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中田敦彦の『罪と罰』動画へのツッコミ=間違いの訂正(ネタバレあり注意)

 中田敦彦YouTube大学の『罪と罰』動画の間違いが多すぎるということで、一つ一つ丁寧に間違いを訂正していきたいと思います(暇なので)。

 この投稿の趣旨は、間違いの訂正であり、中田敦彦氏を貶めるものでも、彼が底本にした漫画を虐げるものでもありません。

 冒頭に中田氏は『デスノート』との相関性を話していますが、これは良かった。『デスノート』は『罪と罰』のオマージュ的要素もあると思われる。また、ポルフィーリーとの掛け合いは「刑事コロンボ」シリーズ、「古畑任三郎」シリーズにてオマージュされている。

以下本編の注解。

本編

03:52 ラスコリニコフ
 主人公名を「ラスコリニコフ」と表記する翻訳は、少なくとも新しいものでは見当たらない(米川訳、小沼訳、中村訳、江川訳、亀山訳)。

04:06 大家さんが家賃を取りに来る
 原作では大家が家賃を取りに来る描写はない(ドンドンドンと扉をたたくなど)。また、漫画では中年の男が描かれているが、大家は未亡人で、ラスコーリニコフはこの未亡人の娘と婚約していたが娘が死んだためなし崩し的に下宿に居ついている。原作では家主の婦人と顔を合わせないようにそっと家を出るシーンから始まる。

04:30 貧しいまま どうすりゃいいんだ 母と妹の顔が浮かぶ
 原作では主人公が貧しさを「どうすりゃいいんだ」などと呟いたり、母と妹の顔を思い浮かべているシーンは見当たらない。

04:50 最近小金持ちの男と結婚
 原作では序盤で、妹(ドゥーニャ)の結婚についての描写はない。これが明かされるのは、母からの手紙のシーン(岩波文庫・江川訳、68頁以降)。

05:06 論文を書いたんだよ
 原作では序盤では論文についての言及はない。中盤のポルフィーリーによって話題に上がるのが初めてと思われる(未確認)。中田敦彦の論文についての説明は概ね正しい。

07:40 ドンドン
 原作では呼び鈴(岩波文庫・江川訳、18頁)。なお、犯行の後、数日たってからラスコーリニコフはこの住居を訪れて呼び鈴を鳴らそうとするシーンがあり、象徴的なモチーフとなっている。

11:26 明日の朝手伝ってよ 7時
 朝ではなく晩の6時過ぎにリザベータは呼ばれている。7時はラスコーリニコフがリザベータがいないと踏んだ時刻。尚このシーンの間に、不幸な少女が凌辱された話、道端で老馬を飼い主が無知で痛めつける話(斧でたたき殺しちまえ)、ラズミーヒンに会いに行く話が省略されている。

12:28 ピンポーン
 呼び鈴です。

12:49 今日持ってきたのは ひと打ち
 原作では銀のシガレットケースに擬態したナニカを渡して手間取っている隙に斧で峰打ちします。斧の刃は自分を向いているということで、自らを裁ち割いたと読むこともできます。計三回振り下ろします。

13:06 いつもの金庫の
 原作では老婆の財産を持ち出すのに手間取って血だまりに足を踏み入れたり、思うような宝石や金を見つけられずに終わります。財布をむしり取るときに胸にかけた糸杉と銅の十字架のチェーンが外れる。

13:27 姉さん
 今際の際にリザベータが喋るという説明があるが、原作は「空気が足りないといった具合に」言葉を出すことはない。『罪と罰』において空気は一つのモチーフで、ラスコーリニコフの部屋を「空気が足りない」と表現することもある。死に際には穴のあくほどラスコーリニコフのほうを見ている。

14:26 ペンキ屋の男
 ペンキ屋は2階でペンキを塗っている(ラスコーリニコフが出るときにはじゃれている描写)、説明では老婆の家を訪ねることになっているが尋ねる客はペンキ屋ではない。この客は呼び鈴の紐を引っ張る。

