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死後の世界(ショートショート)

 道を歩いていたら、突然、乗用車が突っ込んできた。四つ角で、大型トラックと激突して、俺の方へ吹っ飛んできやがったのだ。
 あまりの突然のことに逃げることもできずに、真正面から乗用車の洗礼を
受けた。
 目が覚めると死んでいた。
 包帯ぐるぐる巻きになってミイラ男のような自分の死体が霊安室で横たわっている。横にボー然とした顔をした妻が立っていた。あまりに突然のことなので心の整理がつかず、涙もでないのだろう。
 包帯でぐるぐる巻きってことは、相当ひどい状態なのだろう。見たいような、見たくないような、そんな気分だった。
 俺は妻に声を掛けようにも通じず、霊安室の中をただ彷徨っていた。そこへ変な奴が俺に話しかけてきた。
「いやああんたも不幸だったねえ。乗用車の運転手はピンピンしているらしいぜ」馴れ馴れしい奴だ。「俺は死神だ。よろしく」いきなりそういわれて、ああこいつが、有名な死神か、と思った。ドクロの顔をした恐ろし気な奴でもなく、魔物のようなマントを着て顔が見えないようにしてあるような奴とも違う。ただの50代くらいの腹の出たおっさんだった。
 俺は黙って死神を見た。少し膨らんだ腹がなおさら死神らしくない。
「あんたも不幸だったねえ。だいたいあんたが死ぬようにはなってなかったんだぜ。あの乗用車の運ちゃんが死ぬ予定だったのになあ。こっちも仕事がやりづれえわなあ。可哀想でさあ」
「何だって、それなら、俺を生き返らせてくれよ。乗用車の奴と入れ替えてくれよ」
「ありゃあ。つまらんこといっちまったねえ。今更無理だって。あの体見たでしょ。包帯グルグル。助かっても普通の生活なんてできないよ」
「それでも死にたくない。どうにかしろ。手違いなんだろ」
「手違いだけど、たまにあることさ。観念しな」死神はそういうと、ついてこいとばかりに、先頭を歩き始めた。
「どこへいくんだ」俺は聞いた。「閻魔様のところに決まってるやないか」
「わかった。閻魔様に直訴する」俺は急いで彼の後をついていった。
 三途の川を渡り、船賃は六文銭より値上げになって5円だった。幸い何故かポケットに5円入っていた。帰りの船代がない。とりあえず閻魔様に会ってからだ。
 しばらく歩くと、閻魔大王のいるところに着いた。どんな怖い閻魔大王かと思いきや、たこ八郎みたいな男が閻魔大王だった。それでも威厳のある衣装を着ている。俺は事情を話して、どうか戻してほしいと懇願した。だがたこ八郎は聞いているのかいないのか、「可哀想だから天国いかしたるわ」といって「つぎのかた~」といった。天国に行くなら悪くはないかな、とふと思ったが、この世に未練があると天国には行けないと聞いたことがある。彷徨って幽霊になるのだ。でも三途の川渡ったしな。どうなんだろう。
 死神が天国行きの列車へ俺を案内した。「もうあきらめなさい。天国なら文句ないやろ」俺は黙って頷いた。俺は列車に乗った。死神とはここで別れた。列車の窓から下を覗くと、妻が泣いているような気がして、やるせなかった。隣に座った爺さんがいった。「あんた若いのに、未練もあるやろ。でも天国にいけるんやから、ありがたいと思わな」その時確かに妻の声が聞こえた。俺の名を呼ぶ声だ。俺は妻に会いたくて衝動的に窓から飛び降りた。
 気が付いたら、俺は一匹のカメムシになっていた。あの臭いカメムシであった。俺は俺であることを忘れカメムシとなってこの世に生まれ変わってしまった。だが本能は妻を求めていた。妻のいる我が家に向かった。網戸に掴まり、悲しそうな妻を見た。誰かが「カメムシがいる」といって殺虫剤をもってきて、俺に吹きかけた。俺は死んだ。虫は死んだら何処へ行くのだろうか。

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