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【PODCAST書き起し】「吉田大八さん(映画監督)山口貴義さん和田尚久さん三浦知之の落語放談」全9回(その1)談志²レボリューションから始まって噺家の晩年

【PODCAST書き起し】「吉田大八さん山口貴義さん和田尚久さん三浦知之の落語放談」全9回(その1)

1,談志談志レボリューションから始まって噺家の晩年

【山下】落語、講談、お後が宜しいようで……の年末スペシャルということで、今日はポッドキャスターの三浦と3人のゲストに来てもらいました。で、ここの僕の隣にいるのがポッドキャスターの三浦です。

 

【三浦】はい、三浦です。よろしくお願いいたします。

 

【山下】はい。で、今日新しく来たゲストの方を紹介します。映画監督の吉田大八さんです。

 

【吉田】はい、こんにちは。よろしくお願いします。

 

【山下】はい。で、大八さんと大学の同級生ですよね……で、プロデューサー。「ザ・プロデューサーと言ってくれ」と大八さんがおっしゃってましたけど、ザ・プロデューサーの山口さんです。

 

【山口】よろしくお願いします。

 

【山下】はい。そして、いつも来ていただいてる放送作家の和田さんです。

 

【和田】はい。よろしくお願いいたします。

 

【山下】はい。てことで今日は、ざっくばらんに「私と落語と、どんなことがいろいろあったのか」というようなことを話をしていただきたいと思いますので、じゃあ三浦さんにマイクを渡しますので、よろしくお願いします。

 

【三浦】はい。改めまして三浦です。今日は皆さんよろしくお願いいたします。ちょっとこのメンバーでこうやって集まるの久しぶりですよね。で、ちょっとこれ始まる前にも話してたんですけど、今年2021年ということで、立川談志が亡くなってちょうど10年になるんですね。で、来週の日曜日、11月21日が談志の命日ということで。その日に合わせてTOKYO MXテレビが追悼番組をされるということで。ちょっと今日Twitterで見つけて、あ、これはもう録画必須だなと。

 

【和田】いやあ、あれ、面白そうですよね。

 

【三浦】面白そうですよね。

 

【和田】だから志らくさんと(神田)伯山さんが対談して。それから談志師匠が、晩年に客なしでやった『芝浜』っていうのがあるんですよ。

 

【三浦】客なしで?

 

【吉田】MXですよね?

 

【和田】MXで。

 

【吉田】ああ、見た見た。

 

【和田】それをまた再放送するらしいです。その『芝浜』を。

 

【三浦】これは必見ですね。

 

【和田】ですね。

 

【三浦】これ、そういう局の宣伝しても別に良いんですよね? 何言っても。

 

【山下】全然大丈夫です。

 

【三浦】はい。

 

【和田】いや面白そうですよね。

 

【三浦】本当ですね。あとなんでしたっけ? その……。

 

【吉田】えっと……僕は、テレビでCMを見たんですけど。日曜日の『ザ・ノンフィクション』ってフジテレビの、日曜の昼にやってる番組あるじゃないですか。

 

【三浦】あ、そうですね。競馬中継の前ですね。

 

【吉田】あれで最後の日々……立川談志最後の日々みたいな。ちょっとタイトル覚えてないんですけど。なんかそれを告知を見て、「これもう見なきゃ」と思ってたのを今日思い出しました。はい。

 

【三浦】はい。ちょっとそれも必見かなと思い。それで、かつてここの近くに厚生年金会館大ホールっていうのが……今はもうないんですよね?

 

【山下】今はなくなりました。

 

【三浦】わりとここから歩いてすぐ、5分ぐらいのところですよね? で、あって。ずっと落語観るようになったまたきっかけ……改めてきっかけが、その厚生年金会館大ホールで行われた『談志2 REVOLUTION(だんしだんし、れぼりゅーしょん)』っていうのがあって、今日突然思い出したんですけど。「談志2乗のレボリューション」って書いてたような気がするんですけど。

 

【吉田】『Dance Dance Revolution』って、ゲームがあったんでしたっけ? その頃。

 

【三浦】あ、そうなんですか!

