青春18きっぷで行く山陽山陰旅行記3日目/2泊3日

【3日目:2020年8月31日(月)】

朝6時45分からのホテルの朝食バイキングを急いでかっ込み、7時9分発の岩国行き鈍行に駆け込む。今日は月曜日であるが、まだ少し時間が早いせいか車内の学生の数は少ない。それでも宇部で学生の何割かが入れ替わり、新山口で降りた数の3倍ぐらいの学生が乗ってきて4両の列車はたちまち満杯になった。扉の前に立ち止まらずに通路の方まで入れと車掌が何度も放送するが、スマホやおしゃべりに興じる学生たちはなかなか移動しない。115系列車の通路につり革はないから通路内は人気がないのかもしれない。

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駅前に高川学園のある大道で何割かの学生が降り、しばらく走って車窓を占領していた田んぼが消え、住宅の密集した市街地らしい風景に変わると防府で、ここで学生が一掃され車内はガラガラになった。防府は人口11万、かつては周防国の国府があり、長州藩時代に栄えた三田尻港や防府天満宮のある歴史ある土地だが、山陽新幹線の開通以来優等列車が消え、相対的に知名度が落ちて勢いが衰えつつあるという。それでもかつての国府の矜持があるのか、山口市からの合併の誘いに難色を示し続けているという。防府とは直接的な地名だが、なかなか他に類を見ない響きの名で個人的には好きな名であるからぜひ残ってほしいと思うが、どうなるか。ここも一度しっかり観光しておきたいと思ってはいる。

防府から新南陽、徳山、光などは瀬戸内工業地域の中核で、沿岸にトクヤマや東ソーなどの石油化学コンビナートが展開されている。地上の在来線からだとあまりよく見えないが、夜に高架の新幹線から眺める工場夜景はなかなか綺麗だった記憶がある。

白壁の街並みで知られる柳井を過ぎると、右手に海岸が開け、瀬戸内海を挟んだ向かいの周防大島がしばらく視界を占領する。あまり海に縁の無い山陽本線だが、ここから宮島口辺りまではしばらく瀬戸内海に沿って走る。

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ところで厚狭からかれこれ2時間は乗っている。今日の旅程は愛知に帰るだけだが、18きっぷでの鈍行乗り継ぎだと途中無駄なく乗り継いでも13時間近くかかり、名古屋着は19時57分になる。勿論そんな旅程では身体がもたないから途中で数回、計2-3時間程度の休息を挟む予定で、気分的にはそろそろこのあたりで途中下車して周防大島でもぶらついてみたい気がする。しかし日差しは強く、車内から窓越しに外を眺めるだけでも暑そうだし、こんな序盤で時間を大きく使ってしまうと後が苦しくなりそうで躊躇われる。

結局今回は我慢することにしてぼんやり瀬戸内海を眺めていると、周防大島の入口の大畠から乗ってきたおっさん3人組が、競艇と思われるレースの話に興じているのが耳に入ってくる。周防大島から出てきてこれから宮島の競艇場に向かうのだろう。平日の朝っぱらから良い御身分だとも思うが、それはそのまま私に跳ね返ってくる言葉でもある。

9時49分岩国着。脚に溜まった血を体内に回すために、エスカレーターを使わずに階段を上り降りしておく。岩国からは広島近郊で、車両も黄色い115系からステンレスの車両に変わる。

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広島近郊の通勤車両が新型の227系電車Red Wingに置き換わってもう5年になる。車体に入っている線は赤いし、ロゴがCだから広島カープに忖度したデザインにも見える。実際広島近郊はあまりラッピング車両を作らないJRにしては珍しく、広島カープ仕様の車両が運行されることもあるぐらいだから、余所者にはわからない力関係があるのかもしれない。

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ところで、そろそろ昼食をどこでとるかを考えねばならない。乗り継ぎの時間も考えると岡山がもっとも望ましいが、このままいくと岡山は13時48分着でまだ4時間近くかかる。広島でお好み焼きというのが手だが、これは少し早すぎるし、まだ元気なので休憩時間を使うのが勿体なく感じる。

このように鉄道好きを広言していると「そんなに長く電車に乗っていて疲れないのか」とか「尻が割れそうにはならないのか」等と聞いてくる者がある。体質もあろうが、最近のそれなりに座面や背面が柔らかい車両であれば、ちゃんと座席に深く腰掛け、腰から背中にかけて広い面積で体重を預けるようにすると長く乗っていてもあまり疲れない。Red Wingの背面はやや傾いており、しかもちょうど頭部を背もたれの上に乗せられるから体重を預けやすくて助かる。こういうところは都心の新型車両が良いな、などと現金な感想を持つ。実際人口が稀薄な山中を往くようなローカル線は車窓こそ素晴らしいが車両は大概おんぼろで、座席も固く、座面と背面が垂直だったりするから長時間乗車するとたいそう疲弊する。

