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ポーランド系アメリカ人とロシアの人の奥様が、ウクライナのオデッサで会った話

ウクライナのオデッサ(オデーサ)は穀物の積出港として有名だが、ここは個人的には「知人のポーランド系アメリカ人と、彼のロシア人の奥様が会った場所」だ。なぜオデッサだったのか。今回はその時の経過を書きます。


アメリカに駐在していた時、子会社に勤めているあるアメリカ人がいた。彼はポーランド系であり、オフィスはシカゴにあった。彼によると「シカゴはワルシャワに次いでポーランド人が多い都市」らしい。

シカゴには、ポーランド系住民の街がある。一度シカゴのポーランド料理のレストランに連れて行ってもらったことがある。日本人に合う優しい味だった。


彼の苗字は東欧系のつづりで、どう読んでいいのかわからなかった。発音は「春日部」と聞こえた…クレヨンしんちゃんの故郷、埼玉県の春日部だ。発音的にも似ているようだったので、日本人はみな彼を「春日部氏」と呼んでいた。


春日部氏は東日本大震災の時、偶然出張で仙台にいた。言葉も通じないのに震災に遭って、パニックだったはず。新幹線が止まっていたので、彼は仙台空港に向かった。でも飛行機も飛んでいない。空港で彼は山形へバスで向かうようアドバイスされた。春日部氏は多くの人に助けてもらって、山形経由・新潟経由で東京に戻って来た。その時の経験から、彼は日本人をとてもリスペクトしてくれている。


春日部氏は、ロシア人の奥様と出会い結婚することになった。奥様はサンクトペテルブルク出身で、経過は不明だがアメリカに来て日系の自動車会社に勤務していた。だから彼女は少し日本語が話せる。

春日部氏と彼女とは、東欧・ロシアという共通点があった。また2人とも日系企業で働いていた共通点があり、もしそのことが2人の出会いに役立っていたなら嬉しいことである。

結婚にあたり、春日部氏は奥様の両親に会う必要があったが、当時はアメリカ人はロシア訪問のビザがなかなかおりなかった。2015年か2016年だったので、ロシアがクリミアを併合した直後だったからだと思う。

そこで2人は、ビザがおりるウクライナのオデッサで、奥様の両親と会うことにした。当時は、ウクライナはアメリカ人もロシア人も入国ができた。


その後、2人には新しい家族ができた。でも、ポーランドとロシアの間をつないでくれたウクライナが今、ロシアから侵略を受けている。オデッサは、なんとか侵略を受けないで平和のままでいてほしいと願っている。


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