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レティシア書房店長日誌

山下賢二「君はそれを認めたくないんだろう」

 「ホホホ座」店主、山下賢二さんの新刊(1980円)を入荷しました。
書店店長の書いた本ですが、書店論や書評集ではありません。
「台中の街を深夜一人で歩いていたとき、懐かしい感情が湧いた。なんだろうと考えていたら、京都から横浜に家出した初日の感情に近かった。期待と不安と自由がごちゃまぜの感情。あのときの僕は、京都からどこへも出たことのない十九歳(なりたて)で、知っていることはすべて[知っているつもりのこと]ばかりだった。なんでもタカをくくって、自分も大人の入り口に立ち始めているのに大人を向こう側の人種と決めつけて口をきいていた。」
 生意気で不遜な青年(?)から、50代という中年世代になった彼が見たもの、聞いたもの、考えたことがかなり素直に描かれたエッセイになっています。

 「五十代になって思うと、二十代というのはいま以上に自分の賞味期間への焦りと恐怖があった。若さが社会で武器になるとでも思っていたのだろうか。とにかく年をひとつ取るごとに、その具体性のない若さがすり減ることへの焦りは増していった。」
 私は自身は彼のように、「自分の賞味期間への焦りと恐怖」を感じたことはありませんでした。将来のことなんか全く考えないノホホン学生でした。ただ、大学の勉強をほうり出してアメリカに一年間行ったとき、降りたったサンフランシスコの飛行場で、山下さんの言葉を借りれば「不安と自由がごちゃまぜの感情」は確かにありました。
 紆余曲折を経て、書店店主として日々を過ごす彼が店に出るとき、心がけていることが、こんな風に書かれています。
「店に立つときもなるべく駄菓子屋、もしくはタバコ屋のおっちゃん的な心意気で臨んでいる。自分で選んだ本を並べるような店をすると、自分は『知』を提供しているんだというような大仰な感覚にとらわれる危険性をはらんでいると思う。」それは、私も自覚してることです。一歩間違うと、上から目線になってしまうのです。新刊書店員時代に業界の集まりで、「知を提供している」というような書店員の言い方にうんざりしたことがありました。
 成る程山下さんいいところをつくなぁ〜と感心したのは、公衆の目のある環境、例えば喫茶店などで本を読むことを推奨しているのです。
「本を読んでいる姿を第三者に見せるということは、読書の楽しさを見せるということでもあり、読書という娯楽行為そのものを認知させるきっかけになると思うからだ。いまはスマホをいじっている人に本を読んでいた時の楽しさを思い出させたり、もともと本を読まない人にも没頭している読書中の楽しさを身をもって伝えられたら。 これはいわば、運動だ。しかし、この運動の最も大きなポイントは、声をあげなくても、こぶしをあげなくても、引っ込み思案でもできるということ。それも、楽しみながら。読書姿を見せた人と、それを見た人が影響し合って、読書行為が増えていく日が草の根的に伝染していく。いわゆる真の読書ブームが来る日を僕は密かに夢見ている」いいなぁ〜これ。ありがとう、山下さん。「書を持って街に出よう」。


●レティシア書房ギャラリー案内
1/24(水)〜2/4(日) 「地下街への招待パネル展」
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜3/24(日)北岡広子銅版画展

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