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上京翌日から試食販売をやっていた私はかわいそうだったのだろうか

大学に行くまでの話

私は地方出身で、裕福な家庭の出身ではない。両親は自営業であったが、才覚のない人たちで、私が中学生の頃に失敗してしまった。その後、母親が癌で亡くなり、父親も病気をしてしまったので、ほとんど収入がなくなった。
あまり大きな声で言いたくはないが、私が東京の大学に行けたのは、母の保険金のおかげである。この進学までにもゴタゴタがあったのだが、それは別の機会に書くことにする。
なお、この家庭環境の割には優秀だったので、日本育英会(当時)の無利子の奨学金ももらえたし、大学からは給付型奨学金をもらった。バイトもしていて、仕送りは家賃だけだったが、これは卒業後に親代わりの叔母に返した。奨学金も繰り上げで30代半ばで完済した。さらに老後資金は準備済で、そのうえ毎月給料の半分を貯蓄や投資に回す余裕がある。若い頃から寄付だってしている。大学に行った元は十分にとったので、誰にも文句は言わせないぞ(爆)。


上京した翌日から試食販売のアルバイト

今年のお正月、叔母と話していて、またいつもの話をされてしまった。
「あなた、東京に行って、大学の入学式の前にバイトしてたでしょ?いまでも思い出すと涙が出るのよ」
たしかに東京に着いたその日に、私はコンビニでアルバイト情報誌を購入し、日払いのバイトを探した。氷河期であったが、試食販売や引っ越しのアルバイトはたくさん募集があった。私は試食販売の派遣会社に登録し、早速見知らぬ街のスーパーで働くことになった。何を売ったのかはちょっと思い出せないが、人前で話すのは苦手ではないし、それなりに楽しく働けた。
その夜、叔母から電話がかかってきたので、
「今日はアルバイトに行ったんだよ」
と話したのを、私もたしかに覚えている。
そのあと、叔母は電話を切って泣いたらしい。

いまこうして書いていると、私もたしかに涙が出てきたが、当時は悲しくもなかったし、みじめでもなかった。
わがままを言って出てきた東京で、自分で稼ぐのは普通のことだと思っていた。そのことを理不尽だと思ったこともなかった。さらに、稼いだお金はすべて飲み会に消えた(笑)。なので、かわいそうでも何でもない。

そう考えると、東京の大学に行って良かった。東京はアルバイトがたくさんあるし、時給も高い。地方だと試食販売のスーパーに行くのに車が必要なこともあるが、東京は交通網が発達しているから、電車やバスで行くことができる。実家が貧しい私にとって、お金をねだるのはつらいことだから、自分の自由になるお金がたくさん稼げるのはありがたいことだった。

それにしても、いま思えば、すべて「若さ」である。もうあんなにがむしゃらに頑張るの無理だなあ(苦笑)。若いって素晴らしい。


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