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勤労感謝の日に、大きなサンマが沖で待つ(読書記録8)


■タイトルは収録作の特徴を

「沖で待つ」(著:絲山秋子)は短編集になっておりまして、「勤労感謝の日」、表題作「沖で待つ」、「みなみのしまのぶんたろう」の三作品が収録されております。

「勤労感謝の日」と「沖で待つ」は解説を読めばわかるように(解説を読むまでもなく、多分肌で感じるでしょうが)、作者の体験が濃厚に反映された短編になっています。

「みなみのしまのぶんたろう」は童話あるいは昔話的な趣向の作品ですが、これもやはり前述の二作のように、働くということが根底にあるのだと思います。ここに大きなサンマというのが出てきて荒ぶるので、タイトルにとらせていただきました。

■各作品登場人物・ストーリー

■「勤労感謝の日」

〇私(鳥飼恭子)三十六歳独身。事故に遭った際、命を助けられた長谷川さんに頭が上がらないが、実際は鬱陶しく思っている。彼女からもちかけられた見合い話に臨むことになるが……?
〇野辺山氏 見合い相手。大企業で働いていることを鼻にかける。清潔感がない。その上、最初の質問がスリーサイズなど、デリカシーの欠片もない。恭子に言わせると「トンチキ野郎」。
〇水谷 恭子の会社時代の後輩。呼び出されて酒を飲み、蚕の話をする。

恭子は近所のお節介な長谷川さんの段取りで野辺山氏とお見合いをすることになるが、耐えきれずに飛び出し、着の身着のまま水谷を呼び出して飲みに誘う。そこで人生について考えたりする。釈然としない感情を抱えたまま帰路にはつけず、喜三昧という中華料理屋に足を運ぶ。

■「沖で待つ」

〇私(及川) 太っちゃんと同期入社。そのため仲がよく、仕事で何かあれば何でもしてやろうと思っている。太っちゃんとは生前ある約束を交わしており、私はそれを守るが、その約束の裏に隠れていたメッセージを知ることになる。
〇太っちゃん(牧原 太) 私と同期入社で、人の好い人物。既に死亡していることが冒頭で語られるが、私と出会う形で物語に登場する。
〇井口さん 怖い先輩。太っちゃんが入社したときからびびっときていて、結婚することになる。

私は太っちゃんが住んでいたアパートに足が向いて立ち寄り、彼の部屋に行くと太っちゃんがいた。だが、彼は既に死んだはずの男だった。
作品の中心は、私と太っちゃんの交流が描かれる。二人はお互いが死んだときのためにある約束をしていた。主人公はその約束を果たす。その上で、妻である井口さんを訪ねたときに、自分の行いの影にあったメッセージを悟ることになる。

■「みなみのしまのぶんたろう」

〇しいはらぶんたろう 文学者で、政治家。電力大臣。失脚しておきのすずめじまの原発所長に左遷される。始めは不満だらけだった島暮らしも、ある出来事をきっかけに気に入るようになり、永田町には帰りたくなくなる。
〇むりこ ぶんたろうの妻。子どもたちを理由に、ぶんたろうについて行くことを断る。
〇へびやま 電力副大臣。ぶんたろうを追い落とそうと画策している。
〇オオサンマ 大きなサンマ。釣り上げた魚を最後まで食べなかったぶんたろうに怒り、島を揺らしたりする。イルカ曰く、いつでも怒っている。

なんでもできたぶんたろうは文学者として賞の選考委員などをしながらも、政治家として電力大臣を務めていたが、陰謀により失脚し、おきのすずめじまの原発所長に左遷させられてしまう。
そこで孤独な島暮らしをして、オオサンマの怒りに触れるなどのトラブルはあったが、徐々にぶんたろうは島暮らしが気に入っていく。

■印象的だった文章(「沖で待つ」から)

  • こんな布袋様みたいな黒服がいるもんか、と私も思いました。

  • 自分の机がある島では、結構口の悪いことを言っているはずの自分が、更衣室と給湯室ではいつも旅行者みたいな気分になるのでした。

  • 現場の人間やお施主さんは汗をかく営業マンに弱いのです。

  • 私を育ててくれたのは会社の先輩よりも、現場の人たちでした。だって、仕事は現場にしかないのですから。

~上記は絲山秋子著「沖で待つ」より抜粋~

■感想

それぞれの短編ともに、働くというのが作品の背骨になって貫いているように読めました。そして、働く、ということが「生きる」ことと密接に結びついてもいます。

そして、主人公三者は、それぞれ何かを喪失した(或いは作中で喪失する)者ばかりです。恭子は上司を滅多打ちにしたために職を失い、及川は言うまでもなく、太っちゃんを失います。ぶんたろうは電力大臣の職を。

物語は、喪失したものを取り戻すものではありません。恭子が再び職を得るサクセスは描かれません。でも、彼らは失った中でなおもがき続け、彼らにとって失ったものに代わる「何か」に触れることになるのです。その「何か」は言葉で説明しうる明確なものではなく。

私にも同期がいて、後輩がいます。水谷のように「ちょっと出てこい」と気軽に言える後輩はいないですけど。同期は貴重なものだなと思います。同じ職場に配属される機会はほとんどなくても、集まればいつでも採用されたときのように話ができる。そういう間柄って貴重です。

仕事を失った先に何が見えるのか、ということは、失ってみないと分からないのだと思います。
私自身、書店員という職を辞めて、今の職場にいます。ヘッドハンティングされたとか、そういう前向きな理由があっての転職ではないので、一度失っていることには違いありませんが、辞めると決めたときには、新しいところから内定をもらっていましたから、失業手当に不安を抱き、職を求めて職安に通う恭子の気持ちは想像することしかできません。

でも、喪失した人間の漠とした不安や焦りみたいなものは理解できます。心の中に、黒い穴に見える、淀んだ塊が居座っているのを。
心に穴が空く、とよく表現しますが、私は穴が空くのではなく、穴が空いたように見える、どす黒い何かがそこに居座るのだと思っています。その何かは常に心に触手を伸ばして締め付け、不安の息吹を注ぎ込んで蝕む。
心の在り方が歪めば、人も歪みます。

物語の中の三人は、この歪みに対して答えを見つけることのできた人たちです。はっきりとはしないまでも、答えの尻尾ぐらいは掴んだ人たち。

だから、これらの物語にはどこか前向きな、後味の爽やかな読後感が漂うのだと、私は思います。

それでは、オオサンマが怒って暴れ出す前に、私は船出をしたいと思います。
沖でお待ちしております。勤労感謝の日まで。

次の読書記録でお会いしましょう。

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