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三巷

※これは「 #青ブラ文学部 」の「港」のお題小説です。

 二人の男が向かい合って立っていた。姿かたちはまるで違うのに、二人とも腕組みをして、反対方向に首を傾げているせいで、鏡写しに見えた。ユニゾンの唸り声が二人の間から上がる。
「参ったな」、言葉と感情がシンクロして同じ旋律を奏でた。
 男たちの目の前には三本の通りが伸びていた。彼らはその辻に立って、困った困ったとただ口にしては相手をけん制するように互いに盗み見る。
 東に伸びる通りはバーや飲み屋、飲食店が多く建ち並ぶ歓楽街へ繋がり、北の通りは金物屋や材木屋、大工などが多く住まう職人街へ伸びる。そして残る西の通りは、富裕層が多く住む、高級住宅街へと繋がっていた。
「急がねば刻限に遅れるぞ」と小柄な蝶ネクタイの男が言った。
「そんなことは百も承知だ。だから困っているんだろう」と馬鹿にしたような調子で言うのがのっぽの青シャツの男だ。
 二人とも三十代前半くらいの年で、その辻では浮くようなフォーマルな装いをしている。
「問題はどの道が正しいのかだ」
 再び二人の声が重なる。互いに顔を見合わせて舌打ちした。それを犬を連れた中年のふくよかな婦人が怪訝そうに眺め、西の通りへと消えていく。
「ああ、今日は夏湊(なつみ)さんの記念すべき日だっていうのに」
 青シャツが天を仰いで顔を覆い、芝居がかった仕草で嘆いた。蝶ネクタイはそれを冷ややかに眺め、ポケットからくしゃくしゃになったメモを取り出して、じっと見つめた。
 そのメモにはただ日付と時間だけが書かれていた。日付は今日で、時間まではあと一時間もなかった。
 この街には文学館があり、今日そこで新人文学賞の授賞式が行われる。なぜ文学館が会場に選ばれたかというと、その文学館の主であり、展示されている文学者の孫娘が文学賞の選考委員を務めているからだと言われていた。
 そして、今年の受賞者に選ばれたのが、この街の図書館で司書をしている夏湊だった。
 二人はその授賞式にはせ参じるため、文学館に向かっていたのだが、文学などにそもそも興味のなかった二人は文学館の場所を知らなかった。この街を訪れるのだって、夏湊のいる図書館くらいだった。
 言うまでもなく、二人は夏湊にご執心だった。二人とも仕事を休んで少なくとも週に三度は図書館に通い詰めたし、本など読みたくもないのに夏湊に話しかけるためにお勧めの本を訊いては読み、感想を話し合うという束の間の交流を楽しみにしていた。いつからか青シャツと蝶ネクタイは互いが恋敵だということを認識し、しのぎを削ってきたが、必要な情報は共有し合うという奇妙な連帯感をもっていた。
 授賞式の話を先に聞きつけたのは蝶ネクタイだったけれども、フェアプレーの精神で彼は青シャツにも情報を伝えたのだった。
 だが、元々蝶ネクタイはこの日見合いの予定だった。母方の親族がもってきた迷惑な話で、母の再三の懇願にも関わらず、蝶ネクタイは見合いの釣書を足蹴にし、母にそっぽを向いて拒絶していた。母も話が通じないとなると激怒し、授賞式の日程が書かれたメモをくすねてくしゃくしゃにして捨ててしまった。
 蝶ネクタイもこれには慌て、青シャツに訊けば答えは返ってくるのだが、借りを作るのも癪に障るので、唇を真一文字に結んで腕を組み、ふんと胸を逸らせて堂々と拗ねている様は、大きな幼児のようだった。
 次の日の朝、母が親族の元に断りの電話を入れているのを耳にした蝶ネクタイはさすがにばつが悪くなって、すごすごと部屋に戻ると、くしゃくしゃのメモが机の上に置いてあった。
 どれだけ僕は母さんの心を慮らない男だろう、と蝶ネクタイはおいおいと泣いたが、かと言って見合いを受けようなんていう仏心は起こさなかった。
 青シャツは蝶ネクタイから授賞式の話を聞いて、恩を売られたままでは気持ちが悪いと文学館までの地図を母親に二枚書いてもらい、一枚を蝶ネクタイに恩着せがましい手紙と一緒に送った。
 そうして二人はそれぞれ地図を頼りにここまでやってきて、この辻で鉢合わせた。まず青シャツが蝶ネクタイの服装を笑い、それに応酬する形で蝶ネクタイが青シャツの髪型を嘲った。すると二人は掴み合いの喧嘩を始め、地図は彼らの手を離れて風に乗って飛んでいき、どこへ去ったのやら、その行方は誰も知らない。
 つまり、二人は道が分からない。迷子ということだ。