 

【吉田】ね、テレビゲームがあったんですよね。

 

【三浦】あ、そうなんだ。『Dance Dance Revolution』ってゲームがあった。それ全然、私知りませんでした。『談志2 REVOLUTION』って面白いなと思って、それで観に行って。

 

【吉田】三浦さんに誘ってもらって。

 

【三浦】あ、そっかそっか。

 

【吉田】あの時でも4、5人……。4人ぐらいで行ったかな?

 

【三浦】4人ぐらいで行きましたね。

 

【吉田】サカタさんもいたよね。

 

【三浦】ギャラリーにいるサカタくんも一緒に。

 

【吉田】それで……。そうそう。その時にたまたまでも、なんかその……なんだろう、プロデュースかなんか分かんないけど。

 

【三浦】あ、そうそう。音楽屋さんが……。

 

【吉田】会社の後輩が……あれ、誰?

 

【三浦】音楽屋さんがやってたんじゃなかった?

 

【吉田】そうそう。音楽屋とはまたちょっと違うんですけど、もともと僕の後輩のディレクターだった人間が……。

 

【三浦】あ、そっか、会社の後輩が。ええ。

 

【吉田】その時はもうなんかちょっとプロデューサー的なことをしていて、その『談志2 REVOLUTION』のCDを売ってたんですよ。買わなかったですけど。なんかその物販の……。

 

【三浦】『国会』ってやつじゃなくて?

 

【吉田】『国会』、なんかありましたね。国会で何、談志さんが……。

 

【和田】そうそう、ありましたね。『国会』となんだっけな。もう一曲、カップリングなんですよ。ラップみたいなね。

 

【坂田】『やかん』ですね。

 

【和田】『やかん』だっけ?

 

【三浦】ああ。

 

【坂田】『やかん』をラップで。

 

【和田】うん、根津神社で収録したやつですよね。

 

【三浦】もう普通に参加してる。もうここ座ったらいいよ。そうそう……。

 

【和田】根津神社でね、ラップっていうかアジテーションみたいなのやってるのがCDになってんですよ。

 

【三浦】はい。

 

【和田】それが『国会』かな? それカラスの音入ってるんですよ。カラスが本当に飛んでて、リアルに。

 

【三浦】根津神社で……外で録ってんですか?

 

【和田】外で録って。で、曲はあとから無理やり付けて。が、ありましたね。

 

【吉田】あ、なんかそんなのあった。

 

【三浦】根津神社って談志師匠の家の近く……。

 

【和田】家、隣ですね。談志師匠のマンションの。

 

【男性】あの、おせんべい屋さんね。1階がね。

 

【和田】おせんべい、焼きせんべいの。

 

【三浦】おせんべい屋さん。

 

【和田】はい、そうなんです。

 

【三浦】あれ、『談志2 REVOLUTION』っていつですか?

 

【和田】その時って『富久』やった時ですか? 忘れちゃった?

 

【三浦】いや、なんかねうろ覚えでよく覚えてないんです。

 

【和田】『富久』だったら2002年。

 

【三浦】2002年。

 

【和田】毎年、大体冬場にやってたんですよ。厚生年金で。

 

【吉田】2004年ですよ、多分。

 

【和田】2004年か。

 

【吉田】2003年か2004年。

 

【和田】じゃあ、『芝浜』やら『文七(元結)』やってた時期ですよね。よみうりホールで恒例になるちょっと前だと思う。うん。厚生年金で。でね、落語の会で、あれ結局定着しなったんですけど、スクリーン出して大きく映すっていうのをやって。記憶ありません?

 

【三浦】いやあ、ないんですねそれが。

 

【和田】ああ、そうですか。スクリーンで大きく映してたんですよ。

 

【三浦】まず、厚生年金会館大ホールで落語やるって一体どういうことなのかまったく理解が……頭の中で結びつかなくて。行ったらまず、バンダナ巻いてジーパン履いた談志師匠が出てきて、これはいったい何が行われるのであろうかっていう。あれ、一緒になんか喋ってたのって誰でした?

