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私が離乳食マニアになったワケ

こんにちは。母子栄養協会の川口と申します。

管理栄養士で母子栄養指導士です。

ここでは、私の所属先である母子栄養協会の記事では書けないような、心のうち?思っていること?を書いていこうかなと思います。

さて自己紹介から始めてみます。


離乳食を研究して32年

私が離乳食の研究をはじめてから、もう32年になります。

32年…早かったです。(いや十分長いですけど)。

当時の赤ちゃんが今はお父さんお母さんになっていて、1つの世代がまわってしまいました。

離乳食相談のアルバイト

離乳食相談のアルバイト先は、現在、渋谷のタワーレコードになっています。昔は「キッズファーム・パオ」という赤ちゃん専門のデパートでした。

当時は原宿の竹下通りには、タレントさんのショップで賑わっており、ちょっと離れた渋谷のこの場所も、例外ではありませんでした。

私が働いていたこのデパートも、タレントさんの経営するぬいぐるみ屋さんが1階にあって、当時の流行最先端のママ達の聖地のように見えました。

そこで私は「離乳食だけを提供するレストラン」という世にも面白い店で学生アルバイトをすることになったのです。

なぜ離乳食?

そもそも、なぜそこでアルバイトをすることになったのかというと、
2つの理由がありました。

理由1:有名な先生に近づきたい

当時、女子栄養大学には高橋悦二郎先生という教授が小児栄養学を教えてくださっており、その方がNHK教育の子育て番組に出ていらしたことから、
「NHK教育の番組に出るような先生に近づいてみたい」という考えがありました。
なんとミーハーなのでしょう。
すみません。当時18歳なのでお許しください。

理由2:ママになることもキャリアになる研究材料

高校生の時に、都内進学校に通っていたのに成績が底辺だった私は、「どうせ女は母親になって働けないのになぜ勉強をしなければいけないのか」と常々思っており、全く勉強をする気が起きませんでした。

当時はまだ「女性は家庭に入るもの」という感覚があったのです。

大学に行くなら、子育てもキャリアになるようなものがいいな・・・

と思い、栄養を勉強し、なおかつ小児栄養であれば、学びが無駄にならず、子育てもキャリア形成の1つとして役立つかもしれないと思ったのです。

今考えてもやはり浅はかですが、きっかけはそんなものです。

どうしても離乳食。これしかない

こんな理由で、私は大学入学時は「子どもの食事でもやっておこう」となり、その後大学で悦二郎先生に出会い「どうしても離乳食しかない」というものになりました。

大学に入学して離乳食がやりたいと、当時インターネットもない時代にいろいろ調べていました。
なんとしても離乳食だったので、企業に電話して「どうしたらベビーフードを作れるようになりますか?」という質問をしたほどです。(ごめんなさい)

運命のつながり

母が、弟の保護者会から帰ってきてひとこと「〇〇さんのお母さんが今度離乳食レストランで栄養士として働くんですって!」と。

なんとビッグチャンス!

紹介していただいて私はすごく限りのあるアルバイトに参画できました。先輩も女子栄養大学の方ばかり。

バイトを卒業するとそのままその運営母体の乳業メーカーに就職されていきましたので、私にとっては「これで就職も安泰!ベビーフード開発ができる!」とルンルンでした。

専門的に勉強しないと!

結果として、そのアルバイトをやっていても、ベビーフード開発できた先輩がおらず。工場で品質検査をやっているという現実を知りました。

そこからやっと勉強する気になった私は、小児栄養学研究室に入って、ベビーフードの歴史と乳児の成長発達について一人でもくもくと研究をしていきました。

先行研究を調べるにも大変な時代。研究室の先生も変わってしまい、研究室の先生はフェニルケトン尿症がご専門だったので、ベビーフードも離乳食も全く興味がないようで、私はかなり自由に研究をし、なんとか卒業しました。

離乳食の研究は奥が深い

離乳食の研究といっても、栄養学的観点、情報伝達観点、保護者の心理の観点などさまざまな切り口ができます。
保護者向けなのか、保育園などの保育者向けなのかでも答えが違うことがあります。

そこが離乳食の研究の面白さです。

こうして私は離乳食研究にどんどん引き込まれていき、32年もたってしまいました。

よく飽きないねといわれますが、研究内容が多岐にわたるので私の中ではまだまだ研究段階で答えなどでていません。

いろいろな機会と私の熱意が重なり、「母子栄養協会」の代表理事に就任しました。

やっと好きに離乳食の研究ができる・・・ 
そんな喜びでいっぱいなのです。

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