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朝には消える薄い霧のように #シロクマ文芸部

秋が好きなのか、泣きたいのか、笑いたいのか、怒りたいのか、寂しいのか……。よくわからない気持ちのような色の空が街全体を包み込む週末の夕暮れに、ある一族が食卓を囲んでいた。

『秋』

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生(そのふ)が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

リルケ 富士川英郎 訳

落ちていったとして、それがたとえ這い出すことのできないような奈落の底だとして。それでも、超越者たる神がすべてを見つめ続け、支えてもいるのだろうか──アントニオ老教授がリルケの詩を円卓を囲む一族の前で朗読しているあいだじゅう、僕はそのようなことをとりとめもなく考えていた。

つい数日前に、遠くも見えにくくなった、と訴える老教授を眼科に連れていったとき、白内障になっていたらもう俺はゲーテもリルケも読めなくなってしまうな、と楽観的な胸の内を僕に吐露していた。
ゲーテやリルケが読めなくなったとしても、サルトルのことを僕に教えてくれるでしょう?それに僕だって拙い文章をあなたに読んで聞かせるくらいはできますから。そんなに悲観的になることもないですよ。と僕は答えた。すると老教授は、いや、じぶんの眼でテクストを追わないと頭に入って来ないんだよ。と微笑みながら言った。ところであなたは高齢者運転免許の項目、認知テストの64個の絵、あれをすべておぼえたんです?と僕は彼に聞き、話題を変えた。

テストの内容は、こうだ。
A〜Dの4グループの中で各カテゴリーが16項目あり、それぞれの絵がある。
Aグループの武器カテゴリーは大砲、動物カテゴリーはライオン、昆虫カテゴリーはてんとう虫。Bグループのは機関銃だか戦車だとかで動物カテゴリーはウサギ。カテゴリーは武器、体の一部、家電、楽器、花、動物、昆虫など……。
テストでは数分だけA〜Dのどれかのグループの全カテゴリーがタブレットに表示される。
数分後に絵が画面から消えて、出てきた絵を順不同でも免許更新者は書かねばならない。

つまり、認知のテストであるが、事前にA〜Dの対応カテゴリー内の絵を覚えておけばそれで済むものでもある。

ああ、あれなら、結構ストーリーで覚えたから大丈夫だと思う。と老教授は少し不安げに答えた。ライオンと仲良しのてんとう虫がタケノコをフライパンで茹でた、とかね。と言いながら、彼は模擬テストの図を見ながら続けた。カブト虫だったかな?どっちだったっけな。明日テストですが、大丈夫ですか?そもそも視力はいくつなんです?とすかさず僕が視力について言及すると、彼は、1.0くらいはあると思うよ、と勝ち誇るかのようにして答えた。

老教授の創る認知テスト対策用ナンセンス・ストーリーに僕は興味を持ち、彼が徹夜で作ったと言ういくつものストーリーを眼科の待合室でずっと話してもらっていた。診察が終わり、白内障の心配はなくなった。単なる視力の若干の低下がわかった老教授は、数日後、つまり今この円卓での演説のために、リルケを引っ張り出して、懐かしそうに詩集を撫でた。秋なんてそのうち消えるだろうけど、まだ俺が生きてるあいだは、秋が夏と冬のあいだにあって欲しいなぁ。と呟きながら、『秋』を何度も朗読し始めた。老教授のよろめきながら朗読する姿から、どうしてか、リルケの《落ちる》と言う表現が《死》であることを示唆しているように思えて、僕は哀しくなった。

朝の濃くて薄い霧は生の讃歌が昇る時、ゆっくりと消えてゆく。その霧のようにして落ちてゆく固有の死、それを支える神──アントニオ老教授が家族に伝えたかった物語の中心がそこにあり、決してライオンとてんとう虫のナンセンスな物語ではないことの落差に僕は微笑み、遥か遠くの星々がそれに呼応し、老教授は眼を瞑りながら、幾重にも広がるこの僕らの愛の旋律を口ずさんだ。


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