 

【山口】前説ですか、それ。

 

【三浦】前説っちゅうかそう、落語の前に出てきた。

 

【和田】ああ、それやってた時もありました。立ちでね。

 

【三浦】立ちで。

 

【和田】立ちで。うん。

 

【山口】あの、高座に腰掛けて座ったりするやつ。

 

【和田】腰掛けるっていうか、客席の最前の空間みたいなとこに出てきてジョーク言ったりしてる時もあったし

 

【山口】ああ、なるほど。

 

【和田】うん、紙見ながら。

 

【三浦】じゃあ、厚生年金って何回かやってるんですか?

 

【和田】やってます。で、厚生年金が……若い頃に、要するに60年代か70年ぐらいにやってるんですよ。その時すでに。

 

【三浦】あ、談志師匠が。

 

【和田】そうです。

 

【三浦】落語会を。

 

【和田】落語会を。だからこんなとこで、落語会やるなんてって、当時破格だったわけですよ。

 

【三浦】ああ、あそこ2000人ぐらい入りますよね。もっと入るか。

 

【和田】入ります。だからそれを久々に厚生年金来て、「やっぱここでやんの、なんか大変だな」みたいなこと言いつつやる、みたいな感じでやってましたね。談春も1回やってますよね。

 

【三浦】厚生年金で。

 

【和田】1回か2回。無くなる時にやったんですよ。クローズするときに。

 

【三浦】あ、そうか。なんかそれ行かなかったけどあったな。

 

【和田】うん。『たちきり』だったんです、その時。それご覧になってないですか?

 

【吉田、三浦】観たような気がする。

 

【和田】最後の……厚生年金がもう閉めるよっつって、いろんなミュージシャンがコンサートやった時に……。

 

【三浦】談春は落語。

 

【和田】談春は落語やったんですよ。

 

【三浦】ああ、行ったかなあ。

 

【吉田】多分買いやすかったじゃないですか。やっぱりキャパがでかいから。

 

【三浦】キャパがでかいから、うん。

 

【吉田】多分あの頃、わりと行こうって気が強かったから。行ってたんじゃないかな? 買えたから。

 

【三浦】ちょっと行ったかもしれないですけど記憶に全くないですね。いや急にちょっと談志2 REVO……。あれはなんだったんだろうなっていう。

 

【山口】なんだったんだっていう。

 

【三浦】いや、でも落語何やったか覚えてないですよね?

 

【吉田】覚えてないですね。それは、僕はいつも覚えてないですから。三浦さん大体覚えてるじゃないですか。

 

【三浦】いやそんなことないじゃないですか。いや僕も……。

 

【山口】厚生年金ってあれですよね。志ん朝の代演したところじゃないですか?

 

【和田】志ん朝の代演しましたっけ?

 

【山口】志ん朝、独演会で体調悪くなって。

 

【和田】ああ、それ厚生年金か。

 

【山口】談志。あれ? だったような気がすんな。ホールの、でっかい……。

 

【和田】ああ、そうかもしれない。志ん朝の代演。多分、僕の記憶があってれば3回やってるんですよ。

 

【三浦】あれ? 志ん朝が体調悪くなって?

 

【和田】そう、だから亡くなる年に。

 

【三浦】あ、で、談志師匠が代演した。

 

【和田】そうなんですよ。それが3回あって、僕は千葉に行ったんです。千葉市に千葉市民会館っていうのがあって。それが本来は、圓歌(三代目)・志ん朝二人会だったの。で、志ん朝さんが病気になっちゃって、で、俺なんか代演行くから……あれ、確か主催が東京音響なんだけど。それで、談志師匠が結構快諾して行って。で、僕が行った日は千葉……千葉市は談志さんが先出たんだ。

 

【山口】圓歌の前に?

