日々徒然の詩シリーズ「私たちとは生きること」
世の中は、素晴らしいことで満ちている。
ただ危機というのは皆にやってもくる。
いのちを唄うにはいのちがあることが前提だ。
自然のチカラは大きなチカラ。
文明のチカラは大いなる活動、そのチカラ。
例えば糸に釣られ浮いた鉄球があったとする。
同じ金属の小さな粒をぶつけ続けたら、当然削れる。
その粒を早く連射すれば、その分鉄球はズタボロだ。
これは地球にも同じことが言える。
私たちは、過酷な自然を生き抜くために文明を発展させた。
しかし、文明の土台は既に狭まっている。
私たちの記録は残るが、その活動の集合を科学では生きた芸術として見るだろう。
大切なのは現在(自分)なのだ。
淘汰されゆくことを受け入れることも確かに、全体としては必要だろう。では、その指標はつよさにあるか?
大いなる活動と先程は言ったが、見方を変えればエゴの書き換え。
幸福とは満たされていることを感じられる期間をいう。
その中で自我が育まれ、偏見に偏った良い人間が出来上がる。
良い人間は時代が変われば、時代が自身を不必要としていることに気づく。
正義と正しさは少し違う。
正しさは言ってしまえばそのときどきの基準を求めるのだろう。
正義とは、その正しさをもって、より善きエゴを行使することに他ならない。
場合によっては多くにとって悪のようにも映る。だがそれはちがうのだ。
邪(よこしま)なるものは難む(はばむ)。
魔は一時の不条理。
悪とは時に立場を変える善の一形態。いずれはその誇りと良心を、体制と天秤にかけるだろう。
秩序の構築は開けた階層構造を生む。
暖気は速やかに冷え降りていき、冷気は熱を求め舞い踊る。
では、ここに当て嵌める気温とは正しさに相当するのではないだろうか。
それを知ったものは災禍に苛むものを傍目に、諭すことしかできない。
エゴが入り乱れるのは何も争いだけではない。
和合。意見を纏め、より柔軟に日々を考え、より穏やかに過ごす。それが大事なのだ。
優劣を嘆く声が平等を叫ぶ。
満たされない感情に喘ぎ、暖を求める。
やるせない焦燥に身を焦がし、ただただ自身を抱き止める。
それらは体制のくびきの中の陰なる部分に他ならない。
人は絶望しない。いかなるときも希望を持つ。
人は絶望しない。怨嗟の声もまた、道徳によって解せる。
私たちはただ、天と地の間にいる。
それを知ったヒトを、人間と呼ぶのかもしれない。
多くを知ることは、少なきを知ること。
考えることは、わからぬことを思うこと。
正しさはただ天と地にある。
私たちはたださまよう善の形。
人生の旅路は果てしなく永い。
それを捨て去るのは忍びなくもあるのだ。
私たちとは生きること。
もう一度、言おう。
世界は、素晴らしいもので満ちている。
私たちとは、生きること。
ほづみわたる
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