公共交通機関で行く北海道限界旅行記3日目/4泊4日

留萌駅の広々とした1番線ホームに1両のディーゼルカーがポツンと停まっている。これが留萌本線の深川行き上り2番列車であるが、本線を名乗る割にはあまりに物寂しい光景である。

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留萌本線はかつて深川から増毛までの路線であったが、2016年に留萌増毛間が廃止され、以来残る深川留萌間も廃止が噂されている。実際2019年度の深川留萌間の営業係数は1821、すなわち100円の利益を出すのに1821円かかっており、赤字路線だらけのJR北海道の路線群のなかでもワースト2の値を叩き出している。留萌もそう簡単に来られるところではないし、もう次はないかもしれない。今日は車窓を目に焼き付けておかねばなるまいと思う。

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留萌はかつてニシン漁で栄えた街で、羽幌・増毛・深川方面の3方向に鉄路の伸びる交通の要衝でもあった。しかし今となっては深川方面にしか行けない盲腸線の末端であり、だだっぴろい駅構内からは往時の繁栄だけが偲ばれる。今日は平日の朝であり、ちょうど通勤通学の時間帯の便ではあるけれど、1両のディーゼルカーに乗っている乗客はわずかに7名、それも通勤通学客らしいのはほとんどいない。

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図体の大きな駅であるが、発車5分前になっても改札に駅員の姿は見えない。最近は大きな駅でも早朝深夜は無人になることが多いのでここもそうかと思っていると、列車の出発を知らせるアナウンスが入ったからどうやら駅員自体はいるらしい。

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JR北海道では少しでも赤字を減らすためか「北の大地の入場券」なるものを先月7月18日から発売している。これは裏面が北海道の1/300,000の路線図になっており、全86枚を繋げると北海道の路線図が完成するという代物で、その手の鉄道教信徒が熱心に集め回っているという。しかし駅の窓口など現地でしか発売しないから、広大な北海道を途中下車しながらくまなく回る必要があり、仮に趣旨に忠実に鉄道だけを使って全種類を制覇しようとするのであれば大変な苦労を要すると思われる。流石に集める気にはなれないが、今回は留萌本線の乗り納めになりそうではあるし、記念に1枚ぐらいは買っておいてもよい。そういうわけで駅務室の中の駅員氏に入場券を売ってくれないかと声をかけてみたが、窓口業務の時間外だから売れないと言うから仕方がない。

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6時47分に留萌駅を発車したディーゼルカーは国道と平行して20分ほど走り、やや上りに差し掛かったところで7時11分峠下着。ここで途中下車する。峠下駅はその名の通り石狩国と天塩国の境の峠の直下に位置する駅で、周囲には人家もほとんど無く、いわゆる秘境駅の1つに数えられる。聞こえてくるのは駅前の峠道をたまに通りすぎる車の走行音ぐらいで元々集落があった感じでもなく、こんなところに駅が設けられているのも不思議であるが、列車交換設備もあるところを見ると機関車の給水や信号所としての役割が大きかったのだろう。

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こういう駅で1-2時間ばかりぼんやりと過ごすのは良い気分転換にもなるし、古い駅舎を眺めて往時を偲んだり、駅ノートをパラパラめくってみたり、周囲を散策したり、写真を撮ったり、と意外とやることは多いから、それぐらいの時間はあっという間に経ってしまう。

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乗り鉄をやっていると列車に乗るだけ乗って通過するだけになりがちで、酷いときはその大半を無意識に過ごしてしまったりもするから、ややもすると乗車記録こそ残ったものの何も覚えていない、なんて事態も往々にしてある。それでいい人もいるだろうが、私はどうにも収まりが悪いので、1つの路線につき最低でも1駅は途中駅で下車して散策したいと思っている。運行本数の極端に少ないローカル線ではなかなか難しいが、そういう場所だからこそ一度降りてみるだけでも意外な発見があって大きく印象が変わったりするものだし、上り下りや平行するバス路線、挙げ句は隣駅までの徒歩連絡を駆使してでも、なるべくその機会を捻出するようにしている。

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1時間ほどのんびりした時間を満喫し、8時36分発の後続列車に乗り込む。入れ違いにカメラを抱えた男が1人降りていったから、おそらく同業者であろう。この駅は秘境駅愛好家である牛山隆信氏の作成した秘境駅ランキングで50位台にランクインしているから、その手の人々にそれなりに人気があると思われる。秘境駅でのバッティングは良い情報交換に発展することもあるが、なるべくなら誰にも出くわさずにのんびりしたいときの方が多いし今回もそうであったから、今日は運が良かったと思う。

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峠のトンネルを超え、石狩側に出ると恵比島駅で、これは昔放映された連続テレビ小説「すずらん」に出てきた明日萌駅のモデルとなった駅である。撮影用のセットも残されており、実際の恵比島駅の物置のような駅舎の隣に、それより遥かに立派な明日萌駅舎が併設されている光景はかなりシュールであった。

