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bookwill「小さな読書会」第2回レポート「なぜ私はこの詩に惹かれるのか。自分だけの理由がある」 ゲストキュレーター:及川美紀さん(ポーラ社長)

 新旧のカルチャーが交差する街・蔵前を拠点に生まれたブックアトリエ「bookwill」では、多様な世代の女性たちが安心して参加できる紹介制の対話型読書会を開催していきます。
 2023年4月25日(火)の夜、第2回「bookwill 小さな読書会」が開催されました。さて、今宵はどんな対話が繰り広げられるのでしょう。

 
◆bookwill 小さな読書会◆
10代の中高生、キャリアを重ねたマネジャーやリーダー、研究者など多様で他世代な女性たちが集まる読書会。7〜10人で一つのテーブルを囲み、肩書きや立場を置いてフラットに対話を楽しむ形式です。参加者は事前にゲストキュレーター指定の「テキスト」を読んだ上で参加し、感想をシェア。本をきっかけに対話を重ねていきます。

 
 2023年3月に開催された第1回のゲストキュレーター、浜田敬子さん(ジャーナリスト)からバトンを受け取ったのは、ポーラ社長の及川美紀さんです。

 普段は大企業の経営者として全国各地の営業所を飛び回る及川さんですが、「肩書きや年齢の違いにとらわれず、フラットに気持ちを交換する」というbookwillのルールに則って、「今日この場では、私のことを“おいちゃん”って呼んでくださいね」とニッコリ。この一声で、アトリエは和やかな空気に包まれました。 

 事前に読むテキストとして及川さんが選んだのは、時代を超えて読み継がれる『おんなのことば』(童話屋の文庫)『倚りかからず』(ちくま文庫)。共に、戦時中に青春期を過ごした昭和を代表する詩人、茨木のり子さんの詩集です。

  <第2回「bookwill 小さな読書会」開催概要>
2023年4月25日(火)
ゲストキュレーター:及川美紀さん(ポーラ社長)
テキスト:『おんなのことば』(茨木のり子著、童話屋の詩文庫)、『倚りかからず』(茨木のり子著、ちくま文庫)
 

 及川さんが『おんなのことば』に出会ったきっかけは、ポーラに入社して営業職として奮闘していた30年以上前に遡ります。
 「上司からの“抜擢”を受けて参加したリーダーシップ研修で、推薦図書が紹介されたんです。コトラーやドラッガーの堅いビジネス書の中に、1冊だけ詩集が混じっていることに目が留まって。それが『おんなのことば』だったんです。子育て中で慌しい日常を送っていたこともあって、分厚いビジネス書よりもハードルが低そうという動機でめくってみたのですが、冒頭の詩、『自分の感受性くらい』でガツンとやられました」

 *****
 「自分の感受性くらい」 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ 

 1977年『自分の感受性くらい』(花神社)収蔵
*****


  以来、茨木のり子さんの世界に没頭した及川さんが、詩集を集める中で出会ったのが『倚りかからず』でした。
 「激動の時代、かつ、今よりもはるかに女性が生きづらかった時代に、ままならない思いをぶつけながら、女性たちを決して弱い者扱いせずに鼓舞する。毅然とした怒りを表しながらも、どこか『笑ってやろうじゃないの』とでも言うような気楽さが共存する凛々しさに惹かれます。今でも時々めくっては、茨木さんに叱られたくなる。きっと私、ドMなんだと思います(笑)」 

***** 
「倚りかからず」

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

 1999年『倚りかからず』(筑摩書房)収蔵
*****
 

 女性の自立を促すこの詩に及川さんが惹かれる背景には、「女が自立しないと社会的弱者になる」という持論があるのだそう。
 「私は経済的に苦しい家庭で育ちました。病気だった弟の治療費や私の学費を稼ぐために働きに出たくても姑の目を気にして働けずに泣いて過ごす母親の背中を見ながら、『人生の選択肢を広げるために、経済力は不可欠だ』と強く思うに至りました。お金持ちの男性と結婚したとて、浮気をされて逃げられるかもしれないし、不慮の事故で急に頼れなくなるかもしれない。いざとなったら、自分の腕一つで子どもの一人や二人は育て上げられるくらいの稼げる女になってやるんだと、若い頃から決めていました。『倚りかかっていいのは椅子の背もたれだけ』という茨木さんの自立の精神に深く共感します」  

 茨木さんの生き方に触れようと、その人生の軌跡を記録したムック『茨木のり子 自分の感受性くらい』(別冊太陽)も買って読み込んだという及川さん。
 たくさんの付箋がついた私物の本をめくりながら、「特に好きな詩」として「この失敗にもかかわらず」をピックアップして、自ら朗読する場面も。「私はこの詩の最後の4行が好きなんです」

***** 
この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして

 1982年『寸志』(花神社)収蔵
*****

 「私も失敗だらけの人生なので、この詩がとても響くんです。幾つになっても失敗するけれど、やっぱり生きていかないといけないし、それに理由はない。自分自身も生きものの一人として、同じ生きものである自分の味方に自分自身がなっていこうと強く思える言葉です」  