 

【和田】うん。で、『やかん』やって……。なんていうかな、「本気出さねえぞ」みたいな感じのあれで(笑い)。で、中入で、圓歌があとで出て、圓歌はいつもの『中沢家(の人々)』とかやってましたけど。そんな感じだったんですよ、うん。でも珍しい顔合わせだなっていう感じで。で、東京芸術劇場で東京の会があったの。だから、結果的に圓歌・談志になった会が。その時の確か夜に……『富久』かな、それも。それはなんかすごいがちっとやったらしいですけど。僕は行かなかったんだけど。

 

【三浦】それ、千葉は『やかん』だけ?

 

【和田】いや、千葉は手抜きでしたね。うん。

 

【三浦】あ、そうですか。

 

【和田】『やかん』だけでした。うん。

 

【山口】そういう代演でも手抜きっていうかその、本気出さないことあるんっすか? なんか逆に……。

 

【和田】いや、やりそうでしょ?

 

【山口】代演の時って、いかにも気合い入れてやりそうじゃないっすか。

 

【和田】そうなんですよ。でも僕も千葉はそれを期待したんだけど、それが意外に無くて。で、いろいろ追っかけた人によると、東京の芸劇でやったのは、なんか夜はもうちゃんとピシっと出てきて『富久』やったっていう、圓歌・談志の会でね。圓歌はもう先輩ですからね。

 

【三浦】そうですよね。

 

【和田】そうなんです。それが亡くなる年でした。あ、そうか。厚生年金でやってたかもしれないですよね。

【山口】だからそれが、代演なのか志ん朝……独演会の代演ってありうるのかなとか思って、だからそれ二人会とか何人かの会だったのかなと思って。でも結構、何回か談志師匠が志ん朝師匠亡くなったあとに、自分で「やっぱり俺ぐらいしか代演できない」的な、なんかこうアピールとして結構語っていたんで。

 

【三浦】結構代演してるんですか?

 

【山口】いや、だからそんな何回もないですよ。だってもうそれは本当にね。うん。最後の方。

 

【和田】そう、最後の数カ月だったから。

 

【三浦】あれ? 志ん朝が亡くなったの、2001年?

 

【和田】2001年。だから、2001年に志ん朝。2011年に談志。2021年が小三治なんです。ちょうど10年刻みで。

 

【一同】おおお!

 

【三浦】10年刻み、本当だ。

 

【吉田】え、歳は同じくらいですか?

 

【和田】歳は、志ん朝が63、談志が75、小三治が81。

 

【三浦】ああ、10歳ずつは行かなかったけどっていう。

 

【和田】そうですね

 

【三浦】まあ、当然でも、10年経れば歳は取るし。

 

【和田】だから、談志は志ん朝より10年長く生きた。ざっくり言えばね。11年ぐらいですけど、本当は。約10年長く生きた。

 

【三浦】そうかそうか。なんかそう聞くとちょっと感慨深いですね。1年、11年、21年。

 

【和田】そうですね。うん。

 

【山口】いや、まあ……。噺家さんの、晩年っていうかその、60代、70代、80代ってのは本当難しいですよね。人によって、必ずしも枯れていい感じになるとも限んないじゃないですか。

 

【和田】そりゃそうですね。うん。

 

【山口】なんかね。志ん朝師匠とか、だって想像つかないですよ。70代は。

 

【和田】そうね。だから志ん朝さんはみんな言うのは、あの人ってやっぱり最後まで、あのメロディーっていうかリズム崩さなかった人なんですよ。無理からでも崩さなかった人なんで、だから、もうちょっと生きてたら自然に崩れた。つまりスローになるとか言葉が減るとか、ほころびが出るとかっていう風になってたはずなんで。だからそこの前だったよね、っていう感じがして。だからそこは観たかったという気がしますけどね。

 

【三浦】ああ、なるほど。でも、あえてそこで自分としても……まあ別に死を選ぶことはないですけど、そこで良かったっていうことはあるんですか? こう、それで亡くなった自分を……。

 

【和田】あれをベリーベストと自分で思ってるんならね。思ってるんなら良かったでしょうね、ほころびが出る前に終わったということは。でも本当はその次の、なんか緩くなった段階も観たかったし、それが次のステージだったような気はしますけどね。

