BPD寛解へ向けて、相性が良かった人、悪かった人

境界性パーソナリティ障害は、関わった人も病んでしまったり、共依存になりやすい障害だと思っています。過去、自分が関わってきた中で、「この人の影響は自分のBPDを助長したな」「このタイプの人といるときは症状が治まってたな」など、パートナーとしてどんな人とどういう関係で合ったか、まとめて見ました。

1.ごく普通の人。

BPDはよくいえば個性的、魅力的な人が多いとも言われます。自分で言うのもなんですが、私も他人から分類されればそちらの部類だった気がします。10代のとき、まだBPDが完全に発症したとも思えない時期に付き合っていた彼氏は、特に特筆するようなこともないような、普通の人でした。大人になってから、こういったタイプの人と共に治療ができたら、良い経過を辿ったんじゃないかな、と今となれば思います。共依存に陥るほどに助けてくれることもなく、良くないことはよくないと叱ってくれて、一般常識のある人でした。でも、当時の自分にとっては、こんなに傷ついている自分を理解してくれない、もっと理解してほしい、親の代わりに、どんな自分も愛してほしい、と思ってしまった。家族との問題も抱えている真っ最中で、俗に言う「重たい女」でした。先ほども言った通り、本当はこう言う人がパートナーだと、治療はうまくいきます。でも当時は、耐えられなくなった彼にフラれたことにより、「裏切られた。捨てられた。見放された。どんなことがあっても赦してくれるって言うのは嘘だった」と、結果として境界性パーソナリティ障害の症状が酷くなるきっかけとなってしまいました。これは若さゆえ、また助けてくれる他の大人がいなかったため、仕方ないと思います。

2.全てを愛して認めてくれる共依存の存在

20歳前後。未だに、しんどくなると、自分のことを全て理解してくれるのは彼しかいないと思い出して錯覚するくらい、全てを許して愛してくれる人でした。明らかな、共依存でした。自傷行為もすればするほど心配してくれる。どんな試し行為にもついてきてくれる。社会に適応できなくても許してくれる。でも、私が離れようとすると、暴力行為となって私を引き止め、追いかけてくれる。DV彼氏と離れられない、典型的なパターンでした。
この手の彼氏と一緒にいる限り、BPDの症状が良くなることは絶対にないと思います。問題は、社会生活がまともに送れないこと。彼以外の世界と、普通のやり取りができなくなること。また、普通じゃない行動、言動、服装、態度など、他人が見て「おかしいな」と思うことに対して、鈍くなってしまうと言うこと。全てを認めてくれる、とは、ずいぶんおかしな危険なことなのに、それを求めてしまう心の仕組み。しかし、子ども時代の反動と考えたら、必要な時期だったのかもなとも思ってしまいます。

3.パワハラ、モラハラ

仕事の上司。今思えば、自己愛性パーソナリティだったと思います。数年間、子どものように猫のようにベロベロに可愛がられていました。私も、彼を尊敬して信頼して、ある意味信者のように寄りすがっていました。そんな態度の私が、彼も気持ちよかったのでしょう。他の子とは差別して、私を特別視をして扱ってくれました。彼のそばにいれば、安全でした。どんなに奇人変人な態度をしても許されました。周りの人が悪でした。周りに対するパワハラ、モラハラはそれはもう犯罪レベルでした。

自己愛性パーソナリティ障害と境界性パーソナリティ障害は、お互いの利害関係が一致しているうちは、運命の人のような感覚になり、お互い依存し、周りが見えなくなるくらい、相性が良くなる気がします。

しかし、ふとしたきっかけで、私からの尊敬や信頼が薄らいだと感じた彼は、態度が一変。完全に私を孤立させ、誹謗中傷してきました。それによって、再び手元に戻ってくるのを期待していたようですが、ここで私の方が目が覚めました。新興宗教から脱会したような気分でした。

4.冷たいのに暖かい、自立した友人

自暴自棄になっていた頃、ナンパで知り合った男性でした。メンヘラ的な私の態度を、ムカつくくらいバカにしてきた彼。「人の目を見て話せ」「自分が一番かわいそうとか思ってダセー」「まともな服着ろ」。後から知ったのですが、彼は母親に育てられていないという過去を持っていたにもかかわらず、常に明るく、ネガティブな発言を一切しない人でした。私が甘えたい時でも、甘えさせてくれません。私の望むようにはしてくれないけれど、私が精神的に自立できるように助けの手を伸ばしてくれる人でした。

