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熊代亨『何者かになりたい』読んだ

こないだ精神科医でブロガーの熊代亨さん本を読んだので、ついでにもう一冊読んでみた。

どちらかというと若者向けの書籍である。タイトルのとおり何者かになりたいという欲求とどう折り合いをつけるか、つまりアイデンティティをいかに確立するかがテーマだ。

何者かであるためには、何か大きなことを成し遂げるのがさしあたって目標になるだろうが、その高揚感はいつまでも続かないし、いっときの成功はアイデンティティになりえないのである。

自分が何者であるかという主観が大事で、他者からの称賛や肩書はあまり関係なさそうである。

他者の評価を軸にしてはいけないが、評価されるほうがポジティブなアイデンティティを形成しやすい

コミュニティはアイデンティティ形成に有用である。そういう意味で、SNSはデメリットもあるが、上手く使えば役に立つ。一般的には学業や職場などがコミュニティであろう。そうやって、若いうちにアイデンティティのパーツを揃えていく。できれば若いうちは、無難に手広く揃えていくのがいい。

という感じで、書いてあることは概ね妥当であると思われた。

一箇所だけひっかかったところがある。

若いうちにアイデンティを揃えることに関して、いつまでも若い時の趣味を捨てない中年が取り上げられている。

しかし、大半の中年が新しいものになじめない、というより新しいもに関しが少ないのは、彼らが若かった頃に自分自身の構成要素をあらかた選びおえて、アイデンティを確立しているためでもあります。

若いうちにアイデンティティのパーツを揃えることができたら幸せなのかもしれない。

私自身、最近は音楽は中ニ病発症以前に選んだものばかり聞いている。
もちろん中ニ病が治癒したわけではない(熊代先生によると、中二病も「未熟でもいいから自分を何者かにしようとする試み」らしい)。

私は幸せな例なのだろうか。

たんに大人になれないから、いつまでも若いときの趣味にしがみついているのか。

あるいは新しいものを取り入れる柔軟さを失ってしまったのか。。。

もしかしたらマーク・フィッシャーのいうように音楽から未来が消えてしまったからなのか。

あるいはストリーミングサービスによって古い楽曲が新しいものといっしょくたになってるからかもしれない。


とはえい何者かでありたいなどと思わないのが一番幸せなのかもしれないね。いつかそういう境地に到達したいものだ。


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