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その2つ先の石狩沼田あたりからようやくぼちぼち乗客が増え始め、最終的には15人ほどを乗せて列車は9時9分、定刻通りに終点の深川駅に滑り込んだ。恵比島駅では一度降りてみたいが、果たして留萌本線の存命中に再び訪れることがあるかどうか。

深川からは9時19分発の特急ライラックで西へと向かい一度札幌に出て10時25分着、8分の連絡で10時33分発の特急とかちで南東へと斜め後ろに折り返すような形で帯広に向かう。帯広は深川の南東にあたるのになぜこんなルートをとらなければならないかと言えば、滝川と新得を結ぶ短絡ルートであるはずの根室本線のうち、東鹿越新得間が不通になっているためである。

この区間は2016年8月に台風の被害を受けて以来不通であるが、その3ヶ月後の11月、JR北海道は新得から東鹿越の北に位置する富良野までの区間を「当社単独では維持することが困難な区間」として挙げている。すなわち「治したところでどうせ赤字で維持できないから治す気はない」と言っているようなものである。

確かに1981年に石勝線が開通して札幌と帯広・釧路を結ぶ優等列車がそちらを走るようになって以来、かつては道央と帯広・釧路を結ぶ幹線であった根室本線の滝川~富良野~新得の区間は忘れ去られたような線区になっており、時折「運行時間が日本一長い普通列車」の話題になったときに、滝川釧路間300km超を8時間以上かけて結ぶ列車が話題に上がるくらいのものであった。

そもそも北海道は人口密度が小さく、特に鈍行列車に至ってはその需要をほぼ自家用車で代替できてしまうから利用者数は減る一方であって、富良野新得間のような優等列車の走っていない区間はどれも極めて営業成績が悪い。慢性的に赤字を抱えるJR北海道がこれらの線区を切り捨てたいと考えるのも無理はない。

そんなわけで東鹿越新得間はかれこれ4年止まったままなのだが、一応代行バスは走っている。しかし本数が少ないし、前後の区間にも優等列車がないから時間もかかる。結局、札幌を通るような遠回りをしてでも特急を使った方が早い、ということになる。

帯広には13時12分着。ここでさらに8分の連絡で13時20分発の十勝バス広尾行きに乗り継ぐが、その前にバスターミナルで「ビジットトカチパス」を購入しておく。これは十勝振興局住民以外が使える切符で、十勝バスが1日乗り放題となる。定価は1500円で、帯広から広尾までを乗り通すとそれだけで1910円になるから多少の節約になる。

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この広尾行きのバスは1987年に廃止された旧国鉄広尾線の代替バスであり、帯広と十勝平野南端の沿岸に位置する広尾を結ぶ80kmに及ぶ長距離路線である。乗客は意外と多く、しかも途中のショッピングモール等で続々と乗降がある。心なしか沿線の市街も、昨日の羽幌線沿線の街々よりも活気があるように感じられる。中核となる都市が留萌と帯広でずいぶん規模に差があるというのも理由の一つだろうけれど、十勝の誇る農業と酪農が地域を潤しているのも一因ではないかと思う。広尾線沿線は畑や牧場が多い代わりに原野が少なく、明治初期に北海道開拓使が力を入れた成果の表れであろう。

14時11分、幸福で下車。広尾線には愛国駅と幸福駅という縁起の良い名前の駅があった。ある時期それが注目されて「愛国発幸福行き」のきっぷが飛ぶように売れたことがあって、それが今に続くきっぷブームの火付け役だったとされている。駅舎は今でも残っているというから、ちょっと立ち寄ってみたい。

バス停から7分ほど歩くとなにやらモニュメントが立っており「恋人の聖地」と書かれている。私がこれまで旅行した中で、奥大井湖上など少なくとも10ヶ所以上「恋人の聖地」を見かけたように記憶しているが、果たしてどのような基準で聖地の認定を行っているのであろうか。これまで見かけたモニュメント全てに刻印されていた「ライオンズクラブ」なる団体については私は詳しくないが、当モニュメントの建設趣旨について一度話を聞いてみたいものである。

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モニュメントの奥へ進むと、古びたオレンジ色の気動車とホーム、それになにやら異様な色をした駅舎が目に入ってきた。近づいてみると、願い事が書かれた「愛国発幸福行き」の桃色の切符が所狭しと貼り付けてある。肥薩線の大畑駅の駅舎には所狭しと名刺が貼り付けられていたが、こちらは切符が桃色である分、景観としてはやや毒々しい。駅の前には「幸福の鐘」なるものまで設置されており、往時とはまるで別のスポットと化していると考えた方がよさそうであった。

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駅舎の隣の売店で切符を売っているようで、覗いてみると切符だけでなくキーホルダーやハンカチなど様々なグッズが販売されている。広尾線が廃止になってから既に30年以上が経過しているのだが、この売店は年中無休で開いているのだという。それだけ客が来るのだろうが、その何分の1かが廃線当時に広尾線を使ってここに同じように訪れていたならば、もしかしたら結果が変わっていたかもしれないと思うとやや複雑な気分になる。現代の幸福駅に訪れる人々も大半は車で来るのであって、私のようにバスで訪れた者は他に1人しかいなかった。

