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安直かよ 大阪府、地下駐車場保管作品をデジタル化で処分とか(6)

インターネットでも「作品」を鑑賞できる良い時代になったけれども

 現在では、インターネットを通じて美術館や博物館、公的機関が所蔵作品を公開するなど、日常的な光景になりつつあります。
 日本では国立国会図書館NDLイメージバンク(※15)、国外ではルーブル美術館(※16)等の美術館や博物館が、インターネットで所蔵作品の公開を行なっています。その他の美術館や博物館、公的機関も、SNSを通じて所蔵資料や作品の情報発信をしています。現在では、インターネットにつながることさえできれば、誰もがこうしたデジタル画像化した作品を見ることが可能です。良い時代になったものです。とはいえ、これらインターネット上の作品はあくまで再現された作品です。それも、光源色によって。
 作品の現物が物体である限り、作品の現物の色は物体色(※17)です。視覚的デジタルデータの映像等のメディアアートでもなければそうなります。光源色と物体色とでは発色も色域も異なります。こうした条件下で、作品現物を視覚的デジタルデータ化するということは、物体色であるモノをそれらしく光源色で再現するということです。これは、視覚的デジタルデータの再現作品を作品現物に限りなく似せられる可能性があっても、「現物に似た何か」という域を越えることはないということを示しています。デジタルデータの限界、「光の壁」とでも言うべきものでしょう。
 地下駐車場保管「塩漬け」作品について、大阪府特別顧問の上山信一氏は「デジタルで見られる状況にしておけば、現物の処分をしてもいい」と述べたとのことですが(※18)、そのような「光の壁」を鑑みれば、「デジタルで見られる」作品はあくまで「現物に似た何か」に過ぎないと言わなければなりません。
 私は、美術館や博物館が所蔵作品をデジタル化することに否定的なわけではありません。むしろ大歓迎です。ただ、もともと物体としてある作品を再現した視覚的デジタルデータは、作品そのものではないということには自覚的であるべきだと考えています。上山氏に対しては、美術関係者から「裏付けとして作品現物を持っていることは必要だ」との指摘もありました。現物の作品がなくなれば、現物の作品を再現しているのに「何を」再現しているのか不明になるということから、私も作品現物を持っているべきだと考えています。

デバイス間の色の差異

 「デジタルで見られる状況」などとは、言うは易く行うは難し。その状況を成立させるには、まず、視覚的デジタルデータでの再現を技術をもって適切に行わなければなりません。その上、そのようにして再現した作品を鑑賞する際にもデバイス間の色の差異の問題があるので、これについても適切に対処しなければなりません。というか、後々揉めないよう、どこで妥協するべきかはあらかじめ考えておくべきでしょう。
 インターネットにつながる場合もそうですが、現物を視覚的デジタルデータ化した作品を鑑賞するためには、そのためのデバイスが必要になります。こうしたデバイスは、種類によって最大表示色に差異があります。すると、デジタルデータ化した作品を複数の人がそれぞれのデバイスで鑑賞する際に、鑑賞する作品がたとえ同一であるとしても、それぞれ色彩やグラデーションが微妙に異なる画像を見るという例を含むことになります。
 何らかのデバイスで鑑賞するならば、デバイス間での作品の見え方の差異は極力小さな範囲にとどめなければならないし、それが現在の技術でどこまで実現可能なのかといったことを考えなければなりません。これは、ネットを媒介する場合であれ、それ以外であれ、視覚的デジタルデータ化した作品をデバイスで鑑賞する限り逃れられないことです。

次回に続きます。

[注釈]

(※15)国立国会図書館NDLイメージバンク(https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/)
(※16)ルーブル美術館>デジタルコレクションページ(https://collections.louvre.fr)
(※17)光源色と物体色:光源色は、視覚的に見ることが可能な色の中でも光源の光そのもの。物体色は物体に吸収されずに「反射した光」である表面色や、透明な物体に吸収されない「残りの光」である透過色がある。これら光源色と物体色とでは色域や発色が異なり、色の見え方にも差異がある。
(※18)「デジタルで見られるなら処分も」地下駐車場美術品で大阪府特別顧問(毎日新聞/2023年8月18 日)(https://mainichi.jp/articles/20230818/k00/00m/040/192000c)

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