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若いころは、たくさんのヒットより数少ないホームラン


特技のなかった私

学生時代、得意なことがとことん少ない人間でした。音楽、美術、体育のセンスはゼロ。高校に入ると、体育は得意な種目を選択でき、苦手な球技を避けたおかげで運動音痴っぷりが目立たなくなりましたが、代わりに勉強が苦手になりました(苦笑)。苦手なことがあると、学校に行くのが憂鬱です。なんでもできる素敵女子に憧れていました。

いまでも「特技」と聞かれると悩みます。会社員になってからは、上司から「プレゼンがうまい」と誉められることが多いのですが、「特技:プレゼン」っていうのはなんだかなあ。どれだけすごいプレゼンをするのだ?と言われたらちょっときつい。
料理は好きだけど得意ではない。英語はTOEIC800点台だから、もっと得意な人がいっぱいいる。
趣味だったらたくさんあるんですけどねえ。


ほとんど三振、ときどきホームラン

そんな私が自己肯定感を持ち続けられたのは、ほとんど三振でも、ときどきホームランが打てたからにほかなりません。
中学までは勉強ができた。高校で盛大につまづいたけど、最終学歴は一流(ということになっている)大学で、総理大臣も多数輩出している大学に落ち着いた(一浪したことはいちいち言わない・爆)。
高校では勉強でやらかしたけど、部活動では県大会で優勝し、地元のニュースで報道された。全国大会にも行った。
誰でもできることかというと、ちょっと難易度が高いでしょう。
そういううまくいった箇所だけ切り取れば、
「地方進学校から東京の有名大学に行き、高校在学中は部活動でも全国大会レベルの成績を残した」
というすごい人みたいではないか。そんな人、田舎の公立中学では学年に1人いるか、2人いるかってレベルだわ(自画自賛)。
その実態は苦手なことだらけで、勉強も苦手で、一浪して受験科目数の少ない私立文系に滑り込んだ不器用な人なんですけどね(苦笑)。
ついでに、氷河期に給料の高い大手外資系企業から内定をもらえたのも、ホームランといってもいいと思います。

繰り返しますが、私は若いころ、なんでもまんべんなくできる人が羨ましかったんです。でも、どれも偏差値60くらいの人生よりは、苦手なことは偏差値50以下、得意なことは偏差値70超みたいな人生も悪くないなと思います。
もし前者であれば、私は19歳にして「人生の基盤」を東京に移すことはできなかったことでしょう。移す必要性も感じず、地元でいい感じの人生を歩めたと思います。
能力にデコボコがあり、ついでに性格も癖あり(というか難あり)の私は、地元での将来に明るい展望を描くことができず、東京に逃げてきたのでした。


若いうちにホームランを打ちたい

大人になった私は、幸い得意なことを仕事にできました。仕事を選んだ時点では得意かどうか半信半疑でしたが、やってみたら、少なくとも苦手なことでも苦痛なことでもありませんでした。ホームランはなかなか打てませんが、ヒットを打ち続けたからここまで来れたと思っています。

そんな経験を通して思うのは、若いうちにホームランを打ち、年をとったら自分を生かせる場所で手堅くヒットを連発する生き方が良い、ということです。
残念ながら、たいていの人は大谷翔平選手のようなスペシャルな才能はありません。ですが、部活動の県大会優勝、実力よりちょっと上の高校、大学に合格などでも十分ホームランです。若いころのホームランは人生を変えるインパクトがあります。私のように不器用な人間ほど、ホームランで人生の道筋を決めることが大事ではないかと思います。


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