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ウクライナのことをなにも知らなかった

ウクライナの歴史のことを私はよくわかっていない。

例えば、キエフ大公国はルーㇱの国だったのに、今のキエフはロシアじゃなくてウクライナと呼ばれる国にあるのか。

昔にこのクソ長いやる夫スレを読んだが中身はほとんど忘れてしまった。

タタールの軛、中世から第二次大戦までの領土争い、ソビエト連邦の支配などで多民族が入り乱れる多様性()の地域になってしまったらしい。

例えば著名なオーストリア学派の経済学者フリードリッヒ・フォン・ミーゼスはリヴィウの出身である。当時はオーストリア=ハンガリー帝国に属していたらしいが今はウクライナである。

私はもちろんミーゼスはオーストリアのどこかの出身だろうと思っていたのだが、この記事でどうもそういうことらしいと知ったのであった。

ウクライナはこのように継ぎ接ぎの多民族国家であり、ソビエト連邦が崩壊した後に急に「あなたちは独立国家ですよ」と言われても、そのような愛国心を持てなかったらしい。というかそもそも祖国とはなんであるかがよくわかっていなかったようだ。

というようなことが、この記事で紹介されている「ウクライナ 国民形成なき国民国家」という2014年のクリミア併合直後の論考に書かれている。

つまり祖国とはなんなのかよくわかっていなかったから、クリミアをあっさりとロシアに譲ってしまったのだ。よく知られているようにロシアに寝返った軍人も多数いた。

しかし、失って初めて守るべき大切なものがあるとウクライナの人々は気づいたのである。現在のウクライナ国民の必死の抵抗の根底にはこのような意識があるのだろう。そしてロシアはそこを甘くみていたということだろう。

現在の日本にも、ウクライナは早く降伏したほうが幸福だという人がいるが、2014年はウクライナの人々がその帰結を腹の底から思い知る契機になったのだ。

上記の論考は非常に面白くて、ウクライナ(および旧ソ連諸国)がナショナル・アイデンティティを育むために必要な要素をいくつかあげている。

ひとつは国民神話であり、それを記念する石碑、英雄像などを建設することである。我が国では修学旅行と称して日本各地を尋ねる行事があるが、自分の郷土以外の記念碑などを訪れることはナショナル・アイデンティティの育成に一役買っているという。

神話とまではいかなくとも、国民的ドラマも大いに役立つし、それらは芸術性や普遍性はなくともよいという指摘も興味深い。これについてはモスクワキー局が強すぎるのがよくないらしい。旧ソ連圏のローカルテレビはあまりおもしろくないから、みんなモスクワキー局を見てしまうとか。これを逆に考えると、本邦で東京キー局が強すぎるのは国民の一体性を強めているといえるかもしれない。

まあなんにせよ私はウクライナや旧ソ連諸国についてなにも知らないということがわかったので、これを機に少しずつ知識を増やしていこうと思うのであった。


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