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「世間的・社会的」ないい子ちゃんレールから降りて、立ち止まってみた。

ばいばい、いい子ちゃんで居続けた私。

2022年3月11日、多くの日本人にとって忘れることのないあの日に、私は自らの手で「社会人人生の第一章」に終止符を打った。


このままゴリッゴリのエッセイ口調で書くか、いつも通り脳内垂れ流しテンションで書くか、正直迷っている。理由はふたつ、ひとつは〆切が3時間後に迫っているということ。(お題企画のためにどうしても書きたくて下書きに置いといたら、寝かせ過ぎた。)ふたつめはあらゆるお空の影響を受けてすこぶる体調が悪いということ。昼間はひたすら虚無モードで過ごしていて、〆切に気づいたのも今日の19時前ごろだった。

迷ってる暇があれば、ただひたすらにタイピングをすればいい、書き始めれば書きたいこともぽこぽこ浮かんでくるし、不思議とベッドに横たわってるときよりは虚無モードから這い上がってる。

ということで、脳内垂れ流し口調と、エッセイつよつよ口調が混同する非常に読みづらいnoteになることを、事前にご了承くださいませ。


結論、あの日は、前職の退職日だ。「#あの選択をしたから」というお題に沿って補足するならば、「転職先を決めずに、退職するという選択をしたから」。晴れて、無職になった。

今でこそ、「キャリアブレイク(=一時的な離職を肯定的に捉える)」という言葉を自分のものにし、離職期間は無駄ではなかったと言い切れるが、そう思えるようになるまでは無数の葛藤があった。葛藤や迷いは、「正解を求め続ける」私の思考の歪みからくるものだった。今まで積み重ねてきた過去がそうさせた、まだまだ自由に舵を取れるはずの未来まで暗いものにしか思えなかった。


ちょっと過去に遡る。冒頭に書いた通り、世間的に・社会的に「いい子ちゃん」だった。実家で暮らしていた高校卒業までは特に。小中高とほぼ毎日学校に通った(高校は皆勤賞だった記憶)し、中高は吹奏楽部で頑張ってた。小学校は鼓笛隊にも入ってた。勉強は小学校がピークだった気がするけど、中学も「中のちょっと上」くらいだったし、小学校に始めた英会話スクールも高校までほぼ休まずに続けてた。

今はリーダー的ポジションはあんまり得意じゃないのに、昔は人前に出ることを恐れずにいろんなことに挑戦してた。今でも鮮明に覚えてる吹奏楽部時代のこと。圧倒的トップのリーダーというより、右腕?左足?くらいの第三者ポジでリーダーも兼ねてるけど、メンバーのお悩みにも寄り添うみたいな感じだった。今もし、なにかやるとしても先頭を突き進む引っ張っていくタイプのリーダーにはなれないかな。

内面的にいろんなことはあったけど、ざっくりとした「世間的・社会的」な視点からはいい子ちゃんだったはず。いい子ちゃんキャラに拍車をかけたのは、田舎特有のどんどん広まる噂話と、私の家族のスタンスだった。

「いい子ちゃん≠できる子ちゃん≠頭のいい子」みたいなイメージがわかりやすいかもしれない。1回目のキャラ崩壊は、高校受験に失敗して滑り止めの高校に進学することが決まったとき。2回目は、そこから3年後、大学受験でごちゃごちゃして()全然志望していなかった大学に進学することが決まったとき。


正直、2回も経験した挫折当時のことを、今はぼんやりとした感覚でしか思い出せない。思い出したくないからってのもある気がする。当時は私の人生終わったと、心の底から悲劇のヒロインみたく思っていたのに。嫌な記憶すぎて脳が都合よく処理してくれてるのか、もっと嫌なことがあったせいで上書きされているのか、自分の中で「過去の執着」だったと客観的に思えるようになったからか、それぞれの要素が組み合わさってると思う。

でも、いちばんは、「その過去を経た今の人生でよかった」と思えるようになったから。私の人生を語るうえで欠かせない大好きな親友たちとは、大学時代や前職時代に出会っているから。(高校時代は人生のどん底期だったので割愛させてね🌟)

