顔見るよりも背中見よう

ルッキズム。

私はこの言葉が嫌いだ。

容姿なんていくらでも取り繕える薄っぺらいものなのに、

私たちはどうしても見た目にこだわる。

まあ、形がいいに越したことはないけどね。

私の中で、魅力的に見える人って

なんとなくだけど背中が大きく見える。

余裕があるっていうか、大人びてるっていうか、

言葉には表せないんだけど、計り知れない何かを持ってる。

私の中で、背中が大きく見えた人って両手に収まるぐらいはいる。

その中には、両親もいたり、友人もいたりするけど、

中学1,3年の時の担任と高校2,3年の時の担任。

この2人の背中の大きさは私の中では一番大きなものだと思ってる。

中学の時の担任は、普段はヘラヘラしてて、ひょろっひょろな人だったけど、

いざという時はしっかりしてて、頼りになる素敵な人だった。

私はその人が書く学級便りが大好きで、

毎週楽しみにしていたのはここだけの話である。

中学校を卒業する日の朝、その学校でもらった最後の便りの内容は今でも覚えてるし、

文章で泣かされたのは、それが生まれて初めてだったと思う。

自分が文を書くのが好きなのは、

その人の影響も出てるし、

先生みたいな文をいつかは書いてみたいなって気持ちがどこかにある。

今でも担任持ってたら書いてるのかな。

書いていて欲しいな。

あの人の書く文は必ず誰かを元気にしているはずだから。

高校の担任は、私が新しい学科に入った時からお世話になってる人で、

赴任した時の挨拶を聞いて、

やばいやつが来たってあの時は思った(笑)

今でもその直感は間違ってなかったと思う。

それまで私は高校の先生に対して、あまり良いイメージを持ってなかったし、

中学の先生と比べてしまう気持ちがどこかにあって、

尊敬する先生がいなかった。

でも、その先生はこれまでの先生たちとは違ってて、

生徒一人一人に対する熱量が違ってたし、

とにかくこの人はやばい。

そんな気持ちでいっぱいだった。

まあ話せば長くなるんだけど、

その先生には私のことほぼ全てに関して

お世話になった。というか、お世話になりすぎた。

この前久しぶりに会って、ご飯に行かせてもらったんだけど、

あの時の先生のままだったし、

10年後も、20年後もずっと素敵な姿のままなんだろうな。

総じて言いたいことは2人からはダサいって感じたところは一つもないし、

どこを切り取っても素敵なところしかない。

成人式迎えたら、2人の背中また見たいな。

変わらないままなのだろうか。

それとも、もっと大きくなってたりして。

本当にかっこいい人って、

カッコつけた時だけ輝くんじゃなくて、

どこか遠くに行ってしまう時でも、

その去り姿さえも輝いて見えるのだと思う。

自分も大きな背中持てるかな。

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