最近、診察もしんどい。その理由。

境界性パーソナリティ障害は、家族も治療に積極的に介入することで、寛解まで早く進む、という考え方がある。私の通う病院もそうだ。なので、主人は出来るだけ時間を合わせて、一緒に診察を受けてくれる。しかし最近、それがしんどい。

1.BPDが家族を批判しだしたら、的を得ている時ほど話題をずらす医師

BPD本人は、割と分かっているのだ。医師の意図を色々。本人の意識が、自己改善や努力の方向にある方が、症状は早く良くなる。BPDの周囲の家族が、BPD発症の原因や本人のストレスの元凶になっていたとしても、そこに意識を向けている限り、なかなか良くはならない。

だからこそ、医師は私がどれだけ主人に対してストレスを抱えているかの話をしても、論点を意図的にほんの少しずらして、私が主人への怒りをヒートアップさせていかない方向へ、話を持っていく。

私も、それ自体が治療行為のようなものなのだ、と受け取って、先生の話に一応乗ってみせる。少し話題が、主人のことから私自身のことに、変わる。すると、横にいる主人がホッとするのか、嬉々として私がいかにおかしいかについて話し出す。

主人のその発言もまた、事実と違っていたり、こちらが悲しいと感じる言い方だったりする。いくらでも反論したいが、ここで強く言い返すこと自体も、「ほら怒った、俺の意見を素直に認めない、こういうことが境界性なんだ」と主人にさらに言われるのが目に見えている。だから黙るしかない。悔しいという感情になる。主人をふと見ると、うまく逃れられたときの政治家みたいな、気持ち悪い人に見える。

2.理解してくれる人を求めてはいけないのか

治療は進んできているはずなのに。こんなに努力してきたのに。治療についても理解してトレーニングも一人で頑張ってきたのに。私には、治療している自分を理解して横で支えて協力してくれる家族がいない。何を努力してるのか、どの点がどう具体的に治療と結びついているのか、そういったことを、理解すらできない主人。主人のわかることとすれば、「ものを投げなくなって良かった」そのことぐらい。

昔のような、「どんなに酷い自分だとしても丸ごと私を愛して認めて欲しい」という気持ちはとっくにもうない。だけど、毎日NPDの主人と接しながら、それでも自分をコントロールし、傷ついても自分の課題と向き合うように意識している自分を、誰かに分かってもらいたいと思う気持ちは、これすらも許されないのだろうか。これを求める気持ちすらも、世の中は私を「境界性だから」と認めてくれないのか。

3.離れられない、別れる選択ができない

どんなに症状が良くなっても、治療として努力しても、それを家族に理解してもらえない。理解してもらえなくても、症状が良くなったら私が得をするし、誰も褒めてくれなくても、自分が成長できることは自分が幸せになる。それも分かっている。それでも、私は一生、自分を理解してもらえないと感じ、日々自分の境界性を刺激する夫と一緒にいなければならない。その道を選ばざるを得ない。

昔だったら、母親と距離を取ることは可能だった。ちょうど20歳を前に、自立のためにも、一人暮らしは良かったと思う。今は子どもたちがいる。主人と別れるという選択肢は、経済的にも非現実的だ。一緒にいる方が、金銭的にも子どもたちは幸せだろう。

離婚できないなら別居でもいい。少しでも、今の密室感から解放されたい。このままだと、主人の言っていることに納得して従うことごできない自分は、病的で、おかしくて、きちがいで、受容性がなくて、普通でない人、ということにされてしまう。何が常識で何が普通なのか。主人の、人と違う感性にひたすら振り回されて、意見がちがうたびに「おまえが病気だ」と言われるなかで、自分で冷静に世の中の常識と照らし合わせて、出来るだけ自分を「普通」の感覚に持っていく作業。これを残りの人生50年毎日続けなければならないのか。今のままでは、子どもが二十歳になったら、間違いなく離婚したい。

4.ターゲットが変わる危険性

BPDの症状が一番酷いころ。ストレスや発症の元凶は母親だったにも関わらず、依存的に症状を出す相手はその他の他人だった。主に恋人など。母親からすでに物理的に距離を置いていたし、どんなにこちらの気持ちを伝えたとしても母親の人間性が変わることは二度とないと思って諦めていたし、母にいまさら認められたいとか、愛されたいという感情すらなかった。そのかわり、誰か、を必要とすることでバランスをとっていた。

いま、治療において、主人に対するストレスをいくら言ったとしても、先生にもはぐらかされる(治療として)。もちろん、本人に話したところで、こちらがキチガイ認定されるだけ。普通「あなたのこういうことが、自分にとってストレス」と言われたら、多少なりとも自分を省みて、自分に改善できることがないかを考えるのが人間だと思っていた。

NPDは、自分を省みることはない。いや、本人に言わせれば、自分ほど日々自分を省みて、自己研鑽している人間は、世界中見てもいない、と本気で言うだろう。しかし実際は、自分の妻が、怒るでも物を投げるでもなく、障害に苦しんでいる中で、あなたと一緒にいたくないと言っても、一ミリも、自分が悪いかもしれないとは考えない。そして、そんな主人のことを「あり得ないよねその旦那」と軽くでも同意してくれる人も、私にはいない。医師も、治療として、主人を悪く言わない。私も分かってる。

すると、最近、いよいよ、ターゲットが変わってきた。恐れていたこと。子どもに向き始めた気がして、怖い。

誰も分かってくれない。

その感情に支配されやすいBPD。

でも果たして、今の私の「理解して欲しい、苦しい」ということすらも、誰にも話も聞いてもらえず、聞いてもらっちゃいけないと思い、治療だから依存しちゃいけないと考え、自分の課題と向き合おう向き合おうとし、主人の言動に日々耐えるだけの生活を続けていたら、間違いなく、今の狭い世界の生活の中では、子どもに、向かってしまう。それが、いまは、怖い。



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