そんなどん底期だった高校時代でさえも、大学時代の親友たちと出会わせてくれたことに感謝です。仮に第一志望の高校に受かっていたら、別の大学に進学していたはずで。大学受験のごちゃごちゃをサラッと書くと、志望校を普通に受験しても受からないと見込んだ進路指導の先生が、指定校推薦を勧めてきたんですよ。(たしかに内申点はめちゃくちゃ高かったよ、滑り止めの高校に進学したんだもん、さすがにそうじゃなきゃプライドが死ぬ。)東京に行きたかった長野の田舎者からすると、視野にも入ってなかった関西の大学だし、夏まで続いた部活を引退してようやく受験に本腰ってタイミングで、受けさせてももらえないなんてと。不完全燃焼すぎて、指定校で合格した後に仮面浪人を決意。(仮面浪人して受験するも落ちて、ようやく諦めがついた。)

全然サラッとじゃなかったけど、受験という人生の特大分岐点で2回も失敗してるんです。「その過去を経た今の人生でよかった」と書いたものの、やっぱりネガティブな過去には変わらないのでね。当時よりも、客観的に距離を置けるようになっただけの話。


勘のいい方はお気づきかもしれません。受験に2回も失敗した私が次に頑張るのは、新卒の就活です。はい、めちゃくちゃいい子に、今の私以上に「意識高く」就活してました。「見返してやる」という負の原動力がめちゃくちゃ大きかったし、絶対に東京に行くという意志も固かった。一生涯働く会社を選ぶ意気込みではなかったものの、転職を前提に逆算して挑んだわけでもなかった。

紆余曲折あったものの、梅雨入り頃に前職から内定をもらった。1回目の最終面接で落とされかけて、出直しの最終面接の場で内定を伝えられ、役員と握手した瞬間に泣いたことは今も忘れない。そして数日後に、遠距離が嫌と駄々こねる&総合職の意味も理解していなかった歳上の彼氏と別れたこともセットでよみがえる。(社会人なのに総合職と一般職の違い知らなかったの今考えても謎だった。)余談おしまい。

毎週(日)に更新してる前職の営業時代のことを綴るエッセイ「あの日、あの街で、彼女は」のプロローグにも書いている言葉ですが…。

やっとやっと、第一志望の切符を掴み取った。
「第一志望」の道に進めば、人生うまくいくと思い込んでた。

「第一志望」に憑りつかれてた。私のこれまでの人生がうまくいかなかったのは「第一志望」じゃなかったせい。これからは「第一志望」の会社で、東京で、頑張るぞ、人生きっとうまくいく。これまでの人生も取り返すんだ。今思うとちょっと恥ずかしいけど、本気で思ってたのよ。


前職で働いた「5年間」は、たった5年なのか、まだ5年なのか、もう5年なのか、わからない。ただ第一志望の切符にしがみついていた割には、すんなりと手放せたんじゃないかなと、振り返ってみて思う。いや、実際はそんなことないのだけど、仕事そのものやお客さんや社内のお世話になった方々はともかく、「会社」にしがみつく理由がまったくなくて。部署異動も勧められたけど断ったのはそれが大きい。

退職理由はひとつではない。コロナ禍に入る前後くらいから薄っすらといつまでこの会社にいようか現実的に考え始めていたし、漠然とした未来への不安と、溜まりに溜まった現状の不満に、身動きが取れないままだった。今までも何回か触れているが、複合的に重なったタイミングでの最終決定打は、最後の年の上司だった。詳細は割愛するけど、人生でいちばん大嫌いな人だ。上司に対して常に大嫌いだと思い続けてたはずなのに、人のことを嫌いになってる自分自身にもどんどん自己嫌悪が膨らんで、最悪のループだった。

「退職そのもの」はもちろん、選択として与えた影響はとっても大きかったけど、その前に自腹15万円払って受けたグロービスが後押ししてくれたと思う。自分がいかに井の中の蛙だったか気づかされた。染まりに染まった前職の価値観の中でしか評価されない、生きていけないなんて、嫌だと本気で思った。(※後のキャリアブレイク勉強会で「文化中毒」という言葉があることを知る。)


「転職先を決めずに、退職するという選択をした」いちばんの理由は、一度立ち止まって人生を見つめ直したかったから。キャリアだけじゃなくて人生全体を、振り返って俯瞰して考えてみたかった。前職の価値観に染まった状態かつ、残業も多くしんどくて逃げたい気持ちだけでの転職は意味がないと働きながらも思っていたから。大嫌いな上司の言葉で自己否定状態が続き、自分の感情も本音も見失ってた。だから、フラットな状態で冷静に考えたくて、思い切って転職先を決めずに(そもそも転職活動はしてない)辞めた。

