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とりとめのないこと2023/09/24 夕べに

日曜日。日が暮れ始める頃、妻が一昨年から育てているいちじくにひとりごとを言いながら水をたっぷりとあげた──「夏はもう行ってしまったよ」
いちじくは水が大好きなんだ。

俯きながらまた部屋に戻った。

いちじくは、たくさんの実をつけた。家族が収穫してジャムにしてくれた。
水をあげると生き生きとする繊細な葉っぱたち。
いちじくたちにとって、夏場はたいへんだったかもしれない。

廊下をいくつもの光彩が優しく包み込む──シューマンの幻想小曲集作品12の1、『夕べ』を流しながら、壁に飾られた何枚かのWillem Haenraetsの水彩画を眺めていた。

Willem Haenraets
Willem Haenraets SHEER ELEGANCE WESTIE DOG MATTING
Willem Haenraets Morning Dawn

いきものは、みんな、繊細で、脳が発達すればするほどに、感受性という厄介で不安定なものもくっついてくる。

繊細さと感受性はおなじものじゃないけれど、いつもとなりあわせ。

僕は子どもっぽく、愚かなのだろう。感受性ばかりが突出して、ちょっとしたことに神経質になり、首の後ろが重たくなって、気づけば、心が俯いているときがある。ひとの言葉に敏感になり、たくさんの音と映像が、がしゃん、と音を立てて、いっぺんにたくさん降ってくる──僕の中のひとりぼっちの僕が僕の心臓と肺を締め付ける。何度も何度も何度も何度も締め付ける。
出来損ないの人間なのだろう。もう二十九歳で、青臭い十代なんかじゃない。こんなの、父親として失格でしかない。馬鹿げた妄想に取り憑かれたとしても、僕の周りにいるひとたちを裏切るようなことは、もうできない。

いきものはみんな繊細でわがままで自分勝手なんだ。やさしくしてあげたい。

だから、俯いたら、目線をすこしだけ高くして、お気に入りの絵を眺める。

湿気を含みすぎた風景を心に描いてしまったら、水彩画の柔らかな光彩に目線を映して、裏の山を散歩することにしている。

じぶんと折り合いをつけなきゃ。みんなそうやってるんだから、子どもっぽくてもそれくらいきっとまだ僕だって、できるはずだ。

裏山に秋が唐突にやってきた

すっかり暗くなるのが早くなった。
天を仰ぎ見る。
僕なんかよりも、ちいさくて、繊細な、いきものたちの秋の声、木々のざわめきと波の残響と東の方のオリオン座の囁きに耳を傾ける。

できる限り、遠くの声をさがす。境界線を渡った声たちの遠い声をさがす。

絵と音楽と詩──僕の心の支えとともに、僕の中のちっぽけでひとりぼっちの僕をぎゅっと抱きしめて、声を想い出す。

たくさんの光彩のなか、音のない音楽が聴こえて、季節はずれのようにアゲハ蝶たちが舞い、バレリーナの少女が微笑む。

おまえの足音、わが沈黙から生まれ出て、
敬虔に、ゆっくりと踏まれる歩み、
私の寝もやらぬベッドへ向けて
無言のままに冷たく進んでくる
……(中略)
居ながらにして居ないことの心地よさ、
私はあなたを待って生きてきたのだし
私の心はそのままあなたの足音だったのだから。

『足音』から ポール・ヴァレリー


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