公共交通機関で行く北海道限界旅行記4日目/4泊4日

【4日目:2020年8月4日(火)】

翌朝、窓を開けてみると襟裳岬はまだ霧の中であった。そんな中で港の方ではなにやら作業をしており、カメラの望遠レンズで拡大してみると日高昆布を干しているようだ。

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旅館に泊まるのは久しぶりである。そもそも私の旅行は夜遅く宿にたどり着いて早朝に出るようなものが多く、朝食や夕食の時間もバラバラであるから素泊まりのビジネスホテルを好む。しかしこの襟裳岬にはビジネスホテルなどあるはずもないし、夜開いている飲食店やコンビニもないから、二食付きの旅館にお世話になることにした。しかし考えてみれば、GoToトラベルで35%も宿泊代が安くなるのなら値下げ幅の絶対値が大きい「高級旅館」に泊まるのが王道になるのだろう。だが私は宿でゆっくりするより移動している方が好きだし、お高い宿に泊まるのも一度や二度なら体験価値としては良いが、毎度となるとどうにも居心地が良くなく、懐も気になってしまう。今日泊まった旅館は二食を食堂で食べる点以外はビジネスホテルに近く過ごしやすかった。宿泊客は私ともう一組の二部屋だけだが、それで満室扱いなのだという。「コロナでお客さんはあんまり来ないけど、あんまりたくさん来てもらっても後が大変だからねぇ」と女将さんがぼやいていた。

庶野始発の岬市街7時42分発JRバス様似行きで再び西へと向かう。ずっと太平洋沿岸を行くので景色はよく、海辺に昆布が干してあったり、浅瀬に昆布をとりに入ってゆく人の姿が見えたりする。昨日は私以外にひとりも乗客を見かけなかったが、今日は途中の集落からぽつぽつ乗降があった。

このあたりは特に風の強い地域であり、襟裳岬などは風極の地とも呼ばれている。そのためか、どんな小さい停留所でも屋根と扉のついた立派な待合所を持っている。冬の襟裳岬は5分と外に立っていられないというから、こうでもしないと凍死者が出るのかもしれない。

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8時35分様似着。日高本線の終着駅であるが、この駅に列車が来なくなって久しく、この先も訪れることはない。日高本線は2015年9月の台風により、厚賀大狩部間の路盤流出など多数の被害を受けた。この路線は苫小牧様似間146.5kmを結ぶ長大な盲腸線であるが、人よりも馬の数の方が多そうな所ばかりを結ぶために輸送密度は低く、優等列車も長らく走っていない。そんな線区であるから、JR北海道は例によってこの線区を「当社単独では維持することが困難な区間」に指定しており「復旧させたいなら金を出せ」というような構えであって、被災後の沿線市町村との協議を経て既に鵡川から先は廃線が確定している。あとはいつ廃線手続きに着手するかであり、例えるなら植物状態の患者の生命維持装置をいつ外すか、というような状況であるが、今のところはまだ鉄道としては「生きている」扱いなので北海道フリーパスで乗ることができる。

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様似駅は不通以来5年を経てバスターミナル兼観光案内所と化しているが、一応はまだ駅でもあるから、鉄道の切符を売る窓口がある。ちょうど8時から開いているから、ここで留萌で買い損ねた北の大地の入場券を買っておく。様似は日高の先端のどん詰まりにあるから券番も一番大きくNo.99になっている。全86種なのに99番とは不思議ではあるが、最果てまで来た感じがするから悪い番号ではない。

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日高本線の代行バス静内行きは9時2分に様似駅前を発車するが、その直前の9時ちょうどに浦河方面に行くJRバスが同じく様似駅前を発車する。浦河着は前者が9時30分、後者が9時32分となっており、停まる停留所こそ異なれどほとんど同じコースを通る。代行バスは名義上JR北海道所属の鉄道扱いであるから、グループ会社のJR北海道バスの路線バスと時間が被っていようがお構い無し、むしろ我々は競合他社であり敵同士だからわざわざ時間を被せているのだ、と言わんばかりである。しかし人口密度が希薄な十勝地方においてこのような戦略が有効なのかどうかは疑わしい。もっとも以上は私の妄想であるから、実際は鉄道の廃止を見越してバス側が鉄道補完用のダイヤを組んで予行演習しているだけかもしれない。私の持っているフリーパスであればどちらのバスにも乗れるが、浦河より先に用があるので後発の代行バスの方に乗る。

