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ジムニーで能登半島の旅1,100キロ

 先週、11月5日から7日にかけ、能登半島へ旅行に行ってきた。タイトルにあるように、アシは軽自動車のジムニーだった。購入当時は注文に生産が追いつかず、納車までに1年と3週間も待たされたクルマだ。
 私はこのジムニーでしばしば林道を走って悦に入っていたりする。変速機は、いまやますます少数派になりつつあるマニュアル(手動)だ。
 ジムニーは整備された街中の道路よりラフロードやオフロードが似合うクルマだ。観光旅行を楽しむ長距離ドライブには不向きと百も承知だが、あえて普通乗用車は自宅のガレージで休ませた。

 旅行中は、このタイトルで記事にすることは考えていなかったので、残念ながら旅先でのジムニーの写真はない。
 しかし、走行距離は5日が400キロ、6日が250キロ、7日が450キロだったことを考えると、写真はなくても、記事に少しばかり色を添えることができるのでは、と思った。
 ちなみに、私は群馬県在住で、カミさんとの二人旅だった。
 なお、本文はなるべく簡潔にします。


 初日の5日は、加賀前田家二代当主前田利長の菩提寺、高岡山瑞龍寺へ。この寺は三代当主前田利常によって建立された。
 仏殿、法堂、山門は、近世禅宗様建築の代表作として、1997年に国宝に指定され、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂は国の重要文化財に指定されている。

山門。逆光だが、太陽が相手ではどうしようもない。
禅堂(手前)と山門(後方)。上の写真とは反対側から撮っているが、今度は日陰と日なたのコントラストが強くて……(これでもパソコン上で簡単に調整してある)



 この後は宿へ向かう。

「Royal Hotel 能登」はけっこう大きい。
翌日未明、ホテルの屋上から見た朝焼け。もう少しで日の出というとき雲が出て日の出は拝めず。



 翌日は、まず石川県指定名勝となっている日蓮宗本山の金榮山妙成寺へ。開祖は日蓮の孫弟子である日像という僧侶。
 能登随一の大伽藍を擁し、本堂や五重塔をはじめ、祖師堂、経堂など合計十の建造物が国の重要文化財に指定されている。

かなり大きなお寺。五重塔もあるが修復工事中だったので掲載は省略。
写真はないが、妙成寺には庭園もある。これもなんとなくそんな感じだ。



 次に行ったのは気多大社
 たくさんの「気」が集まる神社として知られているそうだが、残念ながら私はいままで知らなかった。縁結びの神様としても人気があるそうだ。

気多大社と標記して「けたたいしゃ」と読む。
本殿を含め、国の重要文化財に指定されている棟も多い。



 気多大社で気を養った後は能登金剛・巌門
 貫通洞門は波の浸食によってできたもので、幅6メートル、高さ15メートル、奥行き60メートル。
 やはり波による浸食で荒々しい海岸線が数キロメートル続き、20分ほどかけて遊覧船でめぐる。

遊覧船の船着き場。
船着き場のすぐそばにある洞。
日本海の荒波に削られたという「巌門」(がんもん)。



 サンセットヒルイン増穂(世界一長いベンチ)。
 現地の案内板によれば、全長460.9メートル。昭和62年3月29日に完成し、その年にギネスに申請・登録されたとのこと。

1,346人が一斉に座った記録もあるそうだ。
上がってみなかったが、どうやら展望台のようだ。



 白米千枚田
 百とか千とか万とかというと、たくさんあることを例えるときによく使われるが、この千枚田の場合は例えではなく、ほんとうに1,004枚の田んぼがあるそうで、「世界農業遺産」に登録されている。
 また、「日本の棚田百選」に選定され、国の文化財名勝にも指定。

 展望場所が設けられていて、気軽に見ることができる。夜はライトアップされる。
米づくりはさぞや大変だろう。白米千枚田は「しろよねせんまいだ」と読む。



 禄剛崎灯台
 「日本の灯台50選」のひとつで、能登半島最奥(設置された案内板などでは〝最先端〟と表示している)に位置する。明治16年に建てられた。
 日の出と日の入りの両方が見られるという。それならぜひ見てみたいと思うが、地元の人は別として、ちょっとむずかしいかな。
 なお、フォロワーのNikoさんも「白亜の灯台@禄剛埼灯台」として、細かく丁寧な記事にされていますので、ぜひご覧ください。

無人の灯台だというから、ときどき見回りに来るだけなのだろう。
 東京まで302km、釜山(韓国)まで783kmの標識が立てられている。(写真左端)



 なんでこんな形、と思う見附島
 形が軍艦のようであることから軍艦島の異名をもつ。高さ28メートル。

大きな石が並べられていた。きっと島へ渡れるのだろう。
どうやらここが撮影スポットらしい。


 6日の宿はガラっと雰囲気が変わってビジネスホテル。

ルートイン能登。写真の右端にジムニーが少し写っている。



 7日は能登島へ渡る。
 能登島は七尾湾に位置し、「石川県能登島ガラス美術館」や「のとじま水族館」、海水浴場などがある。
 昭和57年には、石川県では最長となる、橋長1,050メートルの能登島大橋が開通した。

能登島側から見た能登島大橋。

 「石川県能登島ガラス美術館」に行ったが、到着が早すぎて開館していなかった。
 ガラス美術館の広い敷地には、作家たちの作品がのびのびとした雰囲気でいくつも設置されていた。

美術館だけあってなかなかのアート感覚。
こういう芸術作品がいくつも展示されている。私のような凡人には難解。

 ガラス美術館の開館を待つことなく「のとじま水族館」へ向かう。
 「のとじま水族館」は500種4万点の海の生き物を飼育展示していて、日本海側では唯一とされるジンベエザメも見ることもできる。

写真左の奥の方へ施設が連なる。
体の模様のせいか(いや、水槽の中だから)、ジンベエザメにはあまり恐怖感はなかった。
イルカやアシカのショーも行なわれている。どうやって芸を教えるのか、とても気になる。



 能登島から能登半島へ戻って青林寺客殿(和倉御便殿本殿)へ。
 「御便殿」は明治42年に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉行啓の際の休憩所として建てられた。平成29年10月に国指定登録有形文化財に登録。
 建物全体に宮内庁の木曽御用林の檜材が使われている。「御座所」の天井は格式高い折り上げ格天井。

公道からだいたい五十段ほどの石段をのぼってきたところに敷地が広がっている。
風景が映っているのは、厚いガラスが置かれたテーブル。



 青林寺からジムニーでしばらく走り、氷見漁港近くのひみ番屋街で昼食。江戸前ならぬ氷見前寿司。文句なしに旨かった。

回転寿司となっていたが、寿司職人が目の前で握り、カウンター上に出してくれる。
飲食店やおみやげ店がいくつも並ぶ「ひみ番屋街」の内側に設けられたフードコート。


 そして最終目的の氷見漁港。ただし、土産を買うわけでもなんでもなく、私がただ港をぶらつきながら写真を撮るだけ。

どういうわけか私は港に興味がある。たぶん、歌や小説の影響だ。
漁船がたくさん碇泊(ふながかりというのだろうか)していた。
こういうカットも好みだ。



 これで観光は終了。後は帰路となる。
 3日間とも薄曇りを含む曇天だったが、最終日は雨の覚悟だったので、降られなかっただけは儲けた気分だった。ただし、帰路の高速道路では途中から雨となった。
 この記事では省略した見どころもある。とりあえず、どうしても見たいところはすべて見ることができ、無事で帰ってくることができたのだから満足だった。
 ジムニーが快適に走ってくれたのもよかった。

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