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第十五話『強いものは強い』

前回までのあらすじ

 紫陽花が咲き誇り、ノラ猫が燕の巣を落とした。

『強いものは強い』


 十月の中旬、久しぶりにぼうぼうの庭のことを書く。真夏は体調のこともあり、書くようなことが浮かぶほど手入れもしていなかった。ほんの束の間、草を抜いたり、水やりをする程度。酷暑の中、とてもカメラで何かを写そうとも思えず、蚊の襲撃に早々に退散するだけだった。

 十月に入り、数ヶ月ぶりにカメラを持って庭を歩いた。紫陽花が枯れ、花に残っている麻色の繊維が美しい。






アボカド

 当初根本で切り取られ、心配していたアボカドの木が大分大きく育っている。身長をゆうに超え、二メーターはある。暑いのが得意なのだろう、緑の葉も元気だ。幹は切り株の根元から左右に二本出ていて、どちらも順調に太さを増している。この先の冬が心配だが今のところ生きている。


 薔薇もほとんど手をかけていないのに、元気に四方八方に勢力を伸ばしている。どこかへ方角を作っていかないと歩くときにちくちくと痛い。涼しくなったので、支柱を立てて這わせようと計画している。

オーウェルの薔薇


 『1984』と言うディストピア小説で著名なジョージ・オーウェル。彼がロンドンの書店で働く売れない作家を主人公に、時代や境遇のやるせなさ、諦めの苦悩を描いた『葉蘭をそよがせよ』にモチーフとして度々登場する葉蘭。貧しくても葉蘭だけは枯れずに貧者のそばにいる場面。強い生命力のある植物で、ここぼうぼうの庭で移植栽培した鉢植えも無事に育っている。ただ根を掘り起こして株分けし、鉢の土に埋めただけ。あとは時折の水やりと雨任せにしていた。それでも過酷な夏を乗り越え緑の葉が増えてきた。

 そのオーウェルという作家について考察を深めながら、さまざまな現代の矛盾や不利益、または、あるのかも知れない希望について論考を進めるレベッカ・ソルニット著『オーウェルの薔薇』(川端康雄/ハーン小路恭子訳 岩波書店)を読んでいる。
 この本は単に、オーウェルの植えた薔薇が美しいだとか、薔薇という植物の持つ個性を著述しているわけではない。むしろ、薔薇を道標として、ジョージ・オーウェルの進んだ道を今までよりも深く詳細に知らせ、レベッカ・ソルニットが思慮を巡らせた、より良きものへの道、そこへ向かう人間としての姿勢を追いかけることができる。

 表紙はあまりにも艶やかな紙質で、好みではなかったために外してしまった。帯と表紙を剥がすと、裸の白地に『Rebecca Solnit ORWELL'S ROSES』と控え目に書かれた面が現れる。この方がしっくりくる。

 伸びまくっているぼうぼうの庭の薔薇は棘も太く乾燥にも負けない強さがある。野薔薇の遺伝子を濃く残したものなのだろうか。オーウェルやソルニットに想いを馳せながら革手袋をはめ、複雑に絡んだ草たちをよけていく。あちらでは芙蓉が空に高く伸び、濃いピンク色を誇らしげに広げる。

 2023年の秋。インターネット越しに流れてくるニュースでは、パレスチナとイスラエルの戦闘が途切れることなく日々を占領している。かつて読んだ作家の言葉が頭をよぎる。

”魂の救いを隣人の絶望で買ってはならない”

カール・クラウス 『ウィーン世紀末文学選』池内紀編訳 岩波文庫 p.219

 あるものはゴリアテよりも肥大し、あるものは投石器を火器にもちかえた。

fine

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