30分ほど走り、思いのほか綺麗な町並みの浦河を過ぎると鉄路から離れ、左手に太平洋、右手に丘が迫ってくる。9時36分、太平洋を見下ろす沿岸の高台にある絵笛着。ここで途中下車してみる。

下車した絵笛バス停は沿岸であるが、鉄道駅の絵笛はここから内陸に2km以上入ったところにある。代行バスの停留所は原則駅の近くにあるはずだが、駅前までバスが進入できない場合はやむを得ず駅から離れたところに停車することがある、と予めことわりは入れられてある。確かに実際の絵笛駅は牧場の敷地の真ん中にあるというから、駅舎の前までバスが乗り入れるのは難しいだろうが、これはちょっと遠すぎるように思われる。バスとしても海岸沿いの便利な道からわざわざ外れたくないし、絵笛駅なぞ元々秘境駅に分類されるような乗降の少ない駅のためにわざわざ迂回してやるのは能率が悪いということかもしれない。

駅へと通じる道路はちゃんと舗装されており車もほとんど通らないので歩きやすかった。5分も歩くとたちまち右手に牧場が出現し、多くの馬が草を食んでいる。私は馬には詳しくないが、馬という動物は目が優しいと思う。柵を挟んで穏やかに見つめあっていると、なにか癒される感じがする。この辺りは人の数より多くの馬が飼育されているが、このうち中央の競馬界にデビューできるのはほんの一握りにすぎず、競走馬としての適正や血統の価値が無いと判断された馬は、維持費の問題もあるため若いうちに屠殺されてしまうのだという。一昨日羊を食べ損ねて涙をのんだ私ではあるが、こうして見つめあってしまうとどうしても情が湧く。殺さないでやってくれとは言えないから、せめて感謝して美味しく食べてあげることが供養になると思うほかない。幸い馬刺は私の好物のひとつである。

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絵笛駅は下調べしていたとおり、文字通り牧場のど真ん中にぽつんと存在していた。日本に9000の駅があると言えど、ホームから馬が眺められるのはこの駅ぐらいであろう。こんな駅であるから元々牧場の子供ぐらいしか利用していなかったのだろうし、それが代行バスからも見放されている理由の1つだと思われる。牧場があるから当然人もいるはずだが、視界に入ってくるのは空と草原と馬ばかりで、こんな素晴らしい駅に列車がまた訪れていた頃に訪問できなかったことが強く悔やまれる。こういうことがあるから乘れる列車や降りられる駅には行けるうちに行っておいた方がいいのであって、特に大赤字のローカル線なんぞは何かが起こった場合、基本的に変化が不可逆であるのでほぼ取り返しがつかないと思った方がよい。掘っ立て小屋のような駅舎の中に入ってみると意外と綺麗に掃除されており、数冊の駅ノートと列車の時刻表の横で置時計が静かに時を刻んでいた。

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今日がこの旅の最終日であり、帰りは20時に新千歳空港を離陸するセントレア行きのスカイマーク便を押さえてある。次の上りの代行バス静内行きは13時19分であるが、これだと静内や苫小牧での接続が悪く、新千歳空港に着くのがギリギリになってしまう。幸い並行して道南バスが浦河から静内までの路線を持っており、これが11時53分に代行バスの絵笛バス停を通過し、静内には13時頃に着く。これなら静内で1本早い静内13時18分発の代行バス鵡川行きに接続でき、余裕をもって空港に到着することができる。問題は昼食で、浦河と絵笛の間にセイコーマートが1軒見えたのは確認していたのだが、絵笛の駅に長逗留してしまったから道南バスに乗る前には立ち寄れそうにない。そうなると静内での10分そこそこ乗り継ぎの間に何か調達するほかないが、果たしてどうなるか。

定刻からやや遅れてやってきた静内行きの道南バスは沿岸の国道235号を一直線に西進していく。集落もそのあたりに固まっているようで、うねりながら内陸部を経由して行く鉄道との差は歴然である。これが思いきって内陸部だけを経由していたのであれば、鉄道も災害耐性という点で利があったかもしれないが、日高本線の場合は内陸部を走るのはこの静内浦河間ぐらいで残りはほぼ沿岸、それもごく低いところに線路が敷かれているから、全体的に台風には弱い。

