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原発@韓国②

 実際に参加してみると、壮観だった。9月23日、韓国・ソウル市内であった「気候正義行進」。路上には約3万人が集まった。周りを見ると、10~40代とみられる人が多い。もちろん、高齢者の姿もあったが、参加者の多くは比較的、若い。
 ノー・ニュークス・アジアフォーラム(NNAF)のホストを務めた韓国の参加者は20代が多かった。わたしは本屋を閉めて参加していたので、その間は無収入。自営業となると、金銭的なことが気になる。一体、韓国の参加者はどうしているのだろう。答えをくれたのは、韓国に10年近く住んでいた日本の参加者。なんと、市民団体から毎月給与が支払われているらしい。
 NNAFに参加した20代の多くは、大学を卒業し、市民団体でフェミニズムや環境、原発問題に携わっている。市民団体によっても違うのだろうが、日本円にして、月30万円程度の収入があるらしい。そのお金は、市民からの会費。市民が会費を払ってまで運動を支えているということは、市民団体の必要性が韓国社会に広く認識されているということだろう。
 それはデモにも現れていた。気候正義行進では、4車線のうち3車線が「歩行者天国」。空も秋晴れで、人と人との感覚も広く、開放感に溢れている。警察もいるにはいるが、私が鹿児島や宮崎、水戸で経験したようにデモ参加者に指図するでもなく、ところどころに立っているだけ。少なくとも、警察官が何かを注意したり、指示したりする姿を見ることはなかった。バスもバス停にはとまれない状態だったが、デモに参加していない市民は、「そんなの当たり前」という表情。どういうルールかよくわからないが、バス停以外からバスに乗り込んでいた。街頭でデモを見ている人の表情を見ると、デモに好意的な雰囲気。市民運動が根付いているように感じた。 
 市民運動がその社会に広く浸透しているか、もしくは敬意を持たれているかは社会を変える一つの要因になりうると感じたのが、台湾の例だ。
 台湾では、原子炉の閉鎖が進められており、2025年に最後の原発も閉鎖される予定だ。原発ゼロを促したのは市民運動だ。2014年には5万人のデモ隊が台北駅前の道路を「違法」に15時間占拠した。15時間も占拠できるということは市民の理解があったということだろう。占拠を指揮した女性もNNAFに参加しており、飲みながら話す機会があった。「今でもいつ逮捕されてもおかしくない」。淡々と話す女性に覚悟を見た気がした。
 川内原発廃炉でも県民投票実施でもなんでもいいが、もし、天文館の電車通りを市民が占拠したら県民からどのような反応が返ってくるのだろう。支持する人が多いのか。それとも、「違法なことをするな」「迷惑だ」という人が多いのか。現状でいえば、後者のような気がする。では、何をしていけばいいのだろうか? まったく思い浮かばない。しかし、嫌なものは嫌だ、ダメなものはダメだ、と一人ひとりが自分にできる方法で声を上げ続けていくしかないように思う。

   すべての者は自身の支配者である。
   マックス・シュティルナー

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