 

【山口】それの、準備していた節はあるんですか、ご本人が。

 

【和田】いや、ないですね。

 

【山口】意識もなかったでしょう、多分。スタイルとしても変えていこう、みたいな。もうちょっと前の時代になりますけど、僕覚えてるのは(桂)枝雀師匠が50歳になった時に「もう50でこんなことやってれませんわ」って言って、毎回言って笑わせていたのを覚えてるんですよ。でも、スタイルは変えなかったわけですよね。で、行き詰まったというか、結構厳しくなっちゃった。で、それはやっぱり、変えようと思って変えられないっていうこともあるんじゃないのかなっていう。そう簡単に、何十年も作ってきた独自のスタイルが……。

 

【和田】簡単にはね、そらそうですわねえ。

 

【山口】やっぱり完成された人ほど、そう簡単に……「ペース落とせよ」って言われて落とせるものでもないだろうっていう気が非常にしますね。

 

【和田】まあ、そうですよねえ。

 

【山口】だから、志ん朝師匠もやっぱりあの流麗なメロディアスな、落語の調子を果たしてスローダウンできたんだろうかっていうのはすごい……。

 

【和田】そうですねえ。

 

【山口】うん、すごい思いますよ。それはもうテキスト的にももう。

 

【和田】でもこの間小朝さんがおっしゃってたのは、あの晩年……だから60ちょいだけど……の時の志ん朝さんが『黄金餅』で部分的にとちって、で、自分で「なんかもう、しょうがねえや」みたいなリアクションしてたと。だからそれは、すごく可能性を感じたとおっしゃってた。昔の志ん朝師匠じゃ絶対ないから。

 

【山口】あ、そうですよね。

 

【和田】うん。あの、「まあ、これはこれだ」みたいな雰囲気だったらしいんですよ、そん時に。だから、それを良しとするというか、そっちの方向性が広がっていったら、新しい志ん朝はあったかもしれない。多分志ん朝さんって性格的にも、そういうほころびを良しとしないスタイルで来た人だから。

 

【三浦】うん。そういう感じしますよね。

 

【和田】うん。

 

【三浦】あ、実際そうなんですかやっぱり。良しとしない……。

 

【和田】いや、そりゃそうでしょう。

 

【三浦】でしょうね。

 

【和田】うん、あれやってる結果がなんか?

 

【山口】(桂)文楽型というかね。

 

【和田】うん、そうそう。

 

【三浦】完璧な感じですもんね。

 

【和田】あ、そうですね。だから文楽は、緩い文楽ってのはないんですよ、だから。

 

【三浦】ああ、そっか。

 

【和田】うん。で、最後の高座と、亡くなった年が同じだから。まあ、同じことですよね。

 

【三浦】文楽って、要は言葉出てこなくなって、そのままもう老いちゃって二度と上がんなかったって聞きますけど、そうなんですよね?

 

【和田】そうです。

 

【三浦】そこでもう、そのまま死んじゃったんですか? その年に。

 

【和田】そう。

 

【三浦】へえ。

 

【和田】最後の高座から約200日後に死んだんです。文楽。だから、芸ができなくなるのと、もう命がほぼイコールだったわけ。

 

【三浦】あ、イコールだったんだ。

 

【和田】ほぼイコールだったんですよ。

 

【三浦】「勉強し直してまいります」って言って降りたんですよね?

 

【和田】そうです。国立劇場で。

 

【山口】『大仏餅』ね。

 

【和田】『大仏餅』。人名が出なくて。

 

【三浦】それは、その時のお客さんびっくりしたでしょうね。

 

【和田】したでしょうね。川戸貞吉さんっていうディレクターがその時のTBSの中継の担当で中継車の中にいて。で「これはまずい」っていって、だけど中継車の中にいるからすぐは出られなくて。切れ目……中入かな? 切れ目になって楽屋行ったんだけども、帰っちゃったあとで。「ちょっとこれはどうしたかな……と思って」って言っていましたよね。

 

【三浦】そのディレクターさんはなんか言おうとしたんですか?

