見出し画像

わたしがデザイナーになるまでのこと

幼稚園の頃、将来は何になりたいか問われたことがあった。

まだ幼くて、友達に「歌手って言おう」と誘われたので、「歌手」が何なのかまだうまく理解できてなかったけど、園長先生にそう伝えた。すると、驚くことに、それは別の子が言ったから駄目だと言われた。その理由が理解できずに泣いていると、園長先生に、近くのスーパーのレジの人にしようと言われ、それがそのまま卒園アルバムに載った。

小学生の頃、卒業文集に将来の夢を書かなければならないとき、何も思い浮かばなかった。幼稚園の時の「歌手」という夢を話してくれた友達は転校してしまっていたし、誰かと夢を一緒に決めるような感じでもなかった。子供なりに、差し障りない答えとして思いついたのは「誰かの役に立つ仕事」だった。その時は、母に「どうしてそんなこと書いたの」と言われてショックだったことだけは覚えている。

そんな「夢」というものを否定されつづけて十数年。転機が訪れた。

小学生の高学年からインターネットが一般家庭にも普及しはじめて、懐かしのADSLとか使って、全国の顔も見たことがない人とチャットを始めた。その頃の友人の一人に、北海道の子が居た。岡山に居ながら、北海道の人と会話ができる、このことに、ひたすらインターネットに夢中になった。

中学にあがると、当時好きだったアイドルを通じて、全国に友達ができた。そしてその友達と交流するために、ホームページを作り始めた。

何から手をつけ始めたのかも覚えていないが、毎日夢中になってパソコンを触っていた。そしていつの間にかcgiを使って掲示板を作成するにまで至っていた。

その頃、とにかくホームページを作るのが楽しかった。毎日のようにリニューアルと言って色や写真を変え、コンテンツの更新こそなかったが、見た目がコロコロかわるホームページだった。そして、そういう見た目の部分を整えるのが楽しい、そういう仕事がしたいと思って調べてみると、「デザイナー」という仕事を見つけた。これしかない、その時、強く思った。

地元には工業高校があって、そこにデザイン科があった。高校はそこに進学すると中学1年で決めた。けれど、進路相談の時期になって、今度は父に反対され、普通科の高校に進んだ。父は大学に進学してほしいと思っていたようだ。(別に、工業高校に行っても大学進学はできたと思うけれど)

普通科に進んでから、一度、将来像について考え直してみた。コーディングはシステム構築に似ているし、パソコンを使うようなものであれば、興味があるなと思い至った。でも決してデザインの道も諦めたわけではなかった。1年生の終わり、文系に進むか、理系に進むかの選択を迫られた。デザインに進むなら文系、工学系に進むのであれば理系。悩んだ末に、理系を選択した。その時点で、工学系=大学に進学が必要だと思ったので勉強が要る、でもデザインなら専門学校もあるので、(通常教科の)勉強は要らないなと思った。この時点でも、まったく、デザイナーの道を諦めていなかった。

そして、高校3年生。工学系を見据えて、理系に進み、数Ⅲ、数Cまで習得していたが、結局デザインを諦めきれなかった。クラスメイトが必死に赤本で勉強しているそばで、わたしは美術部に出入りしてデッサンを始めた。今思えば大分遅いスタートだったように思う。

地元のデザインの専門学校に進学。そこでデザインを学んだ。基礎はもちろん、基本的なソフトウェアの操作など、一通り必要なことは習得できたし、そこで生涯の友人もたくさんできた。

就職の時期になって、たまたまご縁があって、ウェブの制作会社から声がかかった。学校はグラフィックデザインが中心で、ウェブの授業はほとんどなかった。そのためか、独学でホームページを作っていたわたしくらいしか、手をあげなかった。そして、運良く、その会社に就職することができた。

最初の頃はデザインも任されることはなくて、作ったデザインもリテイクが何度も必要だった。そこから10年以上、今ではデザインだけではなく、高校や大学の講師、ディレクターやマネージャーとしても仕事をさせてもらっている。

それでも、やっぱり、未だに私は「デザイナー」であることにこだわっていて、恐らくこの先もずっと「デザイナー」であり続けたいと思う。

誰かが、わたしの経歴を見て、夢に迷ったとき、自分の好きなことを信じて、貫いていこうと思ってもらえると嬉しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?