。
 多くの辞書には「成るように成る」しか載っていないと思われる。

 ちなみに、本来の「成るように成る」は、「物事というものは、自然であろうが人為であろうが、なりゆきによって一定方向に進むものであり、状況が悪くても最終的には落ちつくところへ落ちつく。だから、嘆いたり慌てたりすることはない」という意味だ。
 状況も結果も、楽観的であったり悲観的であったりするが、どちらの場合でも用いることができる。
「あんな勉強嫌いが合格したってさ。世の中、成るように成るもんだな」
「勉強しなかったから不合格だってさ。やっぱり成るように成るんだな」
(注/ここまではパロディーではない)


〔さらに解説〕

「成るようにしか成らない」は、「成るように成る」とは逆に、あきらめの気持ちが込められた言い方だ。つまり、努力しても状況や結果を好転する足しにはならないといった意味合いを持っている。
 世知辛い現代社会にうまくマッチし、人生の不確実性に対しての嫌気や皮肉、運命への嘆きなどを表すのに都合がいいことから広く親しまれている。

 励ましや慰めなどによく使われる「努力は必ず報われる」「実らない努力はない」といった類いの言葉は、スポーツや事業などで成功をおさめた人物も使っている。
 しかし、冷静に現実を見ればそのようなことは悲観的であることのほうが多いとも言える。たとえばオリンピックでも、各種競技で金メダルを獲得できるのは一人だけだ。ほかの選手だって努力はしているのにだ。

 学校の受験も入社試験も、生きていくうえでの生活向上なども同様。いくら努力しても実らないことは山ほどある。世の中には「成るようにしか成らない」ことは石を投げれば当たるくらいあるのだ。
 今回はちょっとシリアスだが、これは以前から言いたかったことだ。たまには現実に切り込んでもいいのではないかと思った次第。

 ただし、努力が無駄と言っているわけではない。実るとか実らないとかがすべてではない。努力したこと自体がもたらすメリットは多い。心身がタフになったり、人間としての器量が大きくなったりする。得られる知識や経験も多い。そういった〝副産物〟の存在は計り知れなく大きい。
 そんなことも踏まえて「成るようにしか成らない」を使っていきたい。

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