15:05 ドンドンドンドン
 ここでドアをたたくのは原作ではナスターシャ(下女)&庭番。

16:40 ポルフィーリー
 原作ではポルフィーリーの名前はここでは出てこない。

17:15 捨てよう
 捨てません。捨てようとするが、岩の下に隠してあります、金も宝石もすべて。その後ラズミーヒンに会いに行く。乞食と間違われて恵まれて金貨をそっと捨てる。

17:45 大学辞めて以来
 上記の理由により何度かラズミーヒンには会っており、この会話はおかしい。倒れるのは、原作ではラズミーヒンと別れて家に帰ってから(寝てる)。ラズミーヒンはラスコーリニコフの家を知らないが、過去の記憶から虱潰しに家を発見する(様子がおかしかったので心配したため)。

18:40 犯人捕まったな
 この説明は唐突感w
 実際には医者(ゾシーモフ)とラズミーヒンとの雑談をたまたまラスコリニコフが聞いていたということ。また、ラズミーヒンは寝ているラスコーリニコフを看病し、医者を呼び、ラスコーリニコフ母からの仕送りを受け取らせ、それをもとでに着替えを安くで仕入れてきてくれる。家主と話を付けてくれてひとまず家賃は今は払わなくていい。ナスターシャの証言でリザベータがラスコーリニコフの服を繕ってくれたこともあることが判明。

20:11 階段の
 宝石を落としたのは2階のドアの影。ちなみに説明されるようなポルフィーリーの名推理は原作ではラズミーヒンの推理として登場する。

20:43 一回外に出る
 待てw
 原作ではここでラズミーヒンとゾシーモフが殺人事件の話をしているところへルージンが訪ねてきて、ラスコーリニコフと決定的な決裂を起こす。理由は母と妹がルージンとの結婚式のため、ラスコーリニコフに会うため上京するが上京資金を出さなかったばかりか、酷い部屋を宛がった事等による。ラスコーリニコフは警察に呼ばれた際に殺人事件のことを耳にして卒倒するのだがそのことを怪しく見ていたザメートフと水晶宮(居酒屋だかバーだかカフェ)で論争し、勝って無罪を信じ込ませるエピソードがある。その後、女の身投げのエピソードと、ラスコーリニコフがすでに清掃・片付け等をし終えようとしている犯行現場を訪れるエピソードがある。マルメラードフのエピソードはその後。

22:30 盗んだ金がある
 盗んだ金ではなく、原作では母親からの仕送りをそっくり渡してしまう。介抱したので、血まみれになったため「ええ血だらけです・・・全身、血まみれですよ」(384頁)。家に帰り母と妹を前にすると気を失う。

23:15 ラスコリニコフもう~
 ラスコーリニコフは苗字なので、母親が子を名字で呼ぶことはない。ちなみに母の名は、プリヘーリヤ・アレクサンドロブナ・ラスコーリニコワ。

24:20 ソーニャが挨拶
 これは翌日なので時系列が違う。ソーニャが来る前に母と妹からマルファ・ペトロ―ブナ(家庭教師先の主人スヴィドリガイロフの妻)の死を聞く。ドゥーニャがルージンと結婚するのしないのとラスコーリニコフといい会うところへ、ソーニャが来る。ソーニャは葬式への出席を打診しに来たのであって、ただの挨拶ではない。また、この時母と妹と同じように席に座らせている。

24:33 ラスコーリニコフの部屋のぼろさ
 ラズミーヒン曰く船底、ラスコリニコフ曰く、棺桶。

25:20 ソーニャが去る
 ソーニャより先に母・妹が席を立つのでこのあたりの時系列は異なる。母はソーニャのことを「これがいちばんのもと」といって、ラスコリニコフの不愛想の理由かのように言っており、覚えが悪い。

26:29 ラズミーヒンに言う ポルフィーリーに会わせてほしい
 唐突だろw
 原作では、母妹が去った後に、父親の形見の時計を質草に入れているからという相談をこっそりするということ。ラズミーヒンと予審判事のポルフィーリーが遠縁の親戚であることは事前に明らかにされている。ラスコーリニコフは事件現場を再訪したことから咎められるのを恐れているのであって、虱潰しに云々の描写はない。

