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中田◯ウス烈伝①

これは関係者からの証言に基づいた『実話』である。

時は1923年。

日英同盟の失効、ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立、トルコ共和国の成立、虎ノ門事件、エトナ火山の噴火。

そして、あの歴史的大災害、
関東大震災の起こった年である。

1923年9月1日午前11時58分。
関東地方南部をマグニチュード7.9の大地震が襲った。死者約9万9千名、行方不明者4万3千名、全壊家屋は約12万8千戸、焼失家屋は約44万7千戸にのぼった。

この地震により日本国は混迷を極めた。

路頭に迷う人々、
瓦礫の溢れる街、
容赦なく照りつける日差し、
そして、終わらない戦争

人々はこの年を『呪われた年』と呼んだ。

そんな年に、ある一匹の子狼が生まれた。

本名『野間 勝道』

後に、『中田◯ウス』という名を掲げ、拳一本でお笑い界を駆け上がっていく男である。

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彼は飢えていた。

戦争と震災、日本は今、暗黒の時代であった。

彼は、飢えていた。
右手に芯だけしか残っていない痩せたリンゴを片手に街をフラフラと歩くのが習慣であった。

彼はこの時14歳。身長はおよそ190センチ、それに対して体重は20キロほどしかなかったという。

彼は周りから『ヒバ公』と呼ばれていた。
これは愛媛の方言で、『痩せ細った陰茎』という意味の言葉である。

しかし、彼はその細身の身体からは想像の出来ないほど喧嘩が強かった。よく考えれば当然のことだ。身長が190センチほどあるのだ。細身の冷蔵庫だと思えば想像に易い。
彼は一度頭に血が上ると、その小ぶりな鼻をパンッパンに膨れ上がらせ、相手を血塗れ、木っ端微塵にする。

その姿、まさに、

『怒張』

ロシアの種馬を思わせるその獰猛さ。

そう。彼は飢えていたのだ。
血に。肉に。
そして自分を打ち負かしてくれる強敵に。

続きはまた次回に、、、

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