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妄想とも幻覚ともつかない私の創作世界

とてもサイトマップとまではいかないけど
私の創作遍歴を。

まず二十代。
私は長篇から書きはじめる。
タイトルは「不死鳥伝説・風雲篇」
ヨーロピアンのDavid Libel(デビッド・リベル)が
ひょんな事がきっかけで、日本の忍びの血を引くミウラ・麻美と結ばれ
その間にできた翔・リベルの生い立ちを描いた。
のちにDavidは改名し、David Miura Libelとなる。

日本の未来世界が舞台であり
やたら電磁波が出てくる不健康な小説!
レポート用紙などに書きなぐったが、その原稿は今では大部分が散逸している。
その頃は国際交流団体の嘱託職員として、不まじめな社会人生活を送っていた。

とりとめもつかぬまま、惑乱と変動の三十代へ。
菓子工場をやめた私は、短篇に取り組んだ。
タイトル、「ユカリ、由香里」。
浪人生と少女とのかかわりを描いた小品だが、これまで歴代の小説の中では一番の出来だと思っている。
古びたマンションで主人公が自転車置き場の屋根に上方からバウンドしてきた少女を介抱するところから物語ははじまる。
親友のひとりの死を妖少女から予言されたり、死の一歩手前を逆に助けられたりし
物語はクライマックスへ。
これを脱稿してから間もなく、次作へと。

「不死鳥伝説・怒濤篇」。
主人公は暴走族のリーダー、天海肇てんかいはじめ
対抗する暴走族グループから壊滅的打撃を受けるが
ある男からすんでのところを救われ、やがて巨大な敵と対峙することになる…。
当時は私、プー太郎をしていたと思う。「ユカリ…」の勢いをそのままにして、暴力描写をふんだんにちりばめた。

書きくけこ

その次に取り組んだのは異界皇子いかいおうじである。
畜生界という異界において王の実の子である閻浮えんぶが人間界にやって来て、中江綾との交流を通して、人を知るのである。
その頃は塾講をはじめていたな。
これが約30年前のこと。
〝異世界転生モノ〟が真っ盛りな現今の、先駆けとなるようなものだった。
私はもうとっくにやってましたって。

三十代のフィナーレを飾ったのは、長篇Momマムである。
電磁波の恐ろしさを啓発しようとして書いた作品だったが
コンテストに出してもナシノツブテだった。電磁波はタブーだからね。
主人公の少年がMRIを頭部に当てられるシーンは、その十数年後に実際に私が経験したリアルと被ることになる。私も暴走したからね。

四十代は体調を崩すなど、しばらく低迷がつづく。
作品のアイデアはいくつか思いつきはしたものの、アブクのように消えていった。
ああそうそう、ギャンブル依存症について書いた「アディクション」を手掛けたのはこの時期だったかな。

五十代になって超能力ものを書き、六十代で自分の実体験に基づく作品を仕上げる。
双方ともコンテストでは落ちている。

今思えば文学賞なんて〝ギャンブル〟だと受け止めている。
応募者、主催者双方にとって。
賞に入選して、めでたくデビューしたとしても、その後四、五作で消えていくライターがほとんどだと言われる。
出版まで漕ぎつけたデビュー作がヒットすれば、双方にとって万々歳かも知れないが、それは百人デビューして一人いるかいないかの狭き門。
才覚と運、双方を兼ね備えた者だけが享受できる地位とメシの種だとだけ言っておく。その点がギャンブルそのものだ。

今は「P」という作品を手掛けているものの、第一目標のコンテストの締め切りには間に合いそうもない。Kindle出版が頭を余切っている。
復讐ものだ。
とりあえず、表紙のイラストだけは完成している。


朝起きて歯をみがき、顔を洗い、ゴミを出す。朝食を摂って食器を洗い…。

そういった日常ばかり描いている小説は、まず売れないだろう。
なぜなら非日常、異常なことを題材にした方が読者ウケするからだ。
日常がねじれたものが非日常であり、旅だってそうだけど、その先を期待したくなる。
非日常はさらにねじれることで、感情が高ぶったりするでしょ。

以上、私の執筆の歴史だったが、どう感じられたでしょうか。
現在は心理カウンセラーの資格を取り、生きづらさを感じている人の手助けをしようとはしていますが、これは直感で始めました。
もうひとつ「上級心理カウンセラー」の資格試験も受け、その合否通知を待っている状態です。
これをパスしたらさらに学習を進め、友人にパニック障害を抱えているのがいるので認知行動療法を施してあげたいと思っています。

先にも述べましたが、筆一本で生活するのは余程の筆力と運がなければなりません。小説ともなれば尚更です。
兼業ライターだって数多いと思います。
私もカウンセラーとライターの二足のワラジで食えたら……。





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