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障害の社会モデルを裁判所が否定?

5年前、大阪で起きた聴覚に障害のある女の子の交通事故。弁護側、保険会社が、彼女の「将来得られるはずだった収入」=逸失利益を、障害のない人の60%(当初は40%)で計算すべき!と主張。

当時の記事で被告側から出された文書には

『聴覚障害者は思考力・言語力・学力を獲得するのが難しく、就職自体も難しい。就職できたとしても非正規社員が多く、昇進できる者も少なく、転職を繰り返す者も多い』
『働き続けることが困難になるから、得られる賃金も低廉になる』

と明記されていたそうです。

あまりの偏見と明らかな差別に多くの人が立ち上がりました。

先頭に立ったのは、視覚障害や聴覚障害を持つ多くの弁護士たち。
障害がない人でもなかなかなれない弁護士に、障害があってもきちんと合格し、しっかりと稼いでいる前例である弁護士たち。
その姿を見ても、障害者は人並みには働けない、収入を得ることができない、なんて言えるのでしょうか。

私も署名に参加し、noteも書きました。

子どもの可能性といのちの重み|ぶーみおちゃんぷ @boomio1919  #note
https://note.com/boomiochamp/n/n62e51bb54d82


そしてその判決が先日、大阪地裁で出たのですが、、。

聴覚障害の女児死亡事故 逸失利益は85%3700万円余判決|NHK 関西のニュース
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230227/2000071390.html

新聞記事による裁判所の見解は

・2018年の時点では聴覚障害者の平均年収は健常者の約7割で「健常者と同程度」とは言えない

・一方で、聴覚障害者の進学率の向上、アプリの普及などでコミュニケーション手段も充実してきていることから、あゆかちゃんが就職する頃には聴覚障害者の平均収入も増加しているだろう

・あゆかちゃん自身も年齢相応の学力や意欲を持っていたからさまざまな就労の可能性があった

これ、まさに遺族(原告)が言いたかったこと!
障害があったって、将来の可能性は健常者と同じなんだってこと。


それなのに!!
判決は「全労働者の平均年収の85%」!
健常者と同等(100%)は認められませんでした。


裁判長によれば
「さまざまな就労の可能性はあったといえるが、労働能力が制限されうる障害があったことは否定できない」から健常者と同水準は認めない、とのこと。

そもそも、先の読めない将来のことなので、交通事故で亡くなってしまった子どもの逸失利益の計算って何を基準にしているのか、気になって調べてみました。

幼児・生徒・学生の場合、男女別全年齢平均賃金を元に算定。
ただし、男女の賃金格差の問題がまだ残っているため、年少女子の場合は、女性の平均賃金でなく男女を合わせた全労働者の平均賃金を用いる
サイト「交通事故トラブル解決ガイド」より概略

1999年に東京地裁・大阪地裁・名古屋地裁による「交通事故による逸失利益の算定方式についての共同提言」が発表されて、全国でほぼ同じ運用とのこと。

つまり、全国どこに住んででいても、ヤンチャだろうが、おとなしかろうが、勉強が嫌いだろうが、どんな子どもも、みんな全労働者の平均賃金を基準に決められた計算式で算出されるということ。

ちなみに、「学歴や職業とかで賠償金額は変わるんだから障害があれば低くて当然」というコメントも見たのでそれも調べてみたところ、未就労の子供の逸失利益については、そういうバックボーン関係なく、全学歴計・全年齢労働者の平均賃金が基準になるようです。

<未就労者である子供の逸失利益>
被害者が未就労者である子供の場合、基礎収入や労働能力喪失期間をどのように決定するのか問題となります。
まず、基礎収入については、原則として、学歴計・全年齢の平均賃金としますが、大学生又は大学への進学の蓋然性が認められる場合には、大学卒・全年齢の平均賃金を基礎とします。
また、労働能力喪失期間(就労可能期間)の始期は原則18歳とし、大学卒業を前提とする場合には、大学卒業時とします。
大阪A&M法律事務所サイトより

つまり、子どもが死亡した時の逸失利益の計算は条件関係なく平均賃金100%基準のはずなのに、今回85%になった、その15%のマイナス分は、あゆかちゃんが「聞こえない障害者だから」という理由なわけです。

障害があったら、もうそれだけで、いくら環境が整おうか、本人が努力しようが労働能力は制限され、人並みには働けないよ、健常者平均の85%程度だよっていうことを裁判所が決めつけたってことです。

それって、「障害の社会モデル」の考え方を否定してませんか?

障害の社会モデルとは…
一般的に“立って歩けない” “目が見えない“ “耳が聞こえない”などの心身機能の制約を“障害”と考えるのではなく、社会や環境のあり方・仕組みが“障害”を作り出していると考え、社会が障害を作り出しているのだから、それを解消するのは社会の責務とするという考え方です。

2006年に国連総会でこの「障害の社会モデル」の考えを示した「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」が採択され、日本も2014年に批准しています。
そしてそれに基づいて2016年4月に「障害者差別解消法」が制定されました。さらにオリパラを機に「共生社会の実現」のための方針として策定された「ユニバーサルデザイン2020行動計画」でも障害の社会モデルを理解することが示されています。

この「UD2020行動計画」の策定に関わった1人として、今回のように、「障害があったら、それだけで、しょせん、健常者の85%の可能性しかない」っていうような判決は、時代に逆行してるとしか、思えません。

そして、そもそも、現状、障害者の平均収入が健常者の平均年収の7割だということも、「しょうがないよね」と格差ありきで済まされているのもおかしいと思います。
(今回のことも「85%まで認められ、ご両親の願いが届きました」的に報じられたりもしています。)

男女間にもまだ賃金格差があって、少しずつ「それはおかしいよね」となって、その是正が求められるようになってきているのと同じように、「障害者だから賃金少なくてもしかたないよね」ということにも声をあげていかなければならないと思います。

「働けるだけでありがたい」と、差別的な扱いや格差を甘受していたら、何も変わらないと思うのです。
男女間も、健常者と障害者間も、その格差が、社会や環境によって生まれているということに目を向け、個人の努力や責任を負わせるのではなく、社会や環境、仕組みを変えていくことで、格差をなくしていく。

そうしなければ、本当の「共生社会」になんてならないのではないでしょうか。

たくさんの夢や希望を持っていた、あゆかちゃん。
その未来の可能性を、きちんと認めてもらいたい。
そのご両親の願いは、私たち「障害者」と呼ばれる者たちのアイデンティティにも関わる問題だと思うのです。

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