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【保育記】そこまで強制しなくても良くない!?私が思う子どもに関する謎ルールと案

「○○しなければならない」という決まりが多くある教育・保育現場に時々息苦しさを覚える。自分が強制されることが好きじゃないから余計に。

平等、、、今は家庭の状況もかなり異なるし、子育てに関しても情報が多いからなのか、それぞれの家庭が自分達の考えに合う子どもとの接し方を選択・実践し、家と教育の現場でのギャップが大きいのではないかと考える。
家では自由で何でも好きなことができる子が、教育の場では強制されることが多く、苦しく感じてしまっているように思う。そして、指導する側も苦しい。

どうしても教育・保育現場では子どもたちの自己決定や挑戦して失敗する経験が少ない上に、不快な状況を我慢しなければならない姿を多く感じる。あくまで主観だけど。


私が思う謎ルール!

・朝、家から頑張って着替えてきたであろう制服を、園に来たらすぐに体操服に着替える!

(これが嫌で登園拒否する子もたくさん見てきたし、保護者の方にも朝の着替えってなくなりませんか?って聞かれたことも多々。
また、朝の着替えは先生側にとっても正直かなりストレス
なかなか着替えないと活動が遅れるし、あれがないこれがない衣類の名無しの権兵衛が始まる。遅く登園した子は朝の自由遊び時間が無くなって楽しいスタートが切れない。年齢が低いとそこに先生の手が取られて十分に他の子に手が回らない。などなどマイナス点が目立つ)

⇒体操服で登園して、朝からいっぱい遊んで汚れて、帰る時に綺麗な制服で帰るのではダメ?これだったら着替えの習慣を身に付けるという意味では成り立つのではないか。

・みんな同じタイミングで歯磨き、みんなで着替え!

(スピードに乗れない子を待ったり、少し焦らせたり。待ってる子がやんちゃしだしたり、遅れている子が嫌な気持ちになったり、焦らないままマイペースを貫き待っている子がワイワイしだしたり。で、全体としての終了時間も遅れるから、なんとなくピリピリした空気に。)
(着替えに関しては、着替える場所にもよるが一斉に着替えることでお友達のものと間違えてしまうことも)

⇒正直、歯磨きや着替えができていればいい!同じ時間磨いたからといって、一人ひとり口をあけてもらってちゃんと磨けているかまで確認できないし!着替えは乱れていたら声をかけて少し直せばいいし!
(年齢と時期にもよるが)終了時間だけ決めておいて、終わった子からどんどん次の行動をしてもらう。そして、遅れている子が困っていたりしたら、終わった子で手伝いたい気持ちのある子に少しだけ手を貸してもらうとか。先生側としても、遅れている子にだけ配慮すればいいので気持ちに余裕が生まれる!

・話を聞くときは体育座り!子どもはずっと聞いているだけ!

(この姿勢結構辛くないですか?これに関しては背骨が曲がるという情報もある。)

⇒あくまでも、メインとなるのは話を聞いて理解してもらうこと。だから、それが達成できれば、周りに迷惑をかけない、自分が話に集中しやすい姿勢であればいいのでは?
海外の教育現場では、いちいち姿勢を問わないという話も。また、学校の授業では、目標さえ達成できれば教室の中でも外でも自分で学習に集中できる場所を選択できるという場合もあると聞く。

先生の話の途中や絵本の途中で話し出す子どもに対し「今話してるから」と静止するだけの先生を時々見る。
子どもはその時感じたこと発見したこと理解したことをその場で共感したかったり、確認したかったり、その時話さないと後で同じ考えや感想は出てこないことも。それに、子どもの話から広がることも多くある。遮ることで自分事として捉えられず、思考が止まってしまうこともあるのではとも思う。
だから、何を伝えているのかにもよるけれど、進行の大きな妨げにならない程度に一度短く話を聞いたり、問いかけたりして巻き込んでみたり。その後「一度最後まで話すね」と伝えるといいのでは。

・遊ぶ場所はこの範囲と線引き!この順番でやってね!これはここに置く!など行動の強制

(とにかく狭い!安全面の配慮とはいえ自由がなさすぎる!トラブル続出。遊びが限られる。自分で考える力がなくなる。)

⇒年齢にもよるけど、別に線引きして囲いを作らなくても良いのではないか。最初から決まっていることで”自分のやりたい・やりやすい×危険な場所・迷惑がかからない場所=それをすることができる場所”を自分で考える経験がなくなってしまうのでは?と思ってしまう。また、狭い範囲だと余計にストレスなのではないか。
遊ぶ場所に関しては、そこで遊んだことで誰かを困らせてしまったり、先生に注意されながらでも失敗や気付く経験することが必要だと感じる。
「ここで遊んだら○○だから危ないな、だからこっちでで遊ぼう」など理由込みで遊ぶ場所や遊び方を考えて、それをお友達同士でも教え合う経験をすることで、自分たちで考える力がつくと思う。空いているロッカーで隠れ家みたいなものを作りたい子もいるので、そういう想像力さえ奪ってしまう結果になるのではないか。



多分まだまだあるけど、本当に集団となると自由が少ない。どうしても強制が多くなってしまう。

もっと子どもの力を信じて、任せて、頼ってみてもいいのではないか。案外子どもの方が柔軟で考える力は大人より優れていると思っている。

教育じゃなくて共育。

これは子どもにも先生側にも言えることだけど、ゴールは決まっていても、そこに辿り着くための道はたくさんあっていいんじゃないかと、つくづく感じる。

教育・保育の現場にもっと自由を・・・

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