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安直かよ 大阪府、地下駐車場保管作品をデジタル化で処分とか(7)

デジタルデータが保管対象の「資料」となる時代

 高度情報化社会と言われ30年あまり。デジタルデータも美術館や博物館が保管対象とする「資料」となってきました。博物館法でも明確な位置づけがあります。同法第二条4項には次のように記されています。
「4 この法律において「博物館資料」とは、博物館が収集し、保管し、又は展示する資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。次条第一項第三号において同じ。)を含む。)をいう。」
 今や、「電磁的記録」も「資料」対象という時代です。美術館や博物館は、以前の記事でも述べた通り(※19)資料を収集して保管する役割も持つ機関です。つまり、アーカイブ機関でもあるわけですが、このような機関がデジタル領域の「資料」を未来にわたりどのような手段で保管していくべきか、1000年単位で考える時期に差し掛かっているように思います。これは、大阪府の「塩漬け」美術作品コレクションに構想がある「デジタルミュージアム」に限ったことではないはずです。
 既に述べたとおりですが、デジタルデータの可読期間には時間的限定性があります。少しおさらいしますが、それは、デバイスとブラウザ、ファイルシステムやアプリの変遷、そして、それらとパソコンのOSや外部記録メディアとの適合期間の限定性に起因します。したがって、未来にわたってデジタルデータの「資料」を見たり読んだりしようとするなら、それが可能となるよう、未来にわたってそのデジタルデータの環境を更新することが必須になります。しかしながら、それには困難がともない実現性には危うさがあるといえます。

せめてもの解決策ですが…

 その実現を目指すとして、せめて一つ解決策を提示しましょう。未来において「時代遅れ」になったとしても、あるアプリを使えば読み込み可能となるというようなデジタルデータの保存形式を廃止せずに残しておくこと。 例えば、「PDF」や「JAPG」といった保存形式のような(欲をいえば「MOV」も)。これらは、デジタルの領域では1990年代には既に利用されており、複数種類のデザインアプリでも書き出し可能であり、「JAPG」なら写真データの保存形式として現在でも普及しています。「PDF」や「JAPG」での書き出しさえしておけば、未来にわたってそのファイルを読めるという程度の希望にはなるでしょう。そして、そのようにしておけば、「資料」を「収集」する際の問題についても少しでもベターな解決策の提示ができるかもしれません。

デジタルデータの「資料」を「収集」する際の問題

 美術館や博物館が保管対象とする「資料」としてのデジタルデータについては、「保管」ばかりではなく「収集」における問題もあります。
 現在において既に資料性があり「資料」として保管しているデジタルデータなら、未来にも見たり読んだりしていける可能性はなくはないでしょう。一方、時代を経て資料性が発生し発見された「資料」としてのデジタルデータを「収集」したものの、ファイルとして内容をブラウズできないという問題も発生するのではないかと危惧しています。そのような「資料」の様相ですが、例えば、昭和の文豪が書いた(紙媒体の)原稿が新たに発見され、貴重な「資料」となるなどという例、あるいは、浮世絵のように後世で価値があがり「資料」として「収集」対象となる、などといった例です。現在から50年後、「貴重な資料であろう1990年代のMOが、メディアアート作家の自宅から大量に発見される!」ということが発生した際、その「時代遅れ」の記録メディアにあるはずのファイルをブラウズできるのでしょうか?
 そうした際、その記録メディアが「時代遅れ」だから読み込み不可能などとなっていては、せっかく「収集」した「資料」の媒体が中身不明なガジェットとなってしまいます。また、その記録メディアをなんとか読み込むことができたとしても、ファイルを開示できなければ見たり読んだりすることはできません。
 ファイルを作成したアプリのバージョンでなければ、そのファイルが開けない仕様のアプリもあることは、既に述べたとおりです。そうした点では、現時点でもデジタルデータとしては「遠く」なっていて、今後喪われるファイルがあろうことは想像に難くありません。ですがそのような場合でも、元ファイルが「PDF」や「JAPG」で書き出されていれば、まだ希望はあります。未来にも、「PDF」や「JAPG」であれば読み込みが可能というアプリがありさえすれば、元のファイルの見た目は知ることができます。
 また、現在でも「PDF」や「JAPG」での書き出しが可能なデザインアプリはありますが、将来的に多くのクリエイター向けアプリでこのような書き出しができるようにしていけば、元のファイルの見た目のブラウズは可能であり続けます。それも、「PDF」や「JAPG」でありさえすれば読み込み可能なアプリがあり続ければ、の可能性ですが。けれども、元ファイルからすれば変換した保存形式になっているとはいえ、「PDF」や「JAPG」のファイルにしておくことに一縷の希望はあります。

保管対象としてのデジタルデータのふるまい

 正倉院には1000年を経てなお宝物が保管し続けられていますが、保管対象としてのデジタルデータにはそのようなふるまいができるでしょうか?
 宝物の展示がある展覧会(※20)があっても、それぞれの宝物の出陳のタームは10年以上も当たり前、頻繁に展示が行えるわけではありません。とはいえ、保管対象としての宝物はあり続けています。ですが、デジタルデータは、そのように「あり続ける」ことは可能でしょうか?
 保管するデジタルデータは、常に読み込み可能な環境に更新することが必要です。1000年もその更新を繰り返していくことは困難ということはいえるでしょう。 もし、何らかの理由でその更新が叶わなくなくなりデータの可読環境が喪われてしまった場合、データとしては書き込まれているもののファイルとしては「ある」といえるのでしょうか?これは、資料性が発生したものの「収集」する時期が遅く、ファイルとして既に開示不可能となっていた場合のデジタルデータにもいえることです。そのデジタルデータはファイルとしては「ある」のでしょうか? 確かに、「それは=かつて=あった」。しかし、「それは=かつて=あった」というデジタルデータの「痕」でしかありません。
 デジタルデータの記録メディアについて経年劣化「する・しない」には諸説あり、時間が経たなければ結論づけられません。しかしながら、デジタルデータそのものは変質しないまま——変質しないからこそ——時代から取り残されるという様相で経年劣化します。デジタルデータを「収集」すべき「資料」対象とするならば、デジタルデータはやがて「遠く」なり喪われる性質があることを前提として、保管の手段を模索しなければならないでしょう。

次回に続きます。

[注釈]

(※19)「大垣市「世界の女性作家によるポスター展」の作品除外について問う(2)」
(※20)正倉院の宝物の展示は、近年では、2019年に東京国立博物館で「御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」」で行われている(レプリカの展示もあり)。また、奈良国立博物館では毎年秋に開催される「正倉院展」で継続して行われている。

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