見出し画像

もやしの京都旅行2日目

さて、京都旅行2日目ですが、今回は午前中と宿への帰りのみとなります。詳細は後述しますが、要は写真を出せないのです。

最初は烏丸駅から阪急電車です。1日目に乗車した9301Fが京都河原町駅へ向けて発車していきました。この編成にもさくらHMが掲出されています。

続いて乗車する9306Fの準特急大阪梅田行です。時間は8:10分となっていますが、本来の工程より1時間遅れです。本来は7時過ぎの電車で行く予定でしたが支度に手間取りました。

阪急電車は隣の大宮駅で降り、地上に出ると嵐電でお馴染み京福電鉄の四条大宮電停があります。午前中は嵐電の旅です。早速目の前にはモボ101形が。方向幕を持たず、前面に副票を掲出します。

さて、先程の104号車で太秦広隆寺電停へ。電停からすぐの所が撮影地です。最初に来たのは614号車からの2両編成です。この日は全列車が2両編成で運行される日で、観光客が多かったためと思われます。

次に来たのは105号車からの2両編成です。先程の614号車と比べると、造りが古いのがわかります。滅多に来られない路線の車両はこういう撮影地で一度に前面と側面を記録した方が後々振り返る時に便利です。

続いてモボ21形の27号車です。モボ21形としては2番目の製造ですが、番号はモボ621形からの続番となっているため、欠番が生まれています。見た目こそ近年増えているレトロ電車ですが、足回りは戦前製の物です。近年車体更新が行われ、パンタグラフと台車は新品に変わりました。しかし主電動機などは変わらなかったため、吊り掛け駆動方式という、見た目通りのレトロ電車となっています。機器類は時代に合わせたレトロ電車が多い現代では異端な車両ですね。

先程乗車した104号車からの2両編成が折り返してきました。路線距離が短く、日中は往復運転のみとなるため、車両交換がない限りは狙った車両を追いやすいのが嬉しいです。

モボ301形の301号車からの2両編成です。嵐電では最後の旧塗装であり、この車両とモボ21形以外は2010年以降京紫に塗り替えられているそうです。この車両、2007年の3月終わりに一度運用を離脱しましたが、地下鉄延伸などによる乗客増加が予測されたために2008年3月に復活した奇跡の車両だそうです。もし地下鉄の延伸がなければ、嵐電から旧塗装は消滅していたのかもしれませんね。

615号車からの2両編成です。車体こそ90年代に製造されているモボ611形、621形、631形と21形ですが、下回りは全て流用品です。しかし近年台車とパンタグラフが交換され、一部車両は方向幕のLED化も行われました。形式の違いは種車が異なるのが理由です。

嵐電は路面電車あるため、他の地域の路面電車と同様に車体広告があります。また、映画村のHMも掲出されていることから賑やかな車両となっています。写真は611号車で、嵐電近代化の1両目とも言える車両です。


モボ21形26号車です。モボ21形のトップナンバーで、27号車とは飾り帯に差異があります。26号車は金の飾り帯ですが、27号車は銀となっています。LEDの表示色にも差異があるのが面白いところです。タイミングが合わず、乗車できなかったので次に行く時は乗ってみたいところです。

場所を変えて嵐山電停から少し歩いたところです。ここにはキモノフォレストと呼ばれる、友禅のアクリルポールが600本立っており、夜間にはライトアップもされるそうです。様々な柄の友禅の中を路面電車が走り抜ける姿はここでしか見られません。

さて、301号車で帷子ノ辻電停へ向かいます。嵐山の滞在時間は20分程と短かったですが、あまりにも人が多くて何かできる状況に無かったことが原因です。コロナが明けてから外国人も随分と増えましたね。

帷子ノ辻電停からは625号車で北野白梅町電停へ向かいます。北野線は1両編成で運行されており、利用客も比較的落ち着いています。嵐電本来の地元の方々を運ぶ列車を体感できたことが良かったです。

さて、北野白梅町電停に着いてからは北野天満宮へ行ってきました。そして戻ってきたらちょうどどこかで見たようなカラーの車両が。嵐電と江ノ電が提携しており、嵐電には江ノ電カラーの車両がいるのです。以前は江ノ電にも1000形を使って嵐電の旧塗装や京紫の車両がいましたが、いつの間にか見られなくなってしまいました。