広島を素通りし、呉線の分岐駅である海田市を過ぎると両側から丘が迫ってくる。丘の勾配は相当なものだが、その急坂にも住宅が立ち並んでおり、その丘の上と麓の瀬野をスカイレールサービスというモノレールに似た珍妙な乗り物が片道5分で結んでいる。その勾配は最大263‰にもなるが、これはケーブルカーを除くと日本の鉄軌道でもっとも急なものであるという。感覚的にはスキー場の上級コースに近い急斜面で、こんなところによく住むものだと思う。

瀬野を過ぎるとついに平地が尽き、列車は瀬野八の峠越えにかかる。かつては蒸気機関車の協力が不可欠だったこの峠も、電車の馬力をもってすればたわいもなく越えてしまえるから大したものである。

2018年にできたばかりの寺家を過ぎると酒造の街西条で、酒造通りに立ち並ぶ赤レンガの煙突が目に入る。西条は2面3線の駅だが、それ以外に乗降用のホームを持たない通過線が1本あり、その次の西高屋にも同様の通過線があった。山陽本線は今でこそ在来線に優等列車の設定は無いが、かつては夜行を含む特急列車も多く通行していたし、貨物の大動脈でもあり通過線の需要が多かったであろうから、こういう形の駅が多いのかもしれない。

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西条から三原にかけては蛇行しながら盆地を下って行く。典型的な盆地車窓だが、なんとなく津和野のあたりに似ているなとも思う。このあたりも赤瓦の家が多い。頭上遥か高くに横たわる山陽自動車道の沼田川陸橋をくぐると盆地が終わって三原平野に入り、12時8分糸崎着。

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糸崎で快適なRed Wingから再び旧型の115系電車に乗り継ぐ。糸崎から東尾道にかけては山陽本線では最も好きな車窓で、尾道水道を挟んで向島の造船所群が立ち並ぶ様は、多島海瀬戸内海の真骨頂と言える。坂の街尾道の千光寺の山の上から眺める尾道水道の景観も素晴らしいが、海岸線すれすれを走る山陽本線から眺めるのもまた良い。12時26分尾道着。良い頃合いなのでこのあたりで昼食をとることにする。

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尾道メシといえば濃厚な背脂が特徴の尾道ラーメンだが、これは尾道に来る度に食べている。それよりも今日は尾道水道に面した景色の良い店で優雅に休息をとりたいので、以前から目をつけていた海沿いのカフェに向かう。期待していたほどの眺めではなかったが、向島と尾道を結ぶ渡船の行き来がよく見えるから悪くはない。

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船とは自分が乗っていると遅くて景色の移り変わりが鈍いから退屈する代物だが、外から船を眺めている分にはちょうど良い速度の代物で、片道数分の単調な航路を行ったり来たりするだけの渡船でもずっと眺めていて飽きない。こんなところに住めたらさぞかし楽しかろうと思うが、実際は住んでみると急坂や渡船が煩わしく思えてくることもあるのだろうから、こうして年に1回訪れてみるぐらいが良いのかもしれない。

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十分休息をとったところで、13時48分発の相生行きで東進を再開する。東尾道で瀬戸内海から離れてしまうと、山陽本線の車窓は田園と宅地ばかりの平凡なものとなる。福山、笠岡と岡山に近づくにつれ宅地の割合が増えて乗客が増え倉敷で大半の席が塞がる。退屈な車窓で食後でもあるのでうつらうつらしているといつのまにか岡山を過ぎ、ホームが制服姿の学生で埋まった熊山駅で突如車内は満杯になった。時刻は15時37分、時あたかも下校時刻である。

通学時間帯とはいえ、通路にぎゅうぎゅう詰めになるほど混むのは珍しい。人の密度が増したからか冷房の危機が悪くなり車内は蒸し暑い。学生達はほとんど密着しながらおしゃべりしていて、マスクをしていないのも少なくないから、こんな調子だと全国の学校でクラスターが発生しそうなものだが、そういう話は聞かないから不思議である。やはり若いと免疫が強いからなかなか感染しないのだろうか。

不快な車内環境に辟易としながら30分ほど我慢していると終点の相生に着く。この密度のまま、次の列車で座席すら確保できなかったらたまらん、と隣を見ると、幸い乗り継ぐ新快速の野洲行きはこの列車の2倍以上の車両を繋いだ8両編成だったから事なきを得た。

その後は途中大阪で夕食休憩をとりつつ、乗り慣れたJR西日本の新快速とJR東海の新快速を乗り継げば、もう名古屋は目と鼻の先である。厚狭を出てから14時間半、休憩時間を抜くと12時間乗り続けており、この3日間の総乗車時間は30時間を超えている。年に何回かはこういう極端な旅がやりたくなるから業の深いことだと思う。

名古屋着は21時41分。平時なら残業帰りのサラリーマンでまだ混雑しているはずの平日夜の名古屋駅は、火の消えたような静けさであった。

3日目


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