28:43 天才と凡人をどう見分けるか
 むしろ原作では、新しきエルサレムを信じるかどうか、ラザロの復活を信じるかどうか、黙示録を信じるかどうかを問われている。ラズミーヒンはラスコーリニコフの論文を新しい意見ではないといい、実際センナヤ広場で殺人の前に同じような意見をラスコーリニコフも聞いている。ここでラスコーリニコフは犯罪を「踏み越える」と表現している。

31:06 ドンドンドン
 ドアは叩かない。寝ているラスコーリニコフの枕元にそっと立っているのがスヴィドリガイロフの初登場シーン。彼についてはすでに母妹から悪魔的な人物として聞いている。

31:17 スビドリガイノフ
 名前の間違い。スヴィドリガイロフが正しい。ここで説明されているやり取りはすでに母から聞いているために、時系列と説明がおかしい。

33:30 三千ルーブル
 額は正しいが、その場で渡せる金額ではない。2・3週間後。

34:00 ドンドン
 ラズミーヒンとスヴィドリガイロフはすれ違うが、ドンドンはしない。食事会の模様はそれなりに原作通り。

37:00 ラスコリニコフと別れた後のスヴィドリガイロフ
 原作にはない描写。

38:27 ソーニャの部屋
 ラザロの復活場面全カット・・・。踏み越えるという表現。聖痴愚。燭台が照らす殺人者と娼婦。隣の部屋のスヴィドリガイロフ。これらの極めて重要なモチーフについての言及なし。

44:16 蛾の比喩
 蛾の比喩はポルフィーリーの話を要約した比喩としてはいいが、それよりも「22んが4」の比喩のほうが大切と個人的には思う。

46:00 気が付いたらソーニャの家
 マルメラードフの葬式全カット・・・。ルージンがソーニャに罪を捏造し、ラスコーリニコフがそれを助けるくだりもカット。ソーニャにラスコーリニコフが罪を打ち明ける場面が性急。打ち明ける前にラスコーリニコフはソーニャの目にリザベータの目を二重写しに見る。罪を打ち明けたラスコーリニコフにソーニャはひしと抱きしめ口づけをする。

47:20 大地に口づけをして償う
 原作ではソーニャは「いますぐ、すぐに言って、十字路に立つんです。おじぎをして、まず、あなたが汚した大地に接吻なさい。それから四方を向いて、全世界におじぎをなさい。そしてみなに聞こえるように、「私は人を殺しました!」と言うんです。そうしたら神さまが、あなたにまた生命を授けてくださる。行くわね?行くわね?」という。生命をーの下りは前日のラザロの復活を、大地に接吻は大地信仰をそれぞれ。また余談だが、「二人は嵐の後」のくだりは事後とのこと。

47:35 ドンドンドン
 実際にはレベジャートニコフであり、呼びに来たのはポーリャではない。

49:15 外国へ
 スヴィドリガイロフがソーニャの部屋の隣に住んでいたことを知った後、原作ではラスコーリニコフはポルフィーリーにはっきり犯人であると通告されラズミーヒンに別れを告げる。ポルフィーリーとの会話で分離派の話題も。スヴィドリガイロフとのやりとり、ポルフィーリーとのやり取りは必見(でもほぼカットされていた)。スヴィドリガイロフはアメリカ行きを(ソーニャと)勧めていて、一緒にではない。

51:00 ポルフィーリーとの対決
 上記により時系列が異なる。

53:00 ドゥーニャとの対決
 ドゥーニャと別れてすぐ死ぬわけではない。アメリカへ行くといって死ぬエピソードは全カット。

55:00 自首
 ソーニャに見守られながら自首する。自らの糸杉の十字架をラスコーリニコフに渡し、自分はリザベータの銅の十字架を付ける。緑色のショール。

56:00 エピローグ
 病にかかったのはラスコーリニコフではなくソーニャ。彼はソーニャのことを気にかけており、早朝六時、アブラハム的原初風景の中でのシーン。ソーニャはリザベータの聖書が膝、足元にあるわけではない。跪いたラスコーリニコフを許すキリストのイメージが重ねられている。その後、ラスコーリニコフはリザベータの聖書(福音書)を差し入れてもらうことになる。


以上。


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