 この日、読書会に参加したのは、10代の大学生や20代の会社員、大学教員、大企業の役員など、多様・多世代の8人の女性たち。「久しぶりに詩を味わって、自分の心と静かに向き合う時間を持つことの大切さを思い出させてくれました」「私もつらい時期に、『自分の感受性くらい』の詩を書き写した紙をPCに貼って何度も眺めていたんです」など、同じ詩集をめくりながら、感想や体験を共有する時間が流れました。

 詩集に編まれた作品の中から「私はこの詩が好き」「この詩は思わず笑ってしまった」と、“推し”の披露も次から次へ。そんな中、最年少参加者の大学生のタオさんから発せられた意見が、アトリエにひとすじの風を吹かせました。
 
「私、実を言うと……『自分の感受性くらい』をあまり好きになれませんでした」
 


 すかさず、「面白い!どうしてそう思ったのか教えてほしい」と笑顔を向けたのは及川さんです。
 タオさんは恵まれた経済環境で育ってきた自身と、“しなくてもいい苦労”を強いられる友人たちとのギャップに問題を感じているのだと話してくれました。
「ずっと毒親との関係に悩んできた友達だっています。『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』という茨木さんの怒りの言葉は、自力だけではどうにもならない人を追い詰めるのでは」と率直に語るタオさんの意見に、「なるほどね〜」と集まる感嘆の声。及川さんはじっと耳を傾けた後、同じ詩を自分はどう受け止めたのかを説明してくれました。

「茨木さんのこの怒り、他者ではなく自分自身に向けたものだと私は解釈しているんです。すると、ちょっと意味合いが変わりますよね。つまり、自分自身への叱咤激励であると。私にとって、茨木のり子さんの詩の後味はいつもエールなんです。ほら、同じ詩でも、それを読む人や状況によって受け止め方はこんなに変わる。短い言葉だからこそ、相手に解釈を委ねる余白がある。正解はない、まさにアート。詩って面白いですよね」
 
 及川さんの言葉に表情が和らいだタオさんが通うのは東京大学。「入ってみたら2割しか女性がいなくてビックリした」というタオさんでしたが、向かいの席に座っていたのは30年前に同じ大学に入った先輩だったという偶然も。「私の時代は、学部430人中に女性はたった5人だったのよ」とのリアクションに目を丸くするタオさん。これぞ、クロスジェネレーションの出会いがもたらす世界の広がりです。
 ジェンダー後進国といわれる日本ですが、着実に歩みは進んでいる。私たちもまた、その連なりの中にある存在である――。そんな実感を味わえる対話が進む中、及川さんは「声をあげることの大切さ」について話を深めていきます。


「茨木さんは『大学を出たお嬢さん』と題した詩の中で、学を修めても活躍できない女性たちの現状を風刺を効かせて小気味よく表現しています。当時、こんなふうに声に出してくれる女性がいることに希望を感じた女性はきっといたと思います。誰かが声をあげることで、誰かが励まされて、誰かが行動を起こして、誰かが道を開ける。この詩は、今の時代に生きる私たちにつながっているんですよね
 
 詩の感想から発展する形で、「自分の価値観と合わない相手を説得するにはどうしたら?」「言葉では響かない部下を上手に育てるには?」という仕事上のコミュニケーションのお悩み相談にも話題は広がって、あっという間に夜は更けていきます。
 
 最後に、あらためて及川さんが語ったのは「詩の魅力」について。
 
「短い言葉の中に選ばれた言葉に、作者が表現したいメッセージの根幹がある。私は大学で文学部を卒業したのですが、当時の先生に『一つでいいから好きな詩を暗唱できるまで何度も読みなさい』と教わりました。すると、言葉の裏にある心情や情景が浮かぶようになるからと。今夜、皆さんと分かち合えたように、心惹かれる詩はそれぞれに違うもの。そして、その詩に惹かれる理由に紐づく固有の経験が必ずあるはずなんです。『私はなぜこの詩が好きなのだろう?』と自分に問いかけてみて、誰かと時々語り合うと、自分自身や他者のをより深く知ることができるのではないでしょうか
 
 及川さんにとって、茨木さんの詩の後味はいつも「エール」なのだと言います。
「懸命に生きる者たちに贈るエールです。『あなたはあなたらしくていいんだよ。あなたらしくあることで、扉は開いていくんだよ』と背中を押してもらえるんです」
 


 ブックキュレーターのバトンは、若年女性のITキャリア支援を展開するNPO法人Waffleの田中沙弥果さんへと渡されました。第3回の「bookwill 小さな読書会」のレポートもどうぞお楽しみに。
 
 次の記事では、及川美紀さんがセレクトした「次世代に伝えたい4冊」を紹介します。
 
 
まとめ/宮本恵理子