見出し画像

琵琶湖をゆく~長浜~

 自転車は普段乗るときよりも圧倒的に重い。前後につけている荷物のせいだ。前側には5Lの鞄を、後ろ側には25Lの鞄を左右それぞれにつけている。後ろ側の上側にはテントや釣り具を乗せている。


 湖側から強い風が吹き付けてきた。湖の周回道路につくと湖面が白く波立っているのが見える。僕の頭の中の琵琶湖は早々に崩れ去っていた。湖と言えばキンと平面が静まりかえったイメージだったのだが、海と変わらない荒々しさだ。バチャン、と壁に打ち付けられた水しぶきは道路にも舞ってくる。

 琵琶湖は面積は670平方キロメートルだ。東京23区と同じような大きさである。このたとえは関東圏以外の人間からはあまりわかりやすいとはいえない。水深は一番深いところで約100メートル。200メートルを超えると光が届かず、深海と言われるがその半分ほどであるということだ。これを深いと捉えるかどうかは人次第といえるかもしれない。僕は深いと思うが。

 琵琶湖の周りはサイクリングロードになっている。通称‘ビワイチ’と呼ばれる自転車で琵琶湖一周する150キロのコースがサイクリストから人気を集めている。湖岸沿いの道路には青い印でルートが示されているから道に迷うこともない。ところどころでこの青い印が分岐するがそれは高速コースと低速コースに分かれているからでどちらでも問題無い。ただ、高速コースは車道沿いなため荷物が多くふらふらする僕は分岐する際は低速コースを選択している。低速コースは太い歩道や田舎道をゆっくり進めるから気分がいい。

 米原を北に進むと長浜という地域が現れる。長浜城のお膝元である。道路沿いには長浜びわこ大仏という全長28メートルもあるおおきな大仏がたてられている。このあたりの地域は秀吉が北陸の守護大名浅井長政討伐のさいに活躍した褒美に信長から与えられた土地で、初めて一国一城の主となった場所である。天下統一をはたした秀吉の足がかりであったといえる。このあたりを交通の要所と考えた秀吉は、土地を与えられた翌年には長浜城を築いた。日本唯一の人が住む湖上の島‘竹生島’の材木なんかもつかって建てられたらしい。ここを拠点に中国攻めや北陸攻めが行われていた。信長死後は柴田勝家がこの城主となるがすぐさま秀吉が奪い返している。しかし、秀吉亡き後は取り壊され、、ぞの材木や石垣は彦根城建築に利用された。現在あるのは昭和期に再建されたもので内部は博物館となっている。戦国時代にはこの琵琶湖の周辺には大小1300の城があったとも言われているがそのなかでも長浜城が人々に愛されていた城なのは間違いないだろう。

#琵琶湖 #自転車 #グラベルロード #旅 #紀行文 #青春18切符 #ビワイチ #サイクリング #輪行 #JR

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?