付き合うことはありませんでしたが、何年にも渡って、時々会う存在になり、私のBPD的症状が減ってくる最初のきっかけをくれた人になりました。

5.初めての、自立した恋人

精神的に自立した人と初めて付き合ったのがこの時。同時に、境界性的な症状が日常的に発症していたのもこの時でした。夜中にうなされて、泣き喚いて騒ぎ、優しく慰めて欲しかった私に対して彼は、全く動じることなく、淡々と対応しただけで眠ってしまった。また、付き合いたての頃、自分のこれまでの仕事の業績や人生観を彼に話した際、さぞかし感動して興味を持ってくれるかと思いきや、全く思っていた反応が返ってこなかった。さらには、夜中に私が酔っ払ってしまい、家で寝ている彼を起こして電話で話を聞いてもらいたかった時に、彼は「明日仕事だから。夜中に電話は非常識」と電話を切った。今思えば、自立した大人としてどれも当然の対応だったのですが、当時の自分には恐ろしいほどに痛みとなり、「理解してもらえなかった」「愛してもらえなかった」という認識になってしまいました。しかし、これらの対応は、時間が経った今振り返っても、治療として非常に効果があったと思っています。結局、私のBPD的な依存が強すぎて彼とはすぐ別れましたが、この期間に彼がとってくれた対応は、自分の潜在意識に「自立したい」と思わせてくれました。

6.癒されない自分を癒してくれる、サディスト

BPDの自分の状態は、まだまだ良くなりません。性的に奔放に自暴自棄になりやすいBPDにとって、同じような闇を抱えている男性とは都合の良い関係になりやすいと思います。需要と供給がマッチしていたと思うくらい、数年間溺れていました。恋愛関係ではなかったため、どこか冷静であり、傷つくこともなく、お互いの欲求を満たしていたと思います。精神衛生的にも、とても危険なことだったかもしれません。「こんなに赦されない悪い自分は、これだけ酷いことをされるに値する」という、妙な認知的不協和理論。酷いことをされるほど、心はどんどん安らいで行きました。

7.仕事を通して尊敬できる、常識人

同業者の人でした。初めはBPD的な私を面白がってくれていると思い、丸ごと愛してくれる人なのかと思いきや、ただの浮気相手だった、というのが始まり。でも、まともに向き合い始めてからは、恋愛としてより、仕事相手としてお互い切磋琢磨し、尊敬し合えるようになりました。不思議なもので、仕事が充実して社会に認められるようになると、BPDの症状を出すことが必要なくなったかのように、どんどん自分の言動が「普通」になっていくのがわかりました。彼自身が、常識的な人だったこともあり、彼の言動に影響を受けていくにつれ、「普通でない行動」を自ら慎むようになりました。大人びた思考ができるようになり、「誰かに認められたい」という感情より、目の前の仕事に集中したり、自分を成長することに意識が行くようになりました。

8.自己愛性パーソナリティの主人と出会って

それまでのような経緯を経て、今の主人に出会ったときは、「これまで頑張ってきたけれど、もう頑張らなくていいんだ。この人は私の全てを丸ごと認めてくれるから!」と思ってしまった。それが大きな間違いだったと思っています。この時にはまだ、自分が境界性パーソナリティ障害だとは気づいていなかった。主人も主人で、病的な私を救ってあげられるヒーローになりたかったんだと思います。

「特別」「賞賛」「天才」が大好きなNPDと、治療的に「普通」「平等」を重要視して行く必要があるBPD。自分の過去を振り返って、NPDとは逆の、普通で常識的なタイプの人と付き合った時の方が、結果として境界性の寛解につながっていることに気づきます。でも、そういう人とは、なかなか長く付き合いが続けられませんでした。

結婚している今、「このパートナーだったら自分の境界性は治る」と考えるのではなく、自分の課題として、まだまだ寛解に向けて自分で努力を続けて行きたいと、思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?