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今日の百円、明日の百円

「先立つものがないとねぇ…」

よく大人がこぼす、何かをはじめられない時のため息のような言い訳。確かに今の世の中、お金があった方が、解決できること、とりわけ早く無難に解決できる選択肢が増えることは私も否定しない。例えばお腹が空いた時にスーパーに行くと、育てる手間なくして、野菜がお金で買えるから、すぐさま料理に取り掛かることができる。そしてさらに手間を省きたいと思ったらレストランに行けば、買い物も料理もせずに、空腹を満たすことができてしまう。そして体調が悪くなれば、薬を買って飲むと休養せずして一気に体調が回復する。お金を使えば、日常生活上やりたくないことに使うはずの時間を買うことができるのだ。

4年前に会社員を辞めた時から、毎月決まったお給料というものが入らない生活をしている。だから、先立つものがある・ないの違いは身に染みてわかっているつもりである。思い返せば、会社員時代は野菜に限らず、何をいくらで買おうか、買ったかなんて頭をよぎったことがなかった。スーパーに行くと好きなものをかごに放り込み、最後はクレジットカードでタッチ決済。レシートも取らないしカードの明細も見ないから、自分が生き永らえるための食べ物がいくらするのか、今考えると本当に恥ずかしいけれど、まったくもって把握していなかった。地下鉄の運賃だって知らなかったし、いくら税金を払ってるかなんて高度な事も、もちろん気に止めたことがなかった。数字を足したり、引いたり、小人のような「誰かが」銀行口座の奥でがちゃがちゃやってるんだろう、貯金や消費は他人の仕業だぐらいに考えていた。ところが銀行口座の数字がまったく増えない、減るだけの生活がいざ始まると、急にそのがちゃがちゃが自分ごとになった。百円のものでも、十円のものでも、頭が冬眠モードに入り突然何も買えない気分になる。罪悪感から買ってはいけないだろうとか、買えるはずがないとか、かなり極端な妄想までしてしまう。だからお金ってタダの数字ではない。自分のある時点での精神が反映されるから、同じ百円の重みは常に変わるから、結局のところちゃんと自分の物差しでもってお金を管理しなければいけないことに気づいた。そう、今日の百円と明日の百円は違うのだ。

今日見る百円のブロッコリーと明日百円かもしれないブロッコリーは、自分の精神の持ちようでその価値も変わる。金融機関に勤めていながらそんなこともわかっていなかった。でもお金が自分ごとの今では、スーパーで欲しいものを見つけると、その前を何度も何度も通って値札を見てしまう自分の行動がやけに腑に落ちる。そうやって自分の精神を試しているんだ。そこから動くはずのないブロッコリーの値札百円は、わたしの欲しいという念力の強さで伸びたり縮んだりする価値に紐づいたただの目盛りだ。

お金というものを知らないこどもの頃は、欲しいという念力を周りの大人にぶつけることでその欲しいものは手に入った。お菓子が欲しければ甘える、おもちゃが欲しければ騒ぎ立てる、とか。もしわたしがお金というものを知らないおサルで木に生るリンゴが欲しければ、より高く手を伸ばしただろう。そうやって欲しいのエネルギーを活動につなげる。お金という概念がない世界では、こどもでもサルでも、そのものが欲しいという意思の強さだけが、その対象を手に入れることがるできるかどうかを左右する。でもそんなこどもが大人になるといつの間にか、お金がないと死んでしまう、人が生きるためにお金は必要だという誤解の道に陥る。そんなわたしが貯金をとり崩し、自分を追い込むような生活をしてみたから言えること、それはお金は決して先立つものではないということ。重要なのは、先立つそれがないと何もできないのではなく、「想像力を使わずには」できることが数少なくなる、ただそれだけのことである。

「想像力」と聞くと、なんだか大そうに感じるが、平たく言うと「どうやったらできるんだろう」と考えてみる力のことだと思っている。だから自由に使えるお金がある時点から極端に限られてしまったわたしは、どうやったらお金を使わずに健康でいられるだろう(昔ははりの先生にお世話になっていた)とか、どうやったら安くて美味しいものが食べられるんだろう(かつては結構外食をしていた)とか、お金以外の資源を使って、変わらず充実した暮らしを送るには何をすれば良いのかずっと考えている。そして不思議なのは、お金の使い方(上下関係みたいなものかなぁ)が変わるとこれまでは見過ごしていた、小さなこと、生活する上でのちょっとしたハッピーに意識が向くようになった。だから「先立つもの」が少ない今の方が正直幸せだし、人生どこかに進んでいる感覚もわかるし、なによりお金を背にして自分自身が先立っていること、誇りに思う。だから小学生に「お金ってなに?」って聞かれたら、こう説明することにしている。

「トイレットペーパーみたいなもんだよ」

芯までの長さは決まってるから、毎日の使う量は調節しなきゃ。
いっぺんに使って流すと、トイレも詰まるからさ!
分厚い方が気持ちいけど、薄くても事足りる。
そして、なければどうする?心配ない。別に死なないよ!

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