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父が死にました&50歳になりました【訪問看護ステーション開設320日目】

3年弱のプロセスを経て認知症から入院、施設療養していた父が亡くなりました。お世話になった皆様に心からの感謝を。

葬儀のバタバタや仕事のバタバタで日常を過ごすうちに、僕自身は50歳になりました。一昔前ならもう老後な世代。今は「これから」という時代になりましたね。老け込んでる暇がない日常に感謝。

敬愛する養老孟司先生が、亡くなった愛猫まるのことを「時間をおかないと書けない」とテレビ番組の中でおっしゃってましたが、実感しています。

父が亡くなったあと、葬儀準備と葬儀のプロセスが進む中、実姉がずっと「お父さん、死んじゃった」と何度もつぶやいていたのが印象的です。

現実味がないのですよね。

あっけないものなのですよね。


そこにご遺体はあるのに、自分のよく知る父のような、そうでない別の人のような不思議な感覚。

葬儀準備や残された母の今後のことなど姉に甘えて任せて、葬儀後はすぐに横浜での仕事に戻ってしまいましたが、鹿児島滞在中に、姉弟で色々相談したり考えたりしながら数日を気ぜわしく過ごしました。日常に戻ってもやっぱりなんだか現実味がないのでした。でも仕事中もなんだかそれまでより頻回に、時々父のことを思い出すのです。


人の死とは、本当に不思議なものですね。


昨年より企業顧問業の他に、自分自身の新規事業開発として訪問看護事業を始めて、メンバーと苦楽を共にして現場に立ちつつ、利用者さんのお看取り・死に向き合ってきましたが、、、やはり父の死同様、それぞれの皆さんが亡くなった、ということにいまだにある種の現実感がない自分がいます。

この方の歌を聴きながら(1曲目の独自なボヘミアンラプソディーぜひ一度試聴してみてください)、人の死と命の不思議さについて最近よく感じ考えます

音楽に慰めてもらうのと同様に、写真もパワフルだなあと感じます。

亡くなった人の写真についてその価値を最近、すごく感じるわけですが、、、noteを借りて、父の写真についてもここに残しておきます。「遺された写真」は、もっと社会的に活かされてもいい素材と感じています。

父の父母、僕の祖父母です。こうしてみると我が祖父母ながら美男美女ですな。
なんでしょう、、、えーと。私も女装は病院忘年会の定番アイテムでした^^;父ゆずり?
赤ちゃんはかわいい^^。(誰でも)
どこからどうみてもクマソ系モンゴロイドですな。
ほんとお酒大好きな人でした。天文館大学の教授とよく言ってましたね。
高校時代の同級生も皆さん。川島さんイケメン。
痩せてますな。
この当時から女装はコンテンツになってたようですね^^。
彼の子・孫たちが長距離早いのはじいちゃん譲りかもです。
応援してる沿道の友達たちがおしゃれたんらん風^^。

新聞にもお知らせ載ったようですね。



さてさて、父が死ぬと、自分の人生残り時間のカウントダウンを意識するわけです。50歳になった自分にとって、残り時間もあと30年位かあ、と。

そこから逆算して後何年元気で動けるのか、では何年を訪問看護に没頭し、それ以外の何年を何のためにこの命を使うのか。父の死が問いかけてくるようです。


お悔やみのお言葉をたくさん頂戴しました。ありがとうございました。

が、不謹慎なことに悲しい、というよりも、「解放感と爽快感」のようなものを感じている自分がいました。父のためにできることは全てやった、と思えるからだと思います。

父の反対を押し切って理系を選択し、父の反対を押し切って看護師になり、父の反対を押し切って病院に就職し、父の反対を押し切って医者にならずにきた自分の人生の意味が、訪問看護という大きなどんぶりのおかげで統合に向かっていることに、、、感謝と、同時に父とよく戦った自分への労いの気持ちが湧いています^^。

不思議な感覚なのですが、父の死と自分が幸せで充実した人生を歩んでいることが、自分が父に反抗して勝手に生きたことの「それでいいのだ」というバカボンパパの大いなる受容の言葉のように感じられるのでした。父はあっちで苦笑いしているでしょうが、「我(が)を通して正解」そう言われている気がします。

だからこその解放感と爽快感なのかもしれません。

父とはよく喧嘩しました、全く話が通じませんでしたが^^;
めげずに対話や喧嘩の仲裁を試み、通じ合えずに緩やかに諦めていった部分と和解して孫の顔を見せに鹿児島詣でをした日々も、今は懐かしく全てが思い出です。

父は激しい人だったので、生前に恨みを買ったり、嫉妬されたり、馬鹿にされたりしたでしょう。不愉快な想いをされた方もいたでしょう。迷惑かけた皆さん、ごめんなさい。息子として謝罪します。しかし、死んだらチャラですよね。そう思います。死んだらチャラでいいじゃないか。許してね。


僕は僕なりに父を愛しました。それでいいじゃないか。今はそう思えます。

不器用で通じ合えないところもある父でしたが、幸せな人でした。



葬儀のプロセスを通じて、姉と一緒に、ときに棺桶の父の顔を覗き込みながら、ときに親戚の皆さんとの昔話の合間に「お父さん、死んじゃったね」とアホの姉弟のように言い合っていました^^。不思議な時間でした。家族の時間でした。


認知症の進行で、易怒性と暴力が出始めた父を、在宅で見続けられない、と母と諦めた時に、僕は訪問看護をやることを決意したようにも思います(あれ?タイミングどうだっけ?記憶違いかも?)^^;きっかけの一つになっていたことは確かです。

父の在宅療養を諦めた自分が、在宅療養の選択肢を提供する事業者になる。


そのことの意味を日々考えながら、今日も訪問に行きます。


お父さん、いろいろありがとう。合掌。


そして探求は続く。

タイトル画像の遺影は実は、愛犬「ジュン」と並んでいます。
引きの強い父は、8年連れ添った愛犬を連れていっちゃいました。きっと道中1人だと寂しかったんでしょうね〜。父が亡くなってからご飯を食べなくなったジュンは、葬儀の翌日に亡くなりました。ジュンは、介護予防・フレイル予防に僕が提案した運動アイデアのうち、父が唯一採用した「犬を飼う→散歩する」というアイデアの結果でした。保健所で処分される前に父が引き取ってきたのです。
父の足腰の維持に、この8年の健康寿命に貢献してくれたと思います。
ありがとう、ジュン。三郎さんと安らかに。
あ、父の声が聞こえた気がします。
「おまえ、ばあか。ついてきたのか。。。ほら、行くぞ」
ジュンが「あんたが寂しそうだからでしょ」という顔をして後からトボトボついていくのです。
そんな夢を見た気がします^^。合掌。


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