631号車で御室仁和寺電停へ行き、仁和寺に寄ってから次の電車で帷子ノ辻電停に戻ってきました。遅延回復の余裕を持たせるためなのか帷子ノ辻電停では北野線の車両が2本並ぶ時間があり、1つ前の電車をまた見られました。江ノ電カラーは500形と同様の塗り分けだと思いますが、305号車に合わせなかったのが個人的には意外でした。

有栖川電停へと行き、名前の通りの有栖川へ向かう途中に撮影した1枚です。観光客が見当たらず、日常の京都が見えた瞬間でした。観光客が沢山乗っている嵐電も、こうして見ると地元密着の路面電車ですね。

路面電車同士の連結って最近では少なくなりましたが、考えたら嵐電ではこれも日常のひとつな訳で。東京の都電では需要に合わせて増発しますが、嵐電では増結と増発の2つの手段があるのが便利そうに思えます。

さて目当ての有栖川に来ました。ここでは古めかしい橋を渡る嵐電が見られます。小さな踏切もセットなのがより素晴らしいですね。のんびりした時間が流れるこの場所ですが、遠くには山陰本線も見えており、長い編成の列車が高速で駆け抜けるのが嵐電と大きなギャップです。静かな場所ですので、一人旅にはおすすめな場所です。

西院電停に来ました。ここには嵐電の車庫があり、昼間は複数の車両が寝ています。左側には朝撮影したモボ21形とペアを組んでいた612号車が、右にはモボ2001形2002号車がいました。モボ2001形はこの日2両ともお休みだったのが残念です。2024年から新車も入る嵐電。これから見られる車両にも変化が起こりそうですね。

さて、嵐電を離れ四条大宮から梅小路までバスで移動しました。ここから京都鉄道博物館に行くのですが、梅小路公園にも寄り道しました。ここにはN電と呼ばれる昔の車両や、京都市電廃止まで活躍していた車両が保存されており、N電は土休日に実際に人を乗せて動いているようです。N電が走る線路の脇には桜が咲いており、路面電車らしい急なS字カーブと混ぜて撮ってみました。

そして京都鉄道博物館に来たのですが、HPを見ると写真撮影は個人で楽しむ場合に限り許されているようです。不特定多数の方が見られるここには掲載できないのが残念ですが、これまで日本を支えた様々な車両を間近で見て、実際に触れられる展示もあり鉄道に関する様々な事を学ぶことができました。展示物では無いので大丈夫だと信じて偶然試運転をしていたD51 200を出しておきます。日本で最も製造された蒸気機関車のD51の1両で、山口線で運行されているSLやまぐち号を牽引することもあります。普段は梅小路機関区で展示車になっているようで、営業線にいたおかげでこうして掲載できています。

さて京都鉄道博物館を閉館間際まで楽しみ、山陰本線で京都駅へ行き、夕飯後にバスで七条河原町まで行って京阪電車の七条駅に来ました。本来は四条河原町までバスで移動した上でメロンブックスに寄ってから帰ろうと思ったのですが、普通に降りるバス停を間違えました。河原町も広いですね…予定外の京阪電車ですが、ここで来たのは13000系。4両編成から8両編成まで、様々な場面で活躍しているようですね。もやしは以前訪れた際にも13000系に乗車しているため、懐かしい気持ちで乗れました。祇園四条まで乗車し、京都河原町駅まで歩き寺町通のメロンブックスに寄って、阪急電車で1駅移動し2日目は終わりです。
2日目は嵐電と京都鉄道博物館でしたが、どちらも初めての訪問でありとても楽しかったです。東京の路面電車とは異なる点が多々あり、比べながら乗ると誰でも楽しめそうです。京都鉄道博物館は、埼玉の鉄道博物館と異なりつい最近まで走っていたような車両も沢山展示されているので、現役の車両では見られない部分も観察してから現役の車両を見るという不思議な体験ができそうです。とても楽しく、時間を忘れる2日目でした。
さて、次は3日目になりますが、こちらは帰るだけですがまた寄り道していますのでそれなりの文字数の記事になりそうです。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?