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ほんとホンネ

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素敵な本との出会い、新しい自分との出会いについてゆる~く書いてます。
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中国のブックデザインがすごい件

中国人と言えばインバウンド客、お金をたくさん落として行ってくれる有難いお客さんにもかかわらず、観光公害として取り扱われることが多く、あまりイメージ良く我々には映っていない。マツキヨで爆買いしている彼らを見て文化の微塵も感じられず、ましてや高尚なアートなんてもの、影も形も浮かび上がって来ない。でも最近行ってみた世界のブックデザイン展での中国の作品が素晴らしかったので是非本が好きな人にはお勧めしたい。 中国とアートと言われてシルクの刺繍やコルク細工、つまりは土産物屋にある民芸品

紙々の仕業

とある週末の京都。歩く傘だって、ここではまちの髪飾りになる。夏の雨粒が空を掠り去る音は情熱的なBGMとなって私たち旅人の耳元へ届き、そしてこの都への愛がやがて増殖される。だから頭上から雲までの湿り気もむしろ爽やかだし、そこに充満する恵みのシャワーは実は宇宙からの嬉し涙なんだ。 大阪のそれはそれは南の南。片田舎に住む私がはるばる京都に向かった理由、それはこのまちで紙と戯れるためだ。紙々の世界。かれこれ6カ月以上も亡くなった父の本棚整理を続けていると、本の神様にちょくちょく出く

どうして本って捨てられないんだろう

かれこれ6カ月もの間、大量の本とずっと葛藤している。父の一周忌が過ぎ、手付かずだった亡き人の書斎を片付けようと日々、本と、父の過去と、向き合うことになって思うことは、ただの物(実際には紙の束)とはいえ、多くの人の気持ちが詰まったものを手放すということは、それ相応のエネルギーを要するということ。書物は、その中に文章を書いた人、作って世に出した人、それらを見つけ持ち続けた父、受け継ぐことになった私、とたくさんの人のご縁に引き合わせられてここに存在しているから、それ全部を放り出すの

本も背中が命

よくグラミー賞やらカンヌ映画祭なんかの煌びやかなレッド・カーペットの上でポーズする女優さんのなかには背中がぱっくり開いたドレスを着る人たちがいる。白く艶やかで鍛えられた背筋がすっと通ったその体には女性が見てもそそられるものがある。女は背中が命?そしてどうやら最近、本も背中が命のようだ。それもナマ背中が流行りつつあるみたいなのだ。 ハードカバーがつかない、ステッチがむき出しの製本はまるでストラップレスのヌーブラ。表紙と裏表紙だけで、背中はのりで固まっているだけでつなぎ目も丸見

本とデートする♡

みんな本を読まなくなったとか、本が売れなくなっているとか、嘆きみたいなものを各方面から聞くけれど、はたして本に関わる我々はそもそも空間や空気感を使って本のもつ魅力を最大限にプレゼンしているんだろうか?と、ここオランダはロッテルダムの本屋さんを訪れてみてそう思った。中を歩いて回っているとあれもこれもと本当に目移りするし、何時間でも居たくなる。横に縦に斜めに、本や文房具等、客を飽きさせないようにディスプレイが工夫されていて、どちらかというと本を売っている本の店というより、ここは本

手で繋ぎ合わせる喜び

ここ半年余りの間、父の書斎を断捨離中に出会った美しいビンテージ本の数々。詩集や写真集、ハードカバーから雑誌まで、その風貌に込められた意思のような魂のような空気、その無言でもストレートに訴える「声」の強さに魅せられ、本という手で触れられるオブジェクトとしての価値を見直しているところだ。紙のにおい、フォントの色、言葉の並びに硬さ・柔らかさ。文字の受け皿だと思っていた紙の束も、違って見えてくる。本って意外と五感を刺激するものだって知らなかった。 だから自分で作ってみたくなって、も

図書館をもう一度考える

まだ肌寒さも残るヨーロッパの五月。それでも、ここオランダのアムステルダムでは大人もこどもも元気に自転車でまちの風を切って駆け巡る。水辺のキラキラがまちの様相や人の前向きパワーを明るくするからか、すぐに気温なんて忘れてしまう。「気温」。気持ちの温度。肌が感じる暖かさなんて本当は数字で測れないものなんじゃないかと思う。 旅人の3時間。 何度も訪れているアムステルダムでも、まだ行ったことなかったのがOBA(Open Bibiliotheek Amsterdam)。次の乗継便まで

頭にかぶる本棚!

前からとても気になっていたこの不思議な不思議な本の居場所【スペース】。桜が咲き始めのとある小春日和な1日に、このちょっと変わった異空間を体験するため東京は渋谷へと向かう。あたかも秘密を装う路地裏のバーに並べられた魅惑の酒の瓶みたいに照明が当てられ、配置され、輝きを放つ美しい本の数々は前・後・横に広がる360度。ここは國學院大學内にある「みちのきち」という、なんというか本と自分との社交場、現在と未来が出会い交信する秘密基地のようなところだ。日頃から本のある空間や場づくりに興味が

はじめの第一歩

最近恐る恐るはじめた、本のイベント。本なんて、昔は読みなさいと言われてしぶしぶ読むふりをしていたし、なんとなく風貌が素敵で買い集めた本も読まずにインテリアになっていたり。 でも本って、人間が手で書いていて、実は生身の「ひと」の人生が一言一言、紙に押絵されたアルバムだって気付いた時から、とても本が愛おしく思えるようになり。。今では本と寄り添う暮らしってこんなに楽しいこと、伝えられる機会に恵まれ、とても幸せなんです。 これは「旅に出たくなる1冊」と題して、大都会の真ん中でみん

読むという行為について

でーん。年末、こんな景色を目の前にして本を読み、本のこと考えるラッキーに恵まれたんです。ここは西の端っこ、長崎県の平戸市。今の日本を形づけた西洋化、近代化のはじまりが400年以上も前にこの地で芽生えたらしい。ここにやってきた外国人と日本人との交わりを想像する。地形やまちの成り立ち、店のあり様から人々の営みまですべて、400年前の「その時」からの重なりが雰囲気として見て感じ取れるこのまちが大好きになった。 向こうからやってくる船を昔の人たちは、ここからどういう気持ちで眺めてい

近頃の本屋のかたち

最近のことだが、ふうせんかずらという古本屋さん目当てに、奈良に足を運んでみた。24時間365日無人対応ということをネットで聞きつけ、このふせんかずらの存在がずっと気になっていたのだ。何?本屋版むじんくん?ペッパー?AIここまで来たか!昨今の人手不足・人不足で図書砂漠な地域の課題解決になるのでは、とか。先走る好奇心が頭の中のタイプライターをカツカツ走らせる。だが本当はというと、前回の note (https://note.mu/booksbee/n/nd14df1b918dc 

古本屋の酸いと甘いと

この私、気がつけば、ブック・シェアリングなるコミュニティー活動を始めようという昨今、もちろんのこと本を日常的に貸したり借りたりする楽しみは十二分にわかっているつもり。でもそう言えば、リアルに古本を売買した経験がないことに気づいた。これまで古本と言えば、私にとっては悲しいかなアマゾンのサイトを指し、それも買方オンリー、カードオンリーといった風である。言うまでもないが、アマゾンからのお買い物方法とは必ずこうだ。買いたい本のタイトルや筆者がもう頭にあって、検索カチカチ、一番上のボタ