27年5ヵ月続いた「いい子ちゃん」の私、ばいばい。「社会的・世間的」なレールから降りて、無職になった。実家を出てから大学生・社会人と内面的な部分ではとっくにいい子ではなかったと思うけど、別に誰かに迷惑をかけることはしてないし、自分なりに頑張ってたし。でも、大きくて重たい肩書きをよいしょと外した。誰よりも私のことを守ってたはずだし、そのおかげで経験できたこともたくさんあったし、家族は喜んで期待してくれてたし。

自分の手で「終わらせた」ことが、たぶん初めての経験だった。続けることばかりに気を取られてたし、学校だったら必然と節目はやってくる。長い長い社会人人生、働き続けることは何を持って「終わり」が来るのだろう。ライフイベントによる変化はあれど、いかに自分の意志が大事か痛感した。


結果的に、キャリアブレイクしてたのは1年4ヵ月間。さすがに私もこんなに長い間、離職するとは思っていなかった。キャリアブレイク中は、キャリアスクール「SHElikes」に入会し、「むしょく大学」にも入学した。最近は、「SHEmoney」にも入会したし、地域コミュニティ「白いハコ」の本棚メンバーにもなった。エージェントに頼らず転職活動を終えて、8月からは転職先で働き始めた。これらはすべて、私が自分で決めたこと、自分の意志で選んで行動したこと。

キャリアブレイク中~現在に至るまで、オンライン含めて多くの方々と出会えたことも、とてもありがたくて嬉しいこと。前職時代やもっと前の私が見たら、めちゃくちゃ驚くと思う。親友が何人かいればそれでいいと本気で思ってたからね。

仕事に関しては、キャリアブレイクをしたからこそ、もう一度同じ業界でチャレンジしたいと思えた。退職するときは、業界も職種も変えたい、もう絶対に嫌だって思ってたのに。もしキャリアブレイクを挟まずに転職活動をしてたら、きっとまったく別の世界線で働いてたんだろうな。

でも、「つまんないよ、その人生」って伝えてあげたい。キャリアブレイクを経験して、とことん自分自身と向き合って、正解がない道を手探りで進んで、その途中で今まで出会ったことのない方々との素敵な出会いがあって。「絶対に今の人生のほうが、おもしろいよ」って。キャリアブレイクをおもしろがるってこういうことか~と体感できたし、キャリアブレイク研究所の北野さんがおっしゃってた「カラフルな人生」というニュアンスも少し理解できた気がする。


結局ほぼ、脳内垂れ流し口調になったね~。4,600文字超えました。

常々思うけど、「人生は伏線回収」だよね。過去に蒔いた種がいつの間にか芽吹いてたり、綿毛みたいにふわふわと思わぬところに飛んで行って、偶然の出会いに繋がったり。小さな小さな伏線回収がやがて大木に成長するかもしれないし、枯れちゃう芽があってもいいと思うし。枯れることを過度に恐れたり、育て方わからん~~って調べまくって足踏みしちゃうよりは、とりあえず日当たり良さそうだから蒔いちゃう!って勢いも大事なのかなって、最近は思えてます。(思えない日もたくさんあります。)

選択ばっかりの人生で、過去の自分が選んだ道が必ずしも「正解」に結びつくとは限らないし、今や未来の自分が「正解」にしていくぞって思ったところで、自分ひとりでどうにかなることだけじゃないし。入念に調べて温室で育てたって枯れるときは枯れるよ、きっと。だから、良くも悪くも過去は過去の自分って思ったほうが気楽かも。

「過去の自分を、過去の自分が選んだ道を、否定しない」ことがめちゃくちゃ大事だね。過去の自分を否定し始めると、どこまでも負の伏線を探してしまうから、それは意識的にやめたいね。どんなにしんどかった過去もなかったことにはならないから、なかったことにはしたくないから。

誰かに選ばされた道も、自分で選んだ道も、複雑に交錯してるけど、それでも少なくとも人生の節目における選択がひとつでも違っていたら、今の私はいなかったし、今関わってくださってる方々にも出会えていなかったということです。もちろん、このnoteを読んでくださった皆さまにも。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!このnoteが未来の私も救うと信じてます!


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