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官庁訪問の思い出

今から9年前の2014年に国家公務員採用総合職試験に合格し官庁訪問をした。

官庁訪問とは内定を希望する霞ヶ関の省庁を訪ね、現職の職員と面談し業務説明等を受ける最終面接だ。
国家公務員採用試験の最終試験に合格してもこの官庁訪問をクリアしなければ官僚にはなれない。

K省を訪問し、ある課長と面談した際に印象に残った言葉がある。

「霞が関の世界というのは日本国民1億3000万人のことを大局的に考えなければならない。少数派への配慮も必要だが、100人程度の不便益には目をつむる必要がある」

確かそのようなことを言われた覚えがある。
圧迫気味の面接で自分がどのように答えたか今となっては思い出せないが、最大多数の幸福原則を目指す功利主義的なロジックで動いていることに違和感を覚えた。

サンデル教授のハーバード白熱教室で有名なトロッコ問題がある。

暴走するトロッコの進路の先に5人の作業員がいる。
何もしなければトロッコは作業員たちに衝突し5人の命は奪われる。
しかし、あなたの目の前にはトロッコの進路を変えるためのレバーがある。
レバーでトロッコの進路を変える場合、5人の命は救われるが別の路線上で作業している1人の作業員にトロッコが衝突するので、1人が犠牲になる。
果たしてレバーを操作してトロッコの進路を変えるべきか否かという問題である。

倫理学のレポート課題として上記の問題がテーマになったこともあった。
学生時代の僕は「何もしない」と回答した。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と富岡義勇ばりに主張出来ればよいのだがよいのだが、そこまで自信はない。

ただ運命にあらがわないこと。
暴走するトロッコによる不幸な事故を受け入れるしかない。
またトロッコが作業員に衝突した際、果たして5名の命が失われるのかは分からないので、運命を変えるような不自然なことをしない。
それだけだった。

作業員が100人だろうと1,000人だろうと当時の僕は運命を甘受すると答えただろう。

今、目の前に暴走するトロッコとレバーがあったら、どうするだろうか。

気休めぐらいになればいいよ
道に迷って引き返して
時間だけが過ぎて行くけど

積み重ねた 思い出とか
音を立てて崩れたって
僕らはまた 今日を記憶に変えていける

薄い氷を割らないように
下を向いて歩く僕は
簡単に虹を見落とした

迷わずにすむ道もあった
どこにでも行ける自由を
失う方がもっと怖かった

積み重ねた 思い出とか
音を立てて崩れたって
僕らはまた 今日を記憶に変えていける
間違いとか すれ違いが
僕らを切り離したって
僕らはまた 今日を記憶に変えていける

立ち止まって見上げた空に
今年初の星が流れる
なんとなくこれでいいと思った

積み重ねた 思い出とか
音を立てて崩れたって
僕らはまた 今日を記憶に変えていける
間違いとか すれ違いが
僕らを切り離したって
僕らはまた 今日を記憶に変えていける

ELLEGARDEN「虹」

今日も皆様にとってよい一日でありますように。
今日という日が一番若い。

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