 

【和田】いやいや、もちろんそうでしょう。ものすごい緊急事態だから。行ってすぐまあ……慰めるんだかなんだか分かんないけど、あの……。

 

【三浦】何かしらこう、プロデューサーとしても言って……。

 

【和田】そうそう、したかったんだけど。

 

【三浦】フォローしようと。

 

【和田】フォローしようと……うん。だけど川戸さんは……逆算した発言かもしれないけど、その日は楽屋入りからなんかすごい暗かったし、なんか普段の感じじゃなかったとは証言してますけどね。

 

【三浦】まあ、あとになってそう思ったのかも分かんないですよね。

 

【和田】かもしれないですね。

 

【三浦】ああ、なるほど。

 

【山口】それは相当体調が悪かったんですかね、その日のうちにね。

 

【和田】でしょうね。うん。

 

【山口】大体、落語家さんの休演ってのはなんか、「急病につき」とか普通にちょっと書いてあるから急病なんだと思うけど、もう本当に悪いことが多いですよね。

 

【三浦、和田】ああ。

 

【和田】そうかもね。

 

【山口】その張り紙結構……もう本当にやばい段階で穴あけるっていうか。めったなことじゃ穴あけないイメージありますね。うん。

 

【三浦】そっか。前に和田さん、晩年の(桂)吉朝さんの話もされてましたもんね。

 

【和田】晩年っていうか、だから……。

 

【三浦】晩年っていっても若い……。

 

【和田】吉朝さんこそ若いんですよ。

 

【三浦】若いですもんね。

 

【和田】50……。50歳だっけか? 50か51、2でしょ、亡くなったのは。

 

【山口】胃がんでね。

 

【和田】胃がんで。

 

【三浦】でも、ほんと体調悪いんだけど、高座つとめてたっていう。

 

【和田】あ、だから吉朝さんは、最後の『弱法師(よろぼし)』っていうの、国立文楽劇場でやったんですけど、亡くなったのが11日後ですもん。

 

【三浦】おお。そりゃすごいな。

 

【和田】うん。ほんとぎりぎりまで。

 

【三浦】大阪の国立文楽劇場?

 

【和田】そうです。あそこで独演会されて。で、2席予告してたんですけども体調悪すぎて。てか体調悪いって僕知らなかったんですよ。だけど行ったらものすごく体調悪くて、2席できなくて1席だけやります、って当日。うん。で、最後出てきてやったんですけど。そんなでしたね。話はよかったですけどもね、内容は。

 

【三浦】志ん朝って、亡くなったの肝臓がんですか?

 

【和田】直接的には肝臓がんなのかな? なんか肝炎も持ってたらしいですけどね。

 

【三浦】で、体調悪かったんですかね? それがなんか……。

 

【和田】悪かったらしいですね。その辺も僕知らなくって、なんか夏の結局8月の浅草演芸ホールの住吉踊りっていうのがあって、それ出たのが最後の高座なんだけど。なんか幕内っていうか近しい人は知ってたらしいんですよ。で、知ってたら僕行きたかったなと思うんですけど。だからそれもなんかそこまで悪いと思ってなかったんで。聞きに行ってもないし。

 

【三浦】談志って結構、ずっと病気のことをわりと明らかにしてて。「がんが、がんが」とか言ってたんで。なんかこう発信してくるじゃないですか。体調の悪さを。

 

【和田】発信しますね。めっちゃ発信します。

 

【三浦】もう、最後10年ぐらいずっとそうでしたよね。確かね。

 

【和田】そうです。

 

【山口】複数の病気持ってたからね。あちこち悪かった。

 

【三浦】だからあの時、ああ、行かなきゃ、ねえ。吉田さんとも一緒に何度か行ったし。そういうの心配ですもんね。

 

【吉田】そうですね。日々「あ、今日は持ち直したね」とかね。

 

【三浦】そうですね。

 

【吉田】「今日は悪そうだったね」っていう風に感想言ってましたね。

 

【三浦】その話、いつも終わってからしてましたもんね。

 

【吉田】うん。

 

【山口】談志は独特でしたね。

 

【和田】あれは独特です。

 

【山口】あれはもう意識的にドキュメントとしてね。で、高座でも言ってましたしね。「ドキュメントを見せるんだ」ってことも言いながら見せてたから、あれは独特ですよね。で、落語のスタイルとも一致してますからね、その姿勢が。

 

【吉田】だって僕らが観始めたのってもう、がんの発表したずいぶんあとですもんね。最初のがんの発表したのっていつ頃ですか?