12時57分にバスは静内駅前のロータリーに滑り込んだ。乗り継ぐ代行バスは、と見ると私が乗ってきたバスの他に駅前には2台のバスが停車しており、1台はJRの13時18分発鵡川行き代行バスであるが、もう片方は13時発の札幌行き道南バス高速ペガサス号であった。これは札幌と鵡川・静内・浦河を直通で1日6往復結んでおり、これに乗れば、代行バスを乗り継いだ場合に苫小牧に着く頃の時間に、札幌の駅前に降り立つことができる。

日高本線、もといその代行バスにはじめて乗ったのは3年前の2017年1月になるが、その時は苫小牧に前泊して下りの一番列車に乗って様似まで行き、帰りは浦河まで路線バスで出てからペガサス号で一気に札幌まで抜けたのであった。札幌まで直行できて便利であるから乗客もそれなりにいたが、今後日高本線が正式に廃線になったあとはどういう扱いになるのだろうか。このあたりは既に道南バスが高速バス・路線バスともに商圏を確立していそうだから、JRがどう動くかは少し気になる。

乗り継ぐバスを確認して、早速昼食の調達に向かうが、間の悪いことに静内駅の駅弁屋は火曜定休であった。駅の売店はやっていたのでパンかおにぎりでも、と物色してみると三石羊羹なるものが目に入った。日高名物で、何度もその手の賞を取っているという。

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羊羹は一般的には和菓子の一種として認識されているが、糖度が高いために保存が効くのと体積当たりのカロリー効率の良さ、それに消化の良さが買われて保存食・携行食としても利用されている。かくいう私も「ヤマノススメ」という漫画でそれを知ったのだが、折角なのでこの三石羊羹を昼食代わりにすることにし、更に次回以降の旅の非常食としてもう1本買っておくことにした。静内発の日高本線代行バス鵡川行きに乗り込んで早速羊羹を開封すると、円筒状容器の底面を押すことで上面から円柱状の羊羹が突き出てくる仕組みとなっており、手を汚さずに食事ができるのはありがたい。肝心の味も、甘さ・硬さ共に程よく美味しかったが、消化が良いということは言い換えれば腹持ちがしないということでもあるから、長時間座っているだけの今日の旅程に噛み合っているかというとやや怪しい。

静内を出た代行バスは再び国道235号を西進する。今度は線路が道路より沿岸寄りに敷かれていて、さぞかし存命時の車窓は素晴らしかっただろうと想像していると、大狩部の辺りで突然線路の下の路盤が消え、線路が宙ぶらりんになっている。これは2015年の台風によるもので、このような区間が他に数十ヶ所もあるのだという。海の近いところを走る風光明媚な路線は得てして台風や津波の被害を受けがちで美人薄命といってもよいが、鉄道会社にとっては金食い虫の美人は扱いづらいらしく、近年は一度災害で途切れてしまうとそのまま朽ち果ててしまう例も多い。

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浦河辺りから左手に海、右手に牧場という車窓が続いている。素晴らしい車窓であるのは間違いないが、襟裳岬から狭いバスの座席に座り続けてかれこれ3時間以上になるから、いい加減身体がしんどくなってくる。鉄道であればクロスシートはおろかロングシートでも3時間ぐらいはものの数ではないが、振動の具合に差があるのかどうにも長時間のバスは体力を消耗する。この一点だけでも日高本線の廃線が惜しくなる。15時1分、ししゃもで有名な鵡川着、日高本線で今鉄道が走っているのはここから苫小牧までの30kmだけである。

鵡川駅に泊まっていたのは2両編成のキハ40系気動車であった。車体には「優駿浪漫号」と印字されている。優駿浪漫号とは日高本線が被災する前に札幌と様似を直通で結んでいた臨時快速列車の愛称である。

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キハ40は数年前まではある程度の田舎であれば日本全国どこでも見かけることができたのだが、古いものだと既に登場から40年以上経過していて、ここのところ急速に置き換えが進んでおり、東日本で見かけられるのは北海道か、東北の五能線ぐらいになってしまった。鋼鉄性の鈍重な車両で加速性能も低く、性能では新型車両に及ぶべくもないが、こういう車両を見かけると旅情が湧く。ついぞこの前までは只見線でも走っていたのだが、キハE120系というステンレス性の車両に置き換えられてしまった。只見線沿線のような秘境を軽薄なステンレス車が走るのかと思うといささか憂鬱な気分になる。只見川の川岸の会津川口駅ホームに佇む重厚なキハ40系の姿が懐かしい。あれがキハE120に置き換わるのが到底想像できないが、これも数年経てば慣れてしまうものなのだろうか。

