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中原中也

 高校の教科書に中原中也の「北の海」という詩が載っていて、その詩を読んだだけで、中原中也のファンになった。
 早速本を買った。薄っぺらな本であった。僕もこんな詩を書けたらいいなと思いながら、彼の斬新で新しい詩の世界にはまっていった。新しいといっても昭和の初期だ。だが僕には天地がひっくり返るほどの新鮮な感動を覚えた。
 中也は若くして死ぬ。昭和12年、30歳、結核性脳膜炎。鎌倉で亡くなって墓は山口市にある。故郷の菩提寺に葬られている。丁度、国道だったか、県道だったか、広い道の脇に墓地があり、そこのひときわでっかい墓が、中原家累代の墓であり、そこに眠っている。昔ドライブかたがたいってみたことがある。中原中也の墓という看板が誰が立てたのかは知らないが、あった。
 中也は死の1年前に長男を亡くし、死後、数か月で次男も亡くなり、子孫はいない。奥さんは別の人と再婚したらしい。
 後世、中原中也がメジャーになったのは、友人の小林秀雄らの尽力もあるだろうが、やはり作品自体が斬新で人の胸を打つものが多いからだと思う。
 フォークの大御所、小室等は中也の詩に曲をつけてアルバムを発表しているし、武田鉄矢は「頑是ない歌」の一節「思えば遠くへきたもんだ」を歌に入れてヒットさせている。
 朝ドラの「ちむどんどん」の和彦君のお母さんは大の中也好きの設定で、朝から喫茶店でモーニングを食べながら、詩を読んでいた。
 中也逝去から95年が経った今なお愛されている。色褪せぬその詩に新たな若いファンが次々と生まれてくる。
 
    北の海

 海にゐるのは、
 あれは人魚ではないのです。
 海にゐるのは、
 あれは、浪ばかり。

 曇った北海の空の下
 浪はところどころ歯をむいて、
 空を呪つてゐるのです。
 いつはてるとも知れない呪。

 海にゐるのは、
 あれは人魚ではないのです。
 海にゐるのは、
 あれは、浪ばかり。
 
 
 
 


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