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後続の15時21分発の広尾行きに乗り込み更に南下し、16時52分広尾着。この辺りに来るのははじめてで、ゆっくり観光したり、秘湯の晩成温泉などに立ち寄ったりもしてみたいけれど、あいにく次に乗り継ぐ17時発様似行きのJRバス日勝線が勢いよく入線してきている。駅前の鉄道記念公園をさっと散策し、広尾線で使われていたという機関車の動輪の写真など撮ってからバスに乗り込む。

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このバスこそが今回の旅程の最大の難関であり、広尾様似間を通しで運行するのは平日3往復、休日は2往復しかない。通り抜けるだけならそれでもいいが、今回は襟裳岬に立ち寄るという目的がある。そうなると休日は広尾発10時発と16時20分発しかなく、10時のに乗ると襟裳岬で6時間も潰さねばならないし、襟裳岬に泊まるにしても前後の都合が合わない。平日は10時発、12時半発、17時発と3本あって10時発がちょうど良さそうではあるが、幸福にも立ち寄ることを考えると前日に帯広に泊まるしかなく、そうなると天売島か焼尻島のどちらかを諦める他ない。様似側から回ってくる場合はもっと条件が厳しく成立しない。つまりは平日、それも旅程の3日目にあたる月曜日の広尾側からの最終便に乗り、襟裳岬で一泊するという筋のみが条件を満足することがわかった。

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今回の旅程はここ数年で一番の出来だと自負しているが、特に今日の出来は素晴らしい。もっともこれはこの広尾様似間を軸として先に大いに考えてから他の旅程を決めたためである。旅程を立てるときは最も運転本数の少ない区間、すなわち最も厳しい制約から満たしてゆくのが原則ではあるが、これだけ癖が多く扱いづらい路線は少ない。これ以外にはない、この苦労はわかる人にはわかるだろう、とひとり悦に入ってみるが、しゃべる相手がいないのが悲しい。

ところで、なぜこの区間のバスをJRが運行しているかというと、広尾と様似の間は元々鉄道で結ぶ計画があり、その先行としてまずバス路線を開業したという経緯があるためだ。しかしこのルートは日高山脈と太平洋の間の道なき道を開削していく必要があり、自動車用の道路を作るだけでも莫大な費用がかかっている。鉄道を敷くなど問題外である、ということで計画は早々に頓挫してしまい、今はバス路線だけが取り残されている。とはいえそのおかげで、手持ちの北海道love6日間パスで乗ることができる。

様似行きのバスは定刻通りに広尾を出発した。乗客は私一人である。運転手に「どこで降りるの」と聞かれたので「岬市街」と答えると、「到着は17時57分で1時間ぐらいかかるからどうぞごゆっくり」という。貸しきりだからこそであろうが、心が温かくなる。

バスは閑散とした広尾の市街を抜けると、早々に海に出て海岸沿いを走り出した。左手に太平洋、右手には日高山脈が迫っており大変景色がよろしいが、このあたりは金を湯水のように費やして開削した道路ということで「黄金道路」と呼ばれている。道を通す隙間もなかったのかトンネルも多い。こんなところでも人は住んでいるらしく、トンネルとトンネルの間のちょっと開けた場所にはだいたい集落がある。黄金道路の開通前はどうやって外界に出ていたのだろうと思う。留萌の近くの雄冬という集落は、かつて外界に繋がる道路が冬季閉鎖となる増毛までの山道1本きりで、1日1便の船便が生命線だったというが、ここもそんな場所だったのかもしれぬ。

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このあたりの集落のひとつに「音調津」というのがある。読みは「オシラベツ」であり、アイヌの語源は「磯多き所」らしいが、~ベツと名のつく他の紋別、音別といった地名と違って別ではなく津の字をあてており、オシラベを音調としているのも気になる。紋別も音別も沿岸の町だが、港を意味する津の字は使われていないし、どうしても音調という字をあてたかったのではないか?と推測してしまう。和名をつけた人がここを訪れたとき、波の音が大変美しかったから感動して音調の字をあてたのではないだろうか。土着の音楽に由来するという説もあり、気になる。一度降りて散策してみたいとも思う。

断崖絶壁の黄金道路を抜けて庶野を過ぎると車窓が変わり、原野や草原が多くなってくる。先程までは晴れていたのに霧が出てきたりしていて、どうやら十勝から日高に入ったようである。日高は馬の名産地であり、道路脇のそこかしこに牧場がみられる。特に内陸部に多いらしく、広尾浦河間を内陸で結ぶ国道236号線は天馬街道と呼ばれているらしい。

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定刻通り17時57分、バスは襟裳岬市街に着いた。大型のバスであるが、乗客は終始私ひとりであった。予約しておいた旅館に向かい、夕食前に襟裳岬を散策したいと言うと岬まで車で送ってくれた。夕暮れ時の襟裳岬であったが、あいにく霧で夕陽は見えず、沖合いの岩礁に群れているというゼニガタアザラシの群れも発見できなかった。日高山脈がそのまま海に落ち込んだような黒々とした断崖と岩礁に向かって、白い波がしぶきを上げていた。

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