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リクルートの代理店の代表だった私が外国人雇用を始めた理由②

求人広告、派遣、外国人紹介とバラバラの事業を展開しているために、共通の目標が見えなくなっていると感じた私は、自分なりに社会的価値を捉えてもらえる理念のようなモノを考えてみました。

私には夢がある。それは、人種や国籍に関係なく、その人の評価によって雇用される国になるということだ。

お気づきの方も多くいると思いますが、黒人差別問題に立ち向かったキング牧師の名言を模倣したものですね(笑)
かなりマジで話したんですが、すごく白けた雰囲気が漂っていたのを覚えています。今から考えてみると、そもそも人格として評価をしていない人がどんなことを言葉を口にしても、全く響かないのは当然なんですね、だから、その時の私のやるべきことは、一人一人との関係性を構築することだったのですが、それをしようとはせずに、自分がやろうとすることに社会的価値を感じて突き進んでいきました。

2019年には外国人を労働者として受け入れる特定技能制度が開始をされ、がぜん外国人雇用が注目を浴びるようになってきました。私は前から外国人雇用に携わっていたこともあり、名古屋だけでなく、東京や大阪でも講演をさせてもらえるようにもなりました。

大阪での講演の様子

今が攻め時だと感じた私は勝負に出ました。ハノイで特定技能を含めた初の就職フェアを立ち上げたのです。無謀と言われましたが、そのフェアで一気に特定技能制度でのトップランナーに躍り出るのだ、という気概に満ちていました。

ハノイジョブフェアのチラシ

ただ、まず足元が崩れていきました。社員の大量離職です。社会的意義とその事業の可能性を感じることができれば、必ずついてきてもらえるはずだと思っていた私の勝手な思い込みは、最悪の状況となってふりかかってきました。
「社長は自分が注目されることにしか興味がない」
離職した社員の言葉です。私からすると、会社の知名度を上げるためにしてきたことが、我が身のためにしていることと思われていたんですね。それは、コミュニケーションをないがしろにしてきた自分の落ち度でもありました。
そこから、地獄のような日々が始まりました。退職した社員の仕事を自分が担当しなければならず、業務が倍以上に増えました。なおかつフェアの出店企業の営業、地元との対応、イベントの構築まで全てしなければならなかったため、朝は5時に出社をして夜遅くまでの仕事がずっと続きました。それでもフェアを成功させなければ後がない、という思いから何とか出展企業を17社集め、12月7日の当日を迎えることになりました。

当日の受付の様子
廊下にまで並ぶ求職希望者

現地の送り出し機関と組めば、求職者を多く集められる、というヨミはあたり、どのブースも行列ができる状態をつくることができました。参加頂いた企業様も、求職者だけでなく、多くの現地の送り出し機関とのパイプをつくることができて良かった、という評価を頂き、フェアは大成功に終わりました。
フェアをやることで、大きな話もいくつか舞い込むようになり、これからは違うステージでビジネスができる環境になるな、と大きな期待もできるようになりました。
ただ、そこで事態が大きく暗転します。
年が明けてスグ、日本だけでなく、全世界を覆ったのはコロナでした。


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