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11.「やりたい事やって恥かいて死ねればそれでいい」と思った瞬間

あっという間に2月になっていた。

あの大震災からもうすぐ1年が立とうとしていた。

3月11日東日本大震災だった。
連日連夜悲惨な惨状をテレビで放送し続けた。

この記事はストーリーになっております、マガジンを作ってみましたので、そちらから第1話からも是非ごらんください!

自分はというと高卒で入った工場で何の目標も持たず、惰性で3年働いていた。
世間も何も知らなかった。
回りは皆年上、というか4、5、60代が中心の職場。
当時自分の社交性が無かった事もあり、あまり打ち解けられる人は少なく、工場という閉じ込められた世界でこれからも生きていくのかと思った。
年齢層が高い事もあり、「車が好き」という人はたくさんいたが残念ながら自分はそっちではない。

中の世界でも打ち解けられず、外の世界も知らない。

ようするに完全な世間知らずだった。

そんな人間が自分の意志で現状を変えられる訳がなく、悶々としていた。
ただ、現状を変えたい、ではなく出来ることなら何か変えてみたい。
何かきっかけはないか、自分を変えてくれる何かきっかけは。
このままでは自分は何も持たず、何を残す事も無く人生を終える。


「お母さんが目の前で流されていきました。おそらくもう見つからないでしょう。」
テレビ取材を受けていた被災地の中学生だったと思う。
逃げる途中母親が目の前で流されていった。
それを当然助ける事も出来ず、自分だけが助かってしまった。
どんな気持ちでテレビ取材に応じてくれたんだろう。

この娘は一生脳裏に焼き付いて離れないであろう光景を一生背負い続けていくのだろうか。


「何勝手に責任感感じてんだよ、仕事しろ!仕事!」上司からもその一言で終わらされる。

そりゃそうか、自分が何を感じて、何を言ったところで何も変わる訳がない。
自分は工場で働いて募金箱に小銭入れらくらいで十分貢献してるじゃないか。
これが自分の日常であり現実だ。


プロレス界でも大震災を受けて、興行中止、自粛ムードが漂った。
大会会場でも募金箱が設置され、どの団体もいつか東北に帰ってくる事を目標にしていた。

自分の気持ちは次第にこの世界に入って、自分の為に、そして世の中の力になりたいという風に傾いてきていた。

だが、そこはやはり世間知らずの若造。
「いや、でも、しかし、やっぱり、自分なんか」と一筋縄ではいかない。
今となっては自分が一番嫌いな言葉達だ。

ある日いつものようにプロレス中継を見ていた。
2対2のタッグマッチ。
自分と同い年くらいのレスラーが先輩レスラーに対してサッカーボールキック(座っている体勢の相手にゴールキーパーのゴールキックを蹴るイメージの技)を食らわせた。
そしてとんでもないどや顔をしてみせた。
結局その試合は一番後輩であるその選手が先輩レスラーのガッツリ反撃に遭いボッコボコに負けてしまう。
しかも、試合後のインタビューでは「ぜってえ次はぶっ殺してやる!!」
ときた。
もうやりたい放題。

「これだ!」
リング上では先輩を先輩とも思わない自由なリング。
改めてこれがプロレスだ。


もう、自分の人生なんかどうなってもいい。
やりたい事やって恥かいて死ねればそれでいいんじゃないか。

そこから決意が固まった。
ここからマガジンの第1話に繋がる。

自分の中の天秤が一気に逆方向に傾いた瞬間だった。

そこから「プロレスラーになる!」
という一本道が出来上がった。

「ぜってえ次はぶっ殺してやる!!」

(不適切な表現が含まれてますので格言としてはオススメはしません笑)



母親を津波で亡くした中学生が最後に言っていた。
・何か視聴者の皆さんに言っておきたい事はありますか?

「まあ、なんか家族や身近な人を常に大事にしてあげてください。あと、やりたい事とかやっておいた方がいいと思います。」

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