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鏡、レダと白鳥、ローマ悲歌

 朝は少し曇っており、太陽が顔を隠すと少し肌寒い。紺色の作業着も長袖のものを紺色のシャツの上に羽織り、紺色のチノクロスのズボン、紺色のスポーツ・シューズを履いた。SNSではイスラエルとハマスの戦争のことが、ウクライナとロシアの戦争のことよりも多く目につく──そう遠くない現場の現場調査へ向かわないといけない。戻ったら、いくつかの図面のチェックと計算が待ち構えている──行ってきます。いってらっしゃい、がんばって。わたしもきょうは稲荷町まで行かないといけない。そのあと午後から横浜で生徒にレッスンもあるから夕ご飯はできれば作ってほしい。わかったよ──他愛ない会話を済ませ、車に乗って現場へ向かい、計測を終えて市役所へ向かい、申請内容と申請期間をチェックする。事務所に戻ると、昼を過ぎていた。現況図からプラン作成までを午後、淡々と仕上げる前に、一時間ほど気持ちを切り替えるため休憩した。祖父の蔵書の中から、いくつかの美術の本を取り出してぱらぱらとめくっていた。

 西洋美術のいくつかの本のなかで、黄金きんいろの表紙が目についた。『グスタフ・クリムトの世界 女たちの黄金迷宮』解説・監修 海野 弘

一九〇〇年からエミーリエ・フレーゲルとクリムトはアッター湖オーストリアの湖に来るようになった。前回の記事で取り上げた、『The Swamp』もアッター湖周辺の沼地である。

目にとまったのは彼が滞在した醸造所のとなりの牛小屋にいた雄牛、マルティンを描いた『黒い雄牛』だった。絵画は、右手の窓から光が差し、左側の闇に黒牛が潜んでいる。その足元に青草が敷かれていた。海野氏は、古代ローマ、ギリシャ神話のミノタウルスを彷彿し、そこにクリムトを重ねたようだ。

妻が持たせてくれたアヴォガドとエビのサンドウィッチをほおばりながら、ミノタウルスのようなマルティン、あるいは、クリムトに釘付けになっていた。イヤホンから流れてくるラヴェルの『鏡』のいくつかの曲と相まって、幻想的な世界が広がる。ページを捲ると、僕の大好きな『ダナエ』の絵もあった。解説を読んでいると、『ダナエ』には対となる絵『レダ』があることを知った。

一九四五年、インメンドルフ城の戦災(占拠していたナチスが退却時に城に放火)によって焼失したクリムトの絵の一つ、『レダ』。
ゼウスを夢想し自慰の恍惚感に耽るのか、
あるいは、二重の受肉による官能と恍惚の享受によって湖面に浮かぶ白鳥となったのか。

ギリシャ神話のレダとゼウスの化身、白鳥は、多くの芸術家たちがモチーフに用いている。

神話は、諸説あるようだが、スパルタ王の妃、絶世の美女レダに恋した全能のゼウスが白鳥になりレダと交わる。その夜、レダはスパルタ王とも交わっていた。
ふたつの卵を産み落としたレダ。卵からそれぞれ双子が生まれた。
ゼウスの子として、ポルックスとトロイアのへレネ。
スパルタ王の子として、カストルとクリュタイムネストラ。

レダと白鳥のギリシャ神話の内容

クリムトの『レダ』には白鳥のゼウスは描かれていないようだ。『ダナエ』でも彼はゼウスを描いていない。
白鳥は、性愛の象徴でもあり、重要に思うが、クリムトが白鳥を描かなかった代わりに、彼の描いたレダは官能がまとって、レダそのものの肉感的ななめらかな曲線と恍惚感が強調され、僕の心にレダの官能が忍び寄ってきた。

 白鳥の描かれた、別の画家たちの同じモチーフの絵を探していると、ラヴェルの『鏡・悲しい鳥』が終わり、『鏡・洋上の小舟』が始まった。

夏とは違うあかるさとおだやかさをたたえる午後の陽光が窓から机に差し込む。探し当てたレダと白鳥のいくつかのなかで、ティリエの絵に僕は惹きつけられて、湖畔に寝そべり、白鳥に手を差し伸べる裸婦の絵にしばらく見惚れていた。

『レダと白鳥』
ポール=プロスペル・ティリエ(Paul Prosper Tillier 1834-1915)
十九世紀から二十世紀初頭のフランス人画家の油絵。

神がひとりではなく、神々たちがいたころ、ひとはもっと寛容で残酷でもあったのだろうか。けれど、その残酷さには無意味さ、無秩序さや複雑さがなく、いまよりも因果関係は単純明白だっただろう──古代ローマといまをつなぐ普遍の結晶は絵画だけではなく、言葉もそうだ。

私生活。きれぎれの思索、怖れおののき。
麺毛布はヨーロッパよりももっと形状が一定しない。
しわくちゃのジャケツと空色のシャツを介して
何かがまだワードローブの鏡に映っている。
唇をおもむろに開くために、顔よ、お茶を一杯のもう。
大気は年貢をとりたてられるかのように、室内に囲い込まれる。
舞い上がったかと思うと、カケスの群れはもう、カサマツの木立から飛び去っていく──見るともなく窓の外を見ていると。ローマ、人間、白紙──
書き加えられた文字の尾っぽは、まるでネズミが出没したかのよう。
こうして物らはその遠近法において先細るばかり、さいわいにも
当地では遠近法が申し分ないからこそ。こうしてタナイス河の氷上で見えなくなりながら、全身ぶるぶる震えながら、
枯れた月桂樹で頭上をおおってものどもが
うなされている、ありとあらゆる大国の
国境の外に滞留している時間へと。

『ローマ悲歌』ヨシフ・ブロツキイ 群像社

───気付けば午後一時半を過ぎようとしていた。陽光を背にすると白いタイルの床に群青が長く伸びていく。いくつかの画集を棚に戻し、紺色の僕は、のっぺりとした声無き平面へと戻った。




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