 

【三浦】あれ? でも、その……。

 

【和田】あれは90年代ですね。

 

【三浦】そっか、じゃあもうそうですね。

 

【吉田】だから、全然だからもう病後なんですよ。

 

【三浦】だからもう、『談志2 REVOLUTION』ではもう発表されてたっていう。

 

【吉田】うん。だから、それで治療して治ったって、回復したっていうような、この中のどっかを見たんですけど。

 

【三浦】あ、そっか。治ったり悪くなったり、治ったりっていう。

 

【吉田】でもあれですか? 2004年からしか僕は生で観てないんですけど、もうその頃は、だいぶもう枯れてるというか。もうドキュメント・モードに入ってる談志さんを見てる。

 

【和田】ドキュメント・モードに入ってますね。今世紀入って。だけどご本人のジャッジだと、60超してすごくいいって、自分の判断としては。

 

【三浦】そうですね。本人がそう言ってるって。誰かの本にも書いてましたね。

 

【和田】だからその時期ですよね。うん。2007年か2008年ぐらいまでは、まあちゃんとしたクオリティーです。やっぱ、最後の3年ぐらいはちょっと厳しかったんで。うん。

 

【三浦】国立演芸場で一人会、晩年よくやられてましたよね。

 

【和田】はい。

 

【三浦】あれ、やっぱり毎回素晴らしかったっていう記憶があるんですけど、やっぱりでも和田さんから見るとこう、出来不出来ってあったんですか?

 

【和田】いや、出来不出来だらけだと思いますけどね。基本的に。

 

【三浦】大変失礼しました。

 

【吉田】だからもう、目の前に談志がいて聴いてるっていう、もう鼻に乗っかるからね、うん。だからもう、毎回観てます。やっぱりすげえとかって。

 

【三浦】で、毎回結構同じジョーク聴いて、ああ、ははっと面白いなと思ったり。

 

【吉田】もうだから、わりとこうもう、そういうモードで僕らも観てるから。うん。

 

【山口】いいファンですよね。それはね。

 

【三浦】あ、ありがとうございます(笑い)。

 

【吉田】ば、馬鹿にしてますよ。

 

【三浦】いやいや、いいんです。そうやって、こういうのが我々の関係性なんで。

 

【吉田】「ふふふん」じゃなくて。そう、ずっと、一緒に観に行くたびにずっと山口に馬鹿にされるっていう。

 

【山口】いや、そんなことない。

 

【三浦】いいんです、その関係性が。

 

 

 

 

 

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/

 

担当:にゃんごろ(ペンネーム)

 この度はご依頼をいただきありがとうございました。

落語は私も好きなので、いろいろな噺家さんや作品の名前が出てきて、聴いていてとても楽しかったです。

お話の中で千葉の単語が出てきましたね。私は千葉県民なので、わくわくしながらお話を聴いておりましたが、千葉市民会館で談志師匠が手抜きなさったという内容だったので盛大にツッコミを入れさせていただきました。また、逆に『やかん』だけしかやっていないのであれば、どのようにしてお話をつないだのかとても気になりました。

噺家さんの晩年のお話は、亡くなる最後の年まで落語をし続ける落語への熱意、感動いたしました。命をかけて落語をしていらっしゃるのですね。

この度の文字起こしをさせていただいて、久しぶりに落語を観に行きたいなと思いました。今のご時世だからこそ、落語を観て、笑って、気分を上げていきたいですね。

素敵なお話をありがとうございました。


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