見出し画像

あの日、あの街で、彼女は。〜水天宮前駅〜

平成最後の桜を覚えていますか。

平成から令和に元号が変わった2019年。4月1日に新元号が令和だと発表があり、5月1日に令和に変わった。平成初期戌年生まれの彼女は、この先も漠然と「平成」が続くものだと思っていた。今ではすっかり平成もレトロ扱いだ。

水天宮前駅はその名の通り、水天宮がある。安産祈願と子宝で有名らしい。渋谷駅から押上駅まで都内を横切る東京メトロ半蔵門線だけが止まる。

水天宮とは真逆方面に向かって歩く。先輩からの引継ぎだったけど、担当者からのリスケが相次いだ結果、先輩は退職してしまった。元々退職予定だったものの、お客さんには「退職」とは伝えずに引継がれることもある。引き継いだ企業へのひとりぼっち訪問はさすがに心許ない。しかも直近で取引が止まっていたから尚更だ。

不安とは裏腹に、軽やかに初訪問を終えた。しかし、またすぐに連絡が取れなくなった。直近で取引が止まっていた理由のすべては計り知れないが、直感的に察した。悪気なく後回しにされていることを。担当する全顧客宛にbccで送信するお役立ちメルマガだけは定期的に送って、なにかのきっかけに思い出してくれることを祈った。

祈りが届いたのは1年半ほど経った頃だろうか。当時、彼女は「割り切る」ことを覚えていた。顕在層と潜在層、明日の受注にならなくても数ヵ月先の受注になるかもしれない。全顧客に平等の対応なんて無理だった。

久しぶりにその企業からオファーの連絡があったときは、地道に続けてきてよかったと心から思えた。と同時に驚いたのは、社用携帯の電話番号も伝えてあるのに、なぜか会社の固定電話にかかってきたことだ。一瞬の不安と緊張に駆られながら電話に出る。訪問時にお会いした担当者ではなく、社長から直々だった。

2020年に控えた東京オリンピックに関するお仕事の依頼だった。コロナ禍に見舞われて生活が一変するなんて、終息の目処が立たずに延期になるなんて、誰も想像していなかった頃の話。

そして、平成最後の4月初旬、久しぶりに水天宮前に降り立った。澄み切った淡い水色の空に、淡いピンク色の桜が満開に咲いていて、都心の狭い空を埋め尽くしていた。午前中は秋葉原で「I ♡ 日本」「令和」と書かれたTシャツが売られているお店を見かけて、お昼過ぎには水天宮前〜人形町に向かう人形町通りで満開の桜を見上げて、お祝いムードが漂う日本の春に心が浮き立った。

満開の桜が散るように呆気なく終わる「平成」に、憂いを感じずにはいられない彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?