 なら、街の人間に道を尋ねれば済むのだが、肥大化した彼らの自尊心がそれを許さないのだった。互いに相手が訊くなら、まあ仕方なかろう、一緒に聞いてやるか、というスタンスだった。
 それゆえ、三つの通りを前にしてまごついているわけだ。
 彼らは恋愛下手ゆえに、恋愛に対する理想と妄想が両輪となって回転し、そのあまりの逞しさに両輪は火花を散らし、ついには火の車となって回り始めた。即ち、相手の気持ちなど置き去りにして、求婚しようと思考を飛躍させたのだ。この記念すべき日に、颯爽と壇上に舞い降りて、上着のポケットに忍ばせた指輪を差し出し、告白をする――、そのシナリオまで二人の頭の中ではそっくり同じに出来上がっていた。そして、それを相手に悟られてはならないと緊張しているのも同じだ。
「君は東の通りへ行きたまえ。おれは西の通りを行くことにするから」
 ハンカチで汗を拭きながら提案した青シャツに対し、蝶ネクタイは色をなして反論する。
「歓楽街に文学館など建っているものか! 君は自分だけ辿り着いて、僕を出し抜くつもりだな」
 青シャツは相手の剣幕に気圧されたが、にやりと笑った。
「出し抜くって何をだい?」
 相手の出したボロに鼻を鳴らして、探るように眺めた。
「いや、それはだな、夏湊さんに、いや、そのう、あれだ、彼女に一番にお祝いを言う栄誉だよ」
 ふうん、と青シャツは訝るように眺めながらも頷き、「なら公平に二人で同じ道を行こうか」と提案する。
 いいだろう、と蝶ネクタイは胸を張って威厳を保とうと試みながら、おもむろに頷いた。
「君は西の通りだと思うか」
「ああ。文学なんてものは、金持ちの道楽だ。金も時間もある奴のね。生きるか死ぬかなんてことを机の上でのんびり考えていられる暇な奴は、生きるか死ぬかの生活など本当に送ったことのないおめでたい奴さ」
 青シャツは得意げに持論を展開するが、蝶ネクタイは苦り切って、「君のそういうシニカルなところは危ういんだ。頼むから、夏湊さんの前では披露してくれるなよ」と釘を刺した。
 青シャツもばつが悪そうに「心得ているさ」と嘯きはするものの、声に張りはなかった。
「だが、朧げな地図の記憶でも、西を指していたような気はする。するんだが……」
 蝶ネクタイは振り返り、後方に高くそびえる、福祉センターと壁に書かれたビルを見上げ、首を傾げた。
「なんだ、煮え切らん奴だな。どう考えても西だ。急ごうぜ、授賞式に遅れる」
 促されてもなお、蝶ネクタイは何か引っかかると見えて、後ろ髪を引かれるようにビルを振り返りながら歩き出した。
 二人は住宅街を歩いた。緩やかな坂を越え、急な石段をふうふう言いながら上り切ったかと思うと、今度はそれ以上の下りの石段で、下りきる頃には足が棒のようになっていた。そして瀟洒な住宅地の、庭という庭の犬たちから吠えたてられ続けても、進んだ。
 そして気づけば、二人は穏やかに凪いだ海が広がる、人の気配の少ない港に立っていた。地平線の向こうが群青の弧を描いている。
「なぜだ!」と青シャツが頭を抱えて悶えていた。
 蝶ネクタイは呆けたように海を眺め、蝶ネクタイを外して襟元を涼しくして、近くで釣りをしていた老人に近付き、訊ねる。「文学館はどこにあるんでしょうか」と虚ろではあるが、はっきりとした声で。
「んあ? 文学館。それなら福祉センターの隣だがな」
 ああ、と蝶ネクタイは眩暈を感じてふらつき、辛うじて踏み止まる。自分が引っかかっていたものの正体に気づき、そのあまりの間抜けさに、昨日に戻って思い切り自分を殴り飛ばしてやりたいほどの絶望に襲われた。
 腕時計を見る。授賞式は、今頃夏湊のスピーチに差し掛かった頃だ。今から戻っても、到底間に合わないし、戻るにしても、もはや精魂尽き果てていた。
 蝶ネクタイは青空を流れる雲の隙間に夏湊の美しい微笑を思い浮かべて、涙ぐんだ。青シャツは人目もはばからずおいおい泣き、ぎょっとした釣り人の老人の魚籠の魚が跳ねた。
 空では、ウミネコが無邪気に鳴いている。

〈了〉

山根あきら様、企画に参加させていただき、ありがとうございます。
自分の作品の解説など恥ずべきことで余人にするものではありませんが、念のため。
「巷」には分かれ道の意味があります。「三」つの「巷」が一つになって「港」に辿り着く、という内容のものになっておりますので、企画の趣旨にも合っているかと思います。蛇足でしたら申し訳ありません。

 #青ブラ文学部  


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