鵡川の2つ先の浜厚真を過ぎると、左手に大きなプラントが見えてくる。これが北海道最大の発電所である苫東厚真発電所で、2018年9月に発生した東胆振地震で北海道全域で停電が起きたときに連日のように報道で名前が上がっていたから覚えている方も多いだろう。発電所を過ぎると勇払原野で、マガンや白鳥の飛来地であるウトナイ湖や弁天沼が広がる。勇払は工業都市苫小牧から10km程度、札幌からもそう遠くない場所だが、そんな場所にこれだけの原野が開発もされずに取り残されているところに北海道の広さを感じさせられる。やがて右手から室蘭本線が寄り添ってきて合流し、15時42分苫小牧着。

ここまで来れば新千歳空港は目と鼻の先だが、その前に16時25分発函館行き特急北斗18号で最後のチェックポイントである登別へと向かう。登別までは30分足らずである。

登別といえば温泉と地獄谷とクマ牧場だが、今回はそのどれにも行かず、駅に着いただけで即折り返す。これは私のプレイしている位置ゲーム「駅メモ」で、登別駅に到達することで得られるゲーム内アイテムを獲得するためであった。たったそれだけのために登別苫小牧間をとんぼ返りするというのは天下の登別温泉に失礼で、旅行計画上もあまり褒められたものではない。私だってクマ牧場を観光したり第一滝本館の大浴場に久しぶりに浸かってみたいけれど、それらの用事を済ませるには心細いような帯に身近し襷に長しな余剰時間であったから、これはこれでご勘弁願いたいところである。

ところで登別と苫小牧の間は特急で2駅だが、中間にあるのが白老駅で、駅の近くに「ウポポイ」こと国立アイヌ民族博物館およびその周辺を含めた「民族共生象徴空間」が先月7月12日に開業したばかりである。元々白老にはアイヌ民族博物館があったのだが、これを国が主導して大々的にリニューアルし、博物館の延床面積だけでも5倍近くにまで拡大されている。北海道のコロナ関連のニュースにおける鈴木知事の会見会場の背景にもこのウポポイの広告があったし、私がここまで北海道の道北から道央までを放浪している間にも、列車の広告から国道上のの電光掲示板に至るまで様々なところでウポポイの開業を伝える広告が見られた。苫小牧登別間を往復する間に乗車した特急北斗および特急すずらんにおいても、白老駅の通常の降車案内に加えてアイヌ語によるウポポイの観光案内を追加で放送されていたほどだし、全道を挙げた事業であることが伺える。ここも今回是非立ち寄ってみたいスポットではあったが、廃線間際のローカル線と違ってウポポイは逃げてはいかないであろうから、また次の機会に回させていただく。ちなみにウポポイとはアイヌ語で「大勢で歌うこと」を意味する。コロナが終息し、皆で歌を歌えるような状況に早く戻れることを願うばかりである。

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南千歳ですずらんから新千歳空港行きの快速エアポートに乗り換える。この駅は橋上のコンコースから地上のホームにおりる階段と、ホームとを隔てる扉が1つある。北海道ではよく見かける構造だが、本州以南ではあまり類を見ない。これは冬場に列車を待つ間に寒気を防ぐためのもので、これがあると無いとではだいぶ違う。はじめて冬に北海道を訪れたとき、空港から道東方面へ向かうために南千歳で乗り換えたのだが、そのときこの構造をはじめて見かけて感心したのを今でも覚えている。南千歳から新千歳空港までは一駅たった4分で、17時50分新千歳空港着。

私は一人暮らしだし、頻繁に旅行することもあって滅多に土産など買わないが、正月と盆とゴールデンウィークだけは職場に土産物の菓子を持参することにしている。今の会社へ入社したての頃、私の旅行好きを知ってもらい早く打ち解けるために、そして旅行のための有給を円滑に認めてもらうためにはじめて以来の習慣であるが、意図した成果は概ね出せている。

北海道の定番の土産といえば白い恋人、加えてここ数年はじゃがポックル等を買う人が多い。個人的には六花亭のレーズンバターサンドが好みだが、職場に持っていくには上等すぎるし値が張るから、今日は間をとってルタオのチーズクッキーを購入し、意外と混んでいる出発ターミナルへと向かった。空は曇っていたが、雲上に出れば満月が煌々と輝き、たまに雲が透けて下界の灯火が煌めく様がたいそう美しい夜であった。

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