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神功皇后

 神功皇后をご存じでしょうか。戦前は歴代天皇の数にも入れられた知らぬ人はいないというくらい有名人です。日本武尊の子の仲哀天皇の后にして、応神天皇の母親です。応神天皇は八幡神社の祭神のひとりです。八幡神社の総本宮は宇佐八幡宮です。三女神と応神天皇と神功皇后を祀っています。
 神功皇后は三韓出兵で有名な人です。
 神功皇后は九州でゆかりの深い人です。応神天皇を妊娠している間に三韓出兵に出ます。石を抱いて3年間も産まないようにしていたといいます。
 北九州市の八幡の皇后崎は神功皇后の船が帆柱が折れて停泊したところです。帆の柱の木を取った山を帆柱山といいます。
 戦い終わってやっと応神天皇を産みます。生まれた場所が宇美八幡宮です。おしめをかえたところが志免町です。
 それから応神天皇をショウケといわれる竹籠のようなものに入れて、飯塚を目指します。その道を今もショウケ越えといいます。飯塚につくと、兵を解散させます。「また、いいつか」と最後にいったとか。それ以来その地を飯塚と呼ぶようになったといいます。
 広島の因島。三韓出兵のさいに立ち寄ろうとしたら、犬がたくさんきて吠えまくったことから「犬の島」~「因島」になったといわれています。
 三韓出兵で疲れた兵たちを温泉で癒し、兵たちは元気を取り戻しました。皇后は「うれし~の~」といいました。「嬉野温泉」の語源です。
 一説によると神功皇后が卑弥呼だったと唱える人や神功皇后は存在しなかった説をいう人がいます。
 時代の流れから、仲哀天皇から応神天皇への皇位継承はウソで、応神天皇は別の政権で仲哀天皇は滅ぼされた側という説があります。話の辻褄を合わせる意味で神功皇后という架空の人物をでっちあげたという話です。
 卑弥呼説にはかなり強引な説ではありますが、時代的には近いのは近いです。ずれてはいますけど。日本書紀などは辻褄を合わせて卑弥呼=神功皇后みたいにしてます。
 古代史は謎が多すぎて、難しいです。宮内庁が管轄している天皇陵を探索できたら、だいぶ古代史もわかってくるのではないでしょうか。
 
 

 

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