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ふたつのエクリチュールの差異──紙に書かれたものと虚無に書かれたものの暴力性

 僕の読書スタイルは書写になりつつある。詩人、思想家や文豪の美しく洞察力にすぐれた文章、名もなきひとのくらしぶりや、洗練された知性とやさしさが垣間見れるエッセイを読むと、書き写したくなる衝動に駆られる。

 とくに、耽美であり人間の実存の神秘に迫るものや、空間が歴史とともに主体となっているような文章が僕の心の琴線にふれて、音楽が流れてくる。言葉は、既に書き手が溢れさせてくれているのだから、音楽が、旋律が流れ、僕をこの殺伐とし平板(至高の感性──理性をふまえて、かつそこを離脱成功した感傷や憂愁からはじまるがそれを切り離す動物らしい感情、感性──とかけ離れた)で残酷な世界から連れ出し、ありのままの僕の、僕だけが持つ固有の世界へといざなうのがたやすいのだろう。

 白紙に黒い記号が並ぶ──紙に。デジタル、このnote含めて、あらゆるSNSというインターネットの、デジタルの世界にではなくて、紙に。

 紙に書く、気に入った文章も、字体が気に入らなければ、くしゃくしゃに丸めてくず籠へ投げ入れてしまえばよい。だれにも渡していなければ、そうした自由と権利が書き手に残されている。
 だが、他者へと渡ったエクリチュールは、書き手のもとを離れてしまい、書き手は離れたエクリチュールの存在を容易に消すことは叶わない。だからこそ、書くときの情熱と冷静さに細心の注意を払い、責任を持つのは自明かもしれない。
 取り消したり、考えを改めたり、補足したりするのは容易ではなく、一方的にできない。受け取り側との双方向コミュニケーションが求められる。

 だが、インターネットの広大な海の中では、それらは容易にできてしまい、なおかつ、パラドックス的に、消したくても消せない──書き手の一方的な押し付けしかない場合において、とくに、そうであろう。

 白紙に羅列された記号の、その余白から生まれた感情は、常に、虚無へと帰される可能性があるのだ。

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 『愛の渇き』三島由紀夫 著を久方ぶりに読んでいた。

「生活というこの無辺際な、雑多な漂流物に満ちた、気まぐれな、暴力的な、そのくせ透明な紺青をたたえた海」
『愛の渇き』 三島由紀夫全集 新潮社

主人公、悦子の嫉妬と欲望に満ちたこちら側、あるいは読み手の、もっと言えばおおかたのひとびとの日常──人間は嫉妬と欲望から逃れられない。
そうした自然で人間らしい崇高で堕落してゆく穢らわしさ、僕ら罪深き人間、有罪者たちには、一見、混沌とした日常のようである。
だが、日常は混沌を強制的に整然とさせようと他者が働きかける場であり、混沌が赦されるのは日常ではなく、死者たちの世界、あるいは、過ぎ去った時代のみではないか?

混沌が赦されるなら、ありのままの状態を大切にするかもしれぬ──それは不可能に近しい聖者の俯瞰した視点の高み。

朝の春、身体を洗い、ひげを剃り、歯を磨く
中略
そして、私にこびり付いた一日の残りかすを、自分からひきはがさねばならぬように、私は偶然の暗い不明瞭さ(思考の困難)を乗り越えていく。

『有罪者』バタイユ 河出文庫 p209

〈朝の春〉がやってきて、罪を忘れ罰を受けたがる愚かな者、盲目的な者たちが、地獄と気づかぬ地獄の中で、泣き叫び後悔する。欺瞞と傲慢と卑屈の仮面を引き剥がせない有罪者たちのなかでも、もっとも罪の重い、第九圏谷コキュトスの民の贖罪ののち、有罪者を痙攣させ世界の深淵──すなわち笑い──へと誘うバタイユの『有罪者』。

三島由紀夫とバタイユの邂逅を、書写したものを眺めていて、感じた先週。

送りつけたものを簡単に消したり残したりし合うこの無責任な海のなか、僕のとるにたらぬ感情は漂流し、塵のように扱われ、扱い、消えてゆく日々──僕には耐えきれないのだ。どれほどの上手な美しい記号の配置であれ、僕はそうした者たちのエクリチュールの嘘に後から気づき、消耗的な記号の羅列でしかない黒のイロニーがなぜ黒いのか知るときには、いつも手遅れなのだ。

 余白のない世界、存在すらしない、この破廉恥なパロディ。

 この嫉妬と欲望に満ちた偽の混沌世界を聖域に近づいて俯瞰することが、贖罪を真正面から引き受けることに繋がるかもしれない。言葉は目の前に広がる、いま観ている存在すべてや不在の存在には打ち勝てぬが、研ぎ澄まされたものは普遍的価値をみずから発し、不滅の芸術へと昇華するものでもある。それらが死者たちのためにある場合、特にそうかもしれない。

 ヒューマニズムの欠落した平板な現代において、戦争や紛争は、遺伝子に組み込まれたかのような嫉妬と欲望を原始的に気まぐれに思い出しながら、この記号の配置コントロールを上手く嘘で塗り固めることに成功したものたちが勝つのかもしれない。その勝利が一時的なものだとしても。和平を望むものと、和平を望まないもの。固有の死と、だれのでもない大量に生まれる死。すべすべしていたりざらざらとしていたりする一枚の紙と、さわることすらできない存在の不確かな液晶に映り込む嫉妬と傲慢と欲望の渦巻く広大な幻想の海。

 無論、この僕の記号も虚ろな存在しえぬ塵ですらない羅列であることを付け加えておかねばならぬ。僕は夢想する──今すぐ、あらゆる暴力が止むように、僕が森の王になり太陽で暴力装置を焼き尽くすのを夢想する。

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