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 宮本くんが鳥になった。
 国語の時間中、何かむぐむぐ言っていたかと思うと、突然手をばたつかせて立ち上がり、そうして手を上下に動かしている内に手が青い翼になって、尖らせた唇がみるみるうちに黄色い嘴になった。体は柔らかそうな赤い羽毛になって、そうして宮本くんは鳥になった。
 僕はそれをちょうど後ろで見ていて、わあと驚いた拍子に立ち上がって、隣の席の山科さんの教科書を腕ではね上げてしまった。教科書が鳥のようにページを羽ばたかせて宙を舞うのと同時に、宮本くんも翼を大きく振って飛び立ち、開いていた窓から出て行くと、北の山の方へと飛び去って行った。しばらくはよく海の絵を描いたときに描くカモメみたいな影で見えていたけれど、やがてその影も見えなくなった。
 宮本くんのお父さんとお母さんは学校にやってきて、おいおい人目も憚らずに泣いて、担任の衛藤先生を口汚く罵っていたけれど、五時限目のチャイムが鳴る頃には引き上げていった。きっと北の山へ宮本くんを探しに行ったのだろう。
 その後、宮本くんは一週間して戻ってきた。北の山から、宮本くんと同じように翼が青く、胴体が赤い鳥を大勢従えてやってきて、北に面した僕らの教室の窓を突き破って校舎に侵入すると、所かまわず白い糞を垂れ流して、嵐のように去って行った。
 鳥が去った後、宮本くんをいじめていた木戸くんが行方不明になった。
 木戸くんは宮本くんに、「てづか」という駄菓子屋で万引きをするよう強要したり、親の財布から千円札を抜き取ってこさせたり、言うことを聞かない時にはひどくぶったりすることがあった。顔に青あざを作って、涙を堪えて、それでも笑っていた宮本くんの顔を、僕は忘れることができない。
 木戸くんが行方不明になったことで、教育委員会というところが重い、それは重い腰を上げて、鳥を撃退するために猟友会の田嶋さんという人を学校に寄越した。
 田嶋さんは前歯に埋め込んだ金歯が自慢らしく、すれ違う生徒みんなににっこりと笑顔を向けていた。猟友会の証であるオレンジのキャップをとると、バーコードの髪型がばれるから、けして脱がないのだと、休み時間に体育館裏で煙草を吸っていた田嶋さんがこっそり教えてくれた。
 そして田嶋さんが来て三日目。鳥たちがまたやってきた。前回と同じ手口で窓ガラスを破って侵入すると、田嶋さんは猟銃を構えてやたらめったら撃ちまくった。狙いなど知ったことかと撃ちはなった弾丸は、教頭の大関先生の頭を吹き飛ばし、トサキントのあだ名で愛されていた、水泳部の戸崎さんの太ももを貫いた。
 鳥は三羽ほど撃ち落としたが、それと引き換えにした代償を考えると、散々な結果と言えた。さすがに学校側も怒って猟友会に異議を申し立てたので、田嶋さんは猟友会の偉い人に呼ばれてすごすごと帰って行った。
 問題として残ったのが、果たして撃ち落とした三羽の中に宮本くんはいたのかということだ。三羽はどれも宮本くんとそっくりで、僕らはおろか、猟友会や教育委員会の偉い人にも見分けがつかなかった。だが、その後鳥の襲来はなくなったので、三羽の中に宮本くんがいたという形で、事件は決着した。
 でも、僕はあの中に宮本くんはいなかったと思う。
 なぜなら、白いペンキを塗ったように、糞まみれでてかてかとした机の前で立ち尽くす僕をじっと見つめていた、最後に飛び去った一羽。あれが宮本くんだと思うからだ。
 あの鳥の背中は、宮本くんの背中だった。僕が宮本くんの背中を見間違えることはない。だって、僕は絶対に宮本くんの背中を忘れてはならないからだ。
 宮本くんがいじめられる原因を作ったのは僕だ。元々は僕が木戸くんにいじめられていたのだ。それを宮本くんが身を挺して守ってくれた。それが生意気だと木戸くんはいじめる標的を宮本くんに変えたのだ。
 宮本くんは自分を犠牲にしてでも、僕を守ってくれた。だけど僕は、またいじめられるのが恐くて、いじめられている宮本くんから目を逸らした。
 だから僕は、僕を守ってくれた宮本くんの背中を、目に焼き付いたその背中を忘れることは許されない。
 二度目に鳥の来襲があったとき、宮本くんは僕を連れていくつもりじゃないかと思っていた。きっと僕の卑怯な振る舞いを怒っていただろうし、木戸くんの他に復讐をしたい相手なんて、僕くらいしかいないと考えていた。
 でも、宮本くんは誰も連れて行かなかった。きっと仲間の鳥のことを優先したのだと思う。三羽の仲間が撃ち殺されたことで、宮本くんは払わなければならない犠牲の大きさを悟って、仲間を守るために退いたのだ。だって宮本くんの背中は、鳥になっても僕を守ってくれたときとそっくりな、仲間思いのものだったから。
 鳥たちはもうやってこない。僕は三時限目の算数をぼんやりと右から左に聞き流しながら、鉛筆をがりがりと齧っていた。するとどうにも口の収まりが悪いなと鉛筆の先を齧ってみたり頭を齧ってみたりしているうちに、両手がむずがゆくなってきた。無数のテントウムシが腕の上を這っているような気色悪い感触だ。
 両手をばさばさと振っていると、腕から青い毛が生えて、みるみる間に翼になる。あっと鉛筆を口から吹き出すと、その尖らせた唇がびよんと伸びて嘴になり、胸筋が発達して、胸を張ったような状態になり、体からもじゃもじゃと赤い毛が噴水のように噴き出してきて、そうして。
 僕も鳥になった。

〈了〉

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