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東京出身であることが「幸せの条件」というのには同意できない

幸せの条件

最近、発言が炎上してしまったが、経済学者の成田悠輔さんの話が好きで、動画をときどき見ている(話が好き=考えに同意している、ということでは必ずしもない。)
今日見た動画のテーマは「幸せは数値化できる?」だった(ABEMA Prime)。この動画の冒頭で紹介されたのだが、「幸せに暮らしている?」と聞かれて「Yes」と答えたのは、関西82.5%、関東76%らしい。なお、どちらの地域も、男性より女性の方が幸福感が高いということだった。
なお、幸福度研究の専門家によると、一般的に北陸の幸福度が高く、2022年の調査では1位福井、2位石川、3位東京だったらしい(日本総研:幸福度ランキング)。なお、この調査では大阪は下位であった。
ほほお、興味深い。

幸せについて、もう若くない私が思うのは、
「幸せかどうかは自分で決めることなので、幸せになれる条件なんてないし、他人との比較も不要」
ということである。
あえて条件があるとしたら、健康で、安心して眠れる場所があり、食べるのに困らず、毎日お風呂に入り、清潔な衣服を身に着け、病気のときは適切な治療を受けられるくらいのお金があることだろうか。でも、それが十分にあっても「自分は不幸」と言う人はいるし、それがなくても「人生は楽しい」と言う人もいるだろう。
本当に、それぞれの考えによるとしかいえないのである。


東京出身が「幸せの条件」と言った友人たち

数年前に知人Aさん(男性、地方出身)、Bさん(女性、東京出身)の3人で飲んだときに、どういう話の流れか、私とBさんが
「一生分の幸せの量は、みんな平等だというしねー」
と話していたら、Aさんが
「いや、それは違う。幸せは最初から決まっている。東京出身者は幸せだ。いい私立中学に行ったり、大学受験も有利だ」
と言い切った。それに対し、中学から私立に通ったBさんが
「たしかに、塾もたくさんあるし、中学受験をしたり、機会には恵まれていますね」
と答えた。

それを聞いた私が釈然としないのは、このふたりが、
「東京出身であれば、よりよい進路を選べるから幸せ」
と思っているのだとしたら、それは違わないか?ということである。よりよい進路というのは、身も蓋もないことを言うと、東大に行けるとか、京大に行けるとかいう話である。
Aさんは某県トップの県立高校から地方国立大学に行き、旧帝大の大学院に行った。彼はもしかしたら、自分が東京出身であれば、幼い頃からもっといい教育を受けて学部から東大や京大に行けたと言いたいのかもしれないが、彼の母校からも、同じく県トップである私の母校からも、塾にも行かずに東大に受かった人はたくさんいる。彼も地方の高校でちゃんと対策したら行けたはずである。

また、上記の考えについて突っ込みたいのは、
「幸せの基準は、偏差値の高い大学に行くことなのか?」
ということである。
失礼を顧みずに言わせてもらえば、ふたりとも大学を卒業して優に10年は経っているのに、いまだにそういう価値観にとらわれているとしたら、それだけで不幸の条件を1つ満たしている。
ただ、世間に「偏差値の高い大学に行くことが成功」という考えの人はかなりいるし、議論しても永遠に答えの出ないことであろうから、その場で話題にあげるのはやめておいた。

そこで、それには触れず、以下のような問題提起をした。

「それは人によるんじゃないの? 地方に産まれて、東京に行こうとも思わずに地方で生活している人は、自分がそうしたいから、そうしてるんじゃないの? それが不幸だっていうの?」

「東京では塾通いができるっていうけど、地方では塾にも行かずに、学費の安い公立高校から東大とか受かる人がいるんだよね? それってすごくコスパ良くない?」

1つ目の話は、前述のとおり、東京の幸福度が福井、石川、調査によっては大阪にも負けていることから、「東京が幸せな人が一番多い地域というわけではない」ことの裏付けになるだろう。強固な「東京出身が幸せの条件論者」には、
「福井、石川、大阪で幸せと答えた人はみんな東京出身だ!東京出身者ならどこにいても幸せだけど、福井出身者が幸せなはずがない!」
と反論されるかもしれないが(笑)、福井、石川にだけそんなに東京出身者が流れ込んでいるはずはなく、福井出身者、石川出身者にも幸せな人がたくさんいるのである。

2つ目の受験の話は、
「中学受験しても、東大どころか、私の母校(大学)にも入れない人たくさんいるよね? そんな結果になるのに小学校から塾通いして中学受験するメリットあるの?」
と言いそうになったがやめた。Bさんがまさにそれに該当するからである。
私立中学に行くことは、将来の大学受験だけが目的ではないだろうが、田舎の公立中学で学べることもたくさんあるし、簡単に
「私立中学に行ける方が幸せだ」
と言ってほしくないぜ。


たぶん、東京に産まれただけでは幸せにはなれない

「幸せは最初から決まっている、東京出身者は幸せ」と言ったAさんが、東京に産まれたとしても、それだけでは幸せになれなかったように思う。
彼の考える「幼い頃から知的水準の高い環境で育ち、十分にお金があり、東大や京大に行ける人」は東京でもほんの一部である。Aさんが運よくそういう環境に産まれることができなければ、
「実家が金持ちだったら、親が高学歴であれば、教育水準の高いエリアに産まれていれば」
など、別の条件を持ち出すであろう。
一方、彼がイメージするとおりの環境に産まれていたとしても、自分の思うような成績がとれなければ、自分より成績のいい人、友達から人気のある人がいたら、また不満が募りそうである。

このように「~であれば幸せ」という条件を持ち出し始めたら、きりがないし、他人に勝ちたいという気持ちが強くなる。他人の賞賛も欲しくなるであろう。
そういう人生が幸せだとはどうしても思えない。心の平穏は訪れないだろうし、何より疲れそうである。

手っ取り早く幸せになるには、不可抗力のことを「幸せの条件」にはしないことである。出身地、実家の財力、家族構成などは不可抗力である。
あとは、ハードルを上げすぎないことだろう。
昨日、「怪物」という映画を観た。ネタバレになるので詳細は書かないが、田中裕子さん演じるある人物の
「誰かにしか手に入らないものは幸せじゃない。誰でも手に入るものを幸せというのよ」
というセリフがとても印象に残っている。
「誰にでも手に入るもの」が何かはわからないが、比較的に簡単に手に入るもので幸せになっていいのだ。
近所の公園で紫陽花を見て、仕事のあとにビールを飲んだり、ハーゲンダッツを食べて、ときどきスーパー銭湯に行くことを幸せだと思っていい。
そういう小さなことに幸せを感じていたら機嫌が良くなり、前向きな気持ちでやるべきことに取り組める。周囲にも親切に感じよく接することができるから、他人からも好感を持ってもらえる。そうやって過ごしていたら、いつか大きな幸